琥珀色の戯言

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【読書感想】カルト村で生まれました。 ☆☆☆☆


カルト村で生まれました。

カルト村で生まれました。


Kindle版もあります。

カルト村で生まれました。 (文春e-book)

カルト村で生まれました。 (文春e-book)

内容紹介
平成の話とは思えない!」「こんな村があるなんて!」と、WEB連載時から大反響!!
衝撃的な初投稿作品が単行本に!


「所有のない社会」を目指す「カルト村」で生まれ、19歳のときに自分の意志で村を出た著者が、両親と離され、労働、空腹、体罰が当たり前の暮らしを送っていた少女時代を回想して描いた「実録コミックエッセイ」。


〈カルト村ってどんなとこ?〉
●大人と子供の生活空間が別々 ●朝5時半起床で労働 ●布団は2人で1組
●食事は昼と夜のみ ●卵ミルクを飲ませられる ●お小遣いはもらえない
●すべてのモノが共有で、服もお下がり ●男子は丸刈り、女子はショートカット
●ビンタ、正座、食事抜きなど体罰は当たり前 ●手紙は検閲される
●テレビは「日本昔ばなし」のみ ●漫画は禁止、ペットも飼えない
●自然はいっぱい。探険など外遊びは楽しい♪


 著者の高田かやさんは、現在35歳だそうですから、僕より年下です。
 年齢差からみると、僕らが高校時代、男子校の寮で悶々としつつ、夜に「脱寮」してサービスエリアに行ってお菓子を買い、ジュースを飲んで「開放感」を味わっていた時代に、まだ小学生だった高田さんは、こんな生活を送っていたんですね。


 この本のなかでは「カルト村」としか紹介されていませんが、おそらくこれは「ヤマギシ会」のことだと思われます。
 あえて「カルト村」としたのは、いろいろあったとはいえ、暮らしていた組織(しかも現存している)に配慮したのか、それとも、そのほうが「わかりやすいし、トラブルを避けたい」ということだったのか。
 

 ただ、この本を読んでいると、「カルト村」にいまひとつ馴染めなかったという高田さんだからこそ、この村のことをここまで客観的に描けたのかな、という気はするのです。
 「カルトから脱出した人」というのは、急進的なカルト批判派になることが多いのですが、高田さんは「自然に対する興味」であるとか「生活力」「忍耐力」など、高校時代まで「カルト村」で生活したことによって、自分の身についたプラスの要素もしっかり見つめているんですよね。
 もちろん、「普通の子供時代」をおくっていたら、どうだったんだろう?という気持ちはあるのだとしても。


 ちなみに、「カルト村」では、基本的に所有の概念がなく、一定以上の年齢になると、親と子は引き離されて、それぞれのコミュニティで生活するそうです。
 

 岡田尊司さんの『愛着障害』という本のなかで、かつてイスラエルで行われた「実験的な子育て」のことが紹介されています。

 かつて、進歩的で合理的な考えの人たちが、子育てをもっと効率よく行う方法はないかと考えた。その結果、一人の母親が一人の子どもの面倒をみるのは無駄が多い、という結論に達した。それよりも、複数の親が時間を分担して、それぞれの子どもに公平に関われば、もっと効率が良いうえに、親に依存しない、自立した、もっと素晴らしい子どもが育つに違いないということになったのである。


 その「画期的な」方法は、さっそく実行に移された。ところが、何十年も経ってから、そうやって育った子どもたちには重大な欠陥が生じやすいということがわかった。彼らは親密な関係をもつことに消極的になったり、対人関係が不安定になりやすかったのである。さらにその子どもの世代になると、周囲に無関心で、何事にも無気力な傾向が目立つことに、多くの人が気づいた。


 これは、イスラエルの集団農場キブツで行われた、実験的とも言える試みの教訓である。効率本位の子育ては、愛着という重要な課題を、すっかり見落としてしまっていたのである。こうした弊害は、幼い子どもだけでなく、大人になってからも不安定な愛着スタイルとして認められた。ただし、同じようにキブツで育っても、夜は両親と水入らずで過ごしていた場合には、その悪影響はかなり小さくなることも明らかになった。


