琥珀色の戯言

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【読書感想】京都ぎらい ☆☆☆☆


京都ぎらい (朝日新書)

京都ぎらい (朝日新書)


Kindle版もあります。

京都ぎらい (朝日新書)

京都ぎらい (朝日新書)

内容(「BOOK」データベースより)
あなたが旅情を覚える古都のたたずまいに、じっと目を凝らせば…。気づいていながら誰もあえて書こうとしなかった数々の事実によって、京都人のおそろしい一面が鮮やかに浮かんでくるにちがいない。洛外に生まれ育った著者だから表現しうる京都の街によどむ底知れぬ沼気(しょうき)。洛中千年の「花」「毒」を見定める新・京都論である。


 「京都」は日本を代表する古都であり、憧れを抱いている人も多いのではないでしょうか。
 とくに女性は「京都好き」の割合が高いような気がするんですよね。
 僕は正直なところ、修学旅行で一度行けばいいや、という感じです。
 夏は暑いし、冬は寒いし。
 森見登美彦さんの小説でたまに京都っぽい雰囲気を味わうくらいで十分。

 
 なんで僕は京都があまり好きになれないのだろう、と思っていたのですが、この本の冒頭で著者が書いている「京都人の優越感のいやらしさ」みたいなのを読んで、なんだかとても腑に落ちる感じがしたのです。

 今、京都市に生まれそだったと、自分のことを紹介した。しかし、おおいそぎで言葉をおぎなっておこう。
 私が生まれたのは、右京区の花園、妙心寺のすぐ南側である。そして、五歳の時に、同じ右京区の嵯峨、清涼寺釈迦堂の西側にひっこした。その後、二十年ほどは、嵯峨ですごしている。私には、嵯峨の子としてそだったという、強い自意識がある。
 花園も嵯峨も、右京区にくみこまれている。行政的には、京都市にぞくするエリアである。京都市に生まれ、そしてそだったという自己紹介に、いつわりはない。なぜ、そう書くことに、ためらいをおぼえるのか、京都以外の人々は、なかなかピンとこないかもしれない。
 だが、京都の街中、洛中とよばれるところでくらす人々なら、すぐに了解するだろう。井上は嵯峨そだちだったのか、京都の人じゃなかったんだな、と。
 行政上、京都市にはいっていても、洛中の人々からは、京都とみなされない地域がある。街をとりまく周辺部、いわゆる洛外の地は、京都あつかいをされてこなかった。私をはぐくんでくれた嵯峨も、京都をかこむ西郊に位置している。ひらたく言えば、田舎だとされてきた地域のひとつなのである。


 ああ、僕は京都とはまったく関わりがないのですが、これを読んで、九州のある土地で、中学時代に嫌な経験をしたことを思い出しました。
 中学校入学と同時に引っ越したところが、江戸時代は上級武士が住んでいた地域だそうで、近所の人々に母親がさんざんイヤミを言われていたのです。
 「ここは、あなたたちのような成り上がりが住むような場所じゃない」とかなんとか。
 その地域の伝統的なお祭り(けっこう有名)でも、「参加するのは、あの町に関わりがないといけない。あなたみたいなよそ者はお呼びじゃない」みたいなことを言われたりもして。
 そんな祭り、こっちから願い下げだよ。
 こういうのって、全く違う地域から来た「観光客」には見えない部分で、「ああ、昔からの伝統が守られていて、素晴らしいなあ」なんて思うところなのでしょうが、内側にはけっこうドロドロしたものがあって、山車を引くときの並び順でいい大人が喧嘩していた、なんて話をきくたびに、転勤族だった僕は、ひたすらうんざりしていました。
 こういう、「生まれた土地だけで優越感を抱ける幸せな人々」は、京都にだけ棲息しているわけではありません。日本中のあちらこちらで、同じようなことが起こっているのです。
(京都はとくにそれが顕著ではあるのかもしれませんが)
 だから僕は「江戸っ子」とかいうのも大嫌いなんですよ。
 「日本人は素晴らしい」とか、ひたすら言い続けている人も嫌いです。
 「日本人の中には、素晴らしい人がいるし、そうでない人もいる」ただ、それだけのこと。
 そもそも、そんなこと言ってる人が、全然素晴らしく見えないんだよなあ。二股かけたり、血統自慢ばっかりしてるのはみっともないよ。


 ……すみません、あまりに僕の過去の黒い記憶とシンクロする内容だったので、つい、熱くなってしまいました。
 いまでも、「故郷」に思い入れがある人と接すると、嫌悪感と羨ましさが入り交じります。
 もちろん、それを表に出さないようにはしていますが。


 著者は、京都の町家・杉本家住宅を訪れたときのことを振り返っています。

 あらかじめ電話をかけて、訪問の約束ができた日に、私は同家をたずねている。初対面の九代目当主、故杉本秀太郎氏とも、会うことができた。こちら側の依頼ごとも、過不足なくつたえている。杉本氏も、調査の件は、こころよくひきうけてくれた。
 ただ、私のしゃべる京都弁らしい言葉づかいが、どこか気になったせいだろう。杉本氏は、こんな質問を私にぶつけてきた。
「君、どこの子や」
 たずねられた私は、こたえている。
「嵯峨からきました。釈迦堂と二尊院の、ちょうどあいだあたりです」
 この応答に、杉本氏はなつかしいと言う。嵯峨のどこが、どう想い出深いのか。杉本氏は、こう私につげた。
「昔、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥をくみにきてくれたんや」


