琥珀色の戯言

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【読書感想】救出: 3・11気仙沼 公民館に取り残された446人 ☆☆☆


内容(「BOOK」データベースより)
押し寄せる津波、燃える海。水没した公民館屋上の446人。絶体絶命の危機にさらされた彼らが、全員救出されるまでの緊迫と奇跡を、迫真の筆致で描く感動のノンフィクション!田原総一朗氏との対談収録。


 ああ、猪瀬さん、また書く仕事に戻ったのだな。
 この本の表紙をみて、僕はそう思いました。
 あの5000万円の事件は、あまりにも「お粗末」だったけれど、だからといって、ずっと世間に対して頭を下げ続けるというのも、なんだかちょっともったいない。
 ただ、「なぜ今さら、3.11のノンフィクション?」と感じたのも事実です。
 もちろん、東日本大震災の記録と記憶は、後世にまで受け継がれていかなければならないものです。
 でも、猪瀬さんの復帰作としてこの題材というのは、どうなんだろう、と。
 誰も文句をつけられないようなテーマを選ぼうとしただけではないのか。


 このノンフィクションを読んでいくと、最後のほうで、「なぜ、猪瀬さんがこれを書いたのか」がわかるようになっているんですけどね。
 これは「美談」だし、「災害時に、情報発信力で自らを救った人たちの物語」です。
 東日本大震災関連のノンフィクションの中には、「お涙頂戴もの」「美談」にしようとして、かえって読んでいる側のほうが醒めてしまうものもあるのですが、この『救出』は、起こったことを事実に即して、淡々と描いているのです。
 猪瀬さんの筆力、みたいなものを再認識させられたのですが、その一方で、ちょっと素っ気ない感じもしました。
 巻末の対談で、田原総一郎さんも仰っているのですが、基本的にこの『救出』って、なるべくポジティブに書かれているのです。


 田原さんのコメント。

 この手のノンフィクションは、どうしても「大変だ、悲惨だ」という話になりがちだけれど、猪瀬さんのノンフィクションは、とにかく「よくやった」と称えたくなる、逞しい物語です。

 
 446人が全員救出されたのは「奇跡」ではなく、その状況でできる最善のことを、ひたすら積み重ねていった結果なのです。
 もちろん、最終的には「運」もあったのだろうけど。


 僕がこのノンフィクションを読んでいて驚いたのは、三陸の人々の「地震津波に対する日ごろからの危機意識の高さ」でした。
 九州の内陸部に住んでいる僕は、警報が出ても、「津波」というものが本当に来るとは、思えないのではなかろうか。
「どうせまた、『この地震による津波の心配は、ありません』なんだろ」と。
 中学生時代に火災報知器が鳴ったときに「誰かのいたずらだろ」と、まず最初に予想したのと同じように。


 このノンフィクションの舞台となる、公民館に避難することになった一景島保育園の人々は、海が近いこともあり、日ごろから「備え」と「覚悟」をしていたのです。

 以前から、(地震のときには、家に)絶対に帰さないという方針を園として決めていましたので、わたし(菅原保育士)ももちろんですが、他の保母さんも、そこは断固として、「ここに居てください」と、一人の保護者、園児も帰しませんでした。「この人の家は、たしか魚市場前だったな……」と園児のそれぞれの自宅も分かっていましたから、帰さない、という方針は揺らぎはしませんでした。
 公民館の駐車場や、付近の道路に駐車した車の中に携帯電話を忘れたというお母さんがいました。彼女は「いざというとき、お互い連絡を取り合うことにしていますので、携帯電話が必要なんです」と話されましたが、そこも「行かないでください」と、はっきり言いましたし、彼女も従ってくれました。正直、杓子定規と感じ、ムッとした人もいたかもしれませんが、それでよかったと思います。車のエンジンを掛けたまま、わたしたちに食い下がる保護者もいました。でも全員にダメ出しをしました。
 とにかく保母全員が異様な緊迫感に包まれていました。長年、訓練を重ね、実際の地震でも避難をしていますから、一景島のそれまでの積み重ねを含め、「いままでと何かが違う」と感じていたんだと思います。


 あの未曾有の災害の前で、「うまくいかなかった、悲劇の事例」のほうが大きく採り上げられがちなのですが、ずっと「この時」のために、備えていた人たちも、三陸には、たくさんいたのです。
 もし、こういう危機感が共有されていなければ、もっと被害は大きくなっていたことでしょう。
 悲劇から学ぶべきことは、たくさんあります。
 その一方で、「悲しむ」だけではなく、「命を守ることができた事例」を共有することも、大事なはず。
 東日本大震災の悲劇に涙を流すだけではなく、「災害が起こったときのための心とシステムの準備」も行うべきなのに、僕の知る範囲の直接被害を受けなかった地域では、危機感が薄れてきているような気がします。
 次に大きな災害に遭うのは、自分自身かもしれないのに。

 気仙沼市危機管理課では、地方自治体としての限られた財源のなかで対策を講じてきた。一時避難所として人工地盤化した高さ十メートルの魚市場が海沿いの多くの市民を救ったことも事実だし、高台へ登る階段に手すりやロープをしつらえたりしたのも避難に役立った。ハザードマップ作りのために百以上の町内会を回り意識改革に努めた。避難誘導の看板ひとつでも公共の空き地に置くような役所仕事をせず見やすい場所をいちいち点検して置いた。大きな土木工事が津波対策に求められるとしても、コンクリートなどのハードだけでは自然の脅威に対して限界があるのだ。要は自分の命を自分で守るという主体の形成、住民の意識の覚醒である。生きたい、という気持ち、知恵をひとりひとりが持つことが減災につながる。


 自然の脅威の前には、「どうしようもないこと」が起こります。
 人間にできるのは「災害を防ぐ」ことではなく、災害の被害をなるべく少なくする「減災」でしかない。
 それでも、備えがあるかどうかで、全体的な被害の程度は、大きく変わってくるのです。


 三陸の人たちは、何度も津波の被害を受けながらも「危機意識」を持ち、次の災害に備えながら、その地で生きてきました。
 「かわいそうに」と同情するだけでなく、彼らの「備え」から学ぶべきことが、まだまだたくさんあるのだと僕は思うのです。

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