 この「実験」の結果は、愛着における不可欠な特性の一つを示している。それは、愛着の対象が、選ばれた特別の存在だということである。これを「愛着の選択性」という。愛着とは、ある特定の存在(愛着対象)に対する、特別な結びつきなのである。愛着対象は、その子にとって特別な存在であり、余人には代えがたいという性質をもっている。特別な存在との間には、見えない絆が形成されているのである。それを「愛着の絆」と呼ぶ。


 こういう、「結果」が出ているのだけれども、「カルト村」では、親と子どもを引き離しての集団生活を行っていたのです(現在は少し変わっているようですが)。

 村では大人と子供の生活空間がはっきり分かれています。そして基本、親子は別々の村に住んでいます。別の村で暮らしている親のもとへ年に数回だけ泊まりに行くことができる。

 親も、よく我慢していたものだなあ、と。
 高田さんの両親は、大学時代にこの村のことを知って、村のなかで出会って結婚したそうなのですが、カルト宗教的な「洗脳」が行われていたわけでもなさそうなのに、なぜ、この生活を続けることができたのだろうか。
 子供と引き離されても、「信じて」いたのだろうか。
 

 村の決まりで、子どもたちは朝食が食べられなかったり、言うことを聞かない子どもには体罰が加えられたり、裸で立たされたり、テレビは『まんが日本昔ばなし』しか見せてもらえなかったり……
 よくこれで我慢できたな、と思うのですけど、「そういうもの」だと教えられて生きていると、そこから逸脱するのは難しいことなのでしょうね。
 手紙も検閲されて、外部からの返信は一部塗りつぶされていたそうですし。
 太平洋戦争中の日本軍かよ。
 僕たちがファミコンスーパーファミコンで遊んでいた時代に、こんな子供時代をおくっていた人たちがいたのか……
 「子どもらしさ」を強要されるのって、こんなにイビツに見えるのか……


 高田さんは、こう述懐しています。

 子供に安定した優しさで接してくれる大人が少なくて……
 村人ってミーティングによって方向性コロコロ変わるから日によって態度が違うの


 「所有」の概念が基本的にはなくて、本物の「お金」を小学生になって、はじめて拾って見た、という話には驚いてしまいました。
 でも、この「カルト村」の子供たちって、まったく社会から隔絶して生活していわけではなくて、とりあえず普通の小学校や中学校に通ってはいるんですよね。


 そして、こういう「過剰に節度や礼儀を埋め込まれた人々」というのは、外部からみたら、「つつましい、しっかりした人」のようにも見えるのです。
 『エホバの証人』の子供たちの礼儀正しい様子をみて、自分の子供たちも、あんなふうにしたい、と入信する親たちもいます。
 「カルト」を恐れながら、「あまりにもカネと物の世の中は、子供たちにとって良くない!子供は子供らしく!」と声高に叫ぶ人たちもいる。
 ある種の大人が考えている「子供らしさ」をとことんまで突き詰めると、「カルト」に近づいていく。普通は、そこまで徹底できる環境がないだけです。
 結局は、バランス感覚、ということなのでしょうけど、この本を読んでいると、「カルト村を出ていても、著者のような『まともな人』が育つのだな」とか、考えてしまうところもあるのです。
 

 基本的には、現在の感覚で「カルト村」のことを責めるような内容ではなくて、当時の高田さんに見えていたものを、なるべくそのまま封じ込めてマンガにした、そんな内容です。
 だからこそ、貴重な記録なのだと思います。

 
 この本では子供時代のことまでしか書かれていなかったけれど、続きがあるのなら、高校時代、村を出ることを決めるまでの経緯と、村を出てから「俗世」に馴染んでいくまでのことを読んでみたい。
 高田さんにとっての「俗世」は「パラダイス」だったのだろうか?


ドアの向こうのカルト ---9歳から35歳まで過ごしたエホバの証人の記録

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愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

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