 たぶん、杉本さんに、悪意はなかったんじゃないかと思います。
 でも、この何気なくもみえるやりとりが、心にずっと引っかかってしまった。
 「肥をくみにくる人」への差別だ、とか今だったら言われるかもしれないけれど、見下された、と感じたのは致し方ないかな、と。
 コンプレックスを抱いている側には、けっこう「効く」んですよね、こういうのは。
 

 しかも、民族学の権威である梅棹忠夫先生も「嵯峨のあたりは言葉づかいがおかしかったので、中学生くらいのときには、よく真似をして笑い合った」なんて仰っていたそうです。
 だからといって、梅棹先生の業績を全否定するような話ではないとは思いますが、そういう「植えつけられた小さな(?)差別意識」みたいなものって、なかなか払拭できないものなのでしょうね。
 というか、本人にとっては、それが「差別」であることすらわからない。
 相手側は、けっこう深く傷ついていても。
 著者自身も、京都市外の人が「京都人」と自称すると「ちょっと違うんじゃない?」と思ってしまうことがあるのを告白しています。
 僕もたぶん、傷つけられてばかりでは、ないのでしょう。
 この新書のタイトルは「京都ぎらい」なのですが、「京都」って、あるいみ「日本の縮図」みたいなところはありますよね、たしかに。


 また、著者は「仏教とお金」のような微妙な問題にも、斬り込んでいます。
 京都の有名寺院は、写真を雑誌媒体などで使用するのに「志納金」として代価を要求することが多いのだそうです。

 その写真掲載にかかる経費が、じつはあなどれない。さきほども書いたとおり、一点につき三万円ほどを寺におさめるしきたりが、できている。
 もちろん、現代建築の場合と同じで、寺の建物や庭などにも、肖像権や意匠権はない。ほんらいなら、出版社側がそういうものをしはらう義務は、ないはずである。金はいっさいださずに、雑誌などへ写真をのせても、法的にはとがめられないだろう。法廷闘争という話になっても、寺が勝つとは思えない。


 にもかかわらず、「慣例」として、また、トラブルになって「出入り禁止」になることをおそれて、メディア側はこのお金を払い続けているのです。

 ただ、カルテルめいたきまりごとには、なっていないようである。寺とのつきあい方いかんによっては、値段をさげてもらえる場合も、あると聞く。そのいっぽうで、観光客に人気のある寺は、さらに高い金額を提示したりもするらしい。
「金銀苔石」という言葉を、私はしばしば耳にする。写真の掲載にさいし、いちばんコストのかかる人気四大寺(金閣寺銀閣寺・西芳寺龍安寺)を総称する言い回しである。このクラスになれば、一枚の写真利用が20万円ほどになることもあると、噂されている。
 もちろん、私にその真偽を見きわめる力はない。四大寺の評判は、無責任にふくらまされている可能性もある。志納金の具体的な額について、これ以上ほじくりかえすのは、ひかえたい。


 20万円!
 これが事実なのかどうかはさておき(「3万円」のほうは、著者が直接知り合いから聞いた話だそうです)、個人の所有物ならともかく……という話ですよね。
 結局、そのお金は、出版物の価格に反映されることになるわけですし。
 著者は、「これらの有名寺院の紹介記事だけ写真じゃなくてイラストになっていたら、『そういうこと』だと思ってください」と仰っています。


 また、著者は「千年の都・京都」という見かたについて、警鐘を鳴らしてします。
 昔から遺っている寺院も、多くは戦乱や火災で焼けたことがあり、ほとんどが江戸時代になってから建て直されたものだそうです。

 また、それらはしばしば、創設まもない幕府の手で、より豪華につくりかえられていた。徳川家康から家光までの三将軍は、けっこう京都の寺院復興に、力をつくしている。応仁の乱などで焼けおちた寺々を、以前よりりっぱな姿に、よみがえらせようとした。幕府はそうしたいとなみで、自分たちの権勢を、京童に見せつけたのである。あるいは、朝廷や公家たちに。
 とりわけ、知恩院の再生に、幕府は力をかたむけた。もともとは、13世紀のはじめごろに、浄土宗の開祖である法然がたてている。そこへ、浄土宗の信仰をもつ家康が、とほうもない巨刹を、17世紀初頭に設営した。もとの知恩院とは似ても似つかぬ姿に、一新させたのである。境内をおしひろげ、広大な寺領もあたえながら。
 こういう寺院の光景を今見て、八百年も前の法然へ想いをはせるのは、的がはずれている。むしろ、四百年前の家康がいだいた、どんなもんだという想いをこそ、ふりかえりたい。これは、何よりも、幕府の力を京都へ思い知らせるために、もうけられた施設なのだから。まあ、現在の堂塔は、消失をへて、家光の時代に再建されたものが多いのだけれど。

 
 あまり深入りせずに、「伝統の都・京都」を愉しむ、というのも、それはそれで悪いことではないのだろう、と僕は思います。
 著者も、京都が本心から嫌いだったら、こんな新書を上梓することはないでしょうし。
 でも、中途半端な距離感というのは、いちばん、愛憎入り乱れるものなのかな、というのは伝わってくるのです。
 僕にとっての中学生時代を過ごした土地も、そうだから。