琥珀色の戯言

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【読書感想】異類婚姻譚(いるいこんいんたん) ☆☆☆


異類婚姻譚

異類婚姻譚

Kindle版もあります。

異類婚姻譚

異類婚姻譚


受賞作だけでよければ、滝口悠生さんの『死んでいない者』も収録されている、雑誌『文藝春秋』のこの号で全文読めます。

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内容(「BOOK」データベースより)
子供もなく職にも就かず、安楽な結婚生活を送る専業主婦の私は、ある日、自分の顔が夫の顔とそっくりになっていることに気付く。「俺は家では何も考えたくない男だ。」と宣言する夫は大量の揚げものづくりに熱中し、いつの間にか夫婦の輪郭が混じりあって…。「夫婦」という形式への違和を軽妙洒脱に描いた表題作ほか、自由奔放な想像力で日常を異化する、三島賞&大江賞作家の2年半ぶり最新刊!


第154回芥川賞受賞作。
本谷さんが『生きてるだけで、愛。』で、最初に芥川賞候補になったのが、第135回・2006年上半期でしたから、ほぼ10年越しの大願成就、ということになりますね。
正直、本谷さんはもう芥川賞候補としては、あまりにもメジャーになりすぎていて、次に名前が挙がるとしたら直木賞のほうかと思っていました。
絲山秋子パターンだな。


2006年、最初に候補になった際には劇団を主催していて、26歳で容姿が麗しいということでけっこう話題になったのですが、今回はそんなに騒動にはならず。
なんといっても、又吉直樹さんの『火花』の後ですしね。


この作品の印象としては、本谷さん、なんだか「芥川賞らしい作品」を書いているなあ、と。
だからこそ受賞できたのかもしれないけれど、こんなに「らしさ」に乏しい作品だったとは思いませんでした。


第135回の芥川賞の選評で、石原慎太郎さんは、『生きてるだけで、愛。』について、こう仰っています。

石原慎太郎
「私は本谷有希子氏の『生きてるだけで、愛。』を一番面白く読めた。主題は病的な時代の男と女の虚無の相乗の孤独といえるが、他の多くの選者の意見は、いかにも芝居仕立てに過ぎるということだった」


個人的には、その「芝居仕立て」というか、エキセントリックにも感じられる過剰なところが、僕にとっては本谷作品の「個性」だったので、この『異類婚姻譚』には、物足りなさがありました。
うーん、なんだか、「普通の芥川賞受賞作っぽい、人物の心理描写は丁寧だけれど、あまりストーリーにダイナミズムのない小節だな」っていう。

 よくよく注意してみると、旦那の顔は、臨機応変に変化しているのだった。人といる時は、体裁を保ってきちんと旦那の顔をしているのだが、私と二人だけになると気が緩むらしく、目や鼻の位置がなんだか適当に置かれたようになる。一ミリや二ミリの誤差なので、よほど旦那に興味がなければ、気が付く者はいないだろう。似顔絵の輪郭が、水に溶けてぼやっとにじむような、曖昧模糊とした変化なのだ。


いやほんと、この「旦那」っていうのが、暴力を振るうとか、ギャンブルに狂うとか、浮気をするとかいうのではない、とにかく「家庭ではやる気がない、バラエティ番組をみるだけのダメ男」なんですよ。
そして、こういうレベルでの「ダメさ」っていうのは、僕のなかにも存在していて、けっこう身につまされる。


ラストは、夏目漱石の『夢十夜』のひとつみたいな終わり方なのですが、正直、唐突な感じはします。
いや、これはもしかして、なにかの事件の暗喩なのか……?
(たぶん「幻想小節」なのだ、と思いたいのですが)


それにしても、静かで、梅雨時の止みそうで止まない雨のような小説です。
本谷さんは芥川賞の傾向を考えて、「狙った」のだろうか、とさえ思うくらいです。
選考委員にも、『火花』っていう、話題性がある、漫才師が漫才師の話を書くという、作品外での「ストーリーライン」に乗りすぎた小節を選んでしまった反動、みたいなものもあるのかもしれません。


本谷さんに関しては「この作品に授賞するのであれば、もっと良い機会はあったはずなのに」と思いますし、これが授賞作になったために、こういう路線に進んでいくことにならなければ良いなあ、と感じています。


腑抜けども、悲しみの愛を見せろ (講談社文庫)

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