琥珀色の戯言

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【読書感想】名作うしろ読み ☆☆☆☆


内容(「BOOK」データベースより)
『雪国』『竜馬がゆく』から『ハムレット』まで古今東西の名作132冊を、ラストの一文から読み解く。


 古今東西の「名作」132冊の最後の一文を紹介するという試み。
 「ラスト」といえば、「ネタバレ」がつきもので、こんなものを読んだら、その本を読む愉しみがなくなってしまうのではないか、と僕も思っていました。
 実際に読んでみると、そんなことはなくて、むしろ、「名作」のラストって、案外記憶に残っていないものなんだな、とか、「なんかとんでもないことが書かれていたんだな」と感心してしまうくらいです。
 僕はここで紹介されている本のうち、3分の1くらいしか読んでいなかったのですが、読んでいない本に関しても「ネタバレするなよ!」と腹が立ったものはありませんでした。

 名作の「頭」ばかりが蝶よ花よともてはやされ、「お尻」が迫害されてきたのはなぜか。
「ラストがわかっちゃったら、読む楽しみが減る」
「主人公が結末でどうなるかなんて、読む前から知りたくない」
 そんな答えが返ってきそうだ。「ネタバレ」と称して、ストーリーや結末を伏せる傾向は、近年、特に強まってきた。
 しかし、あえていいたい。それがなんぼのもんじゃい、と。
 お尻がわかったくらいで興味が半減する本など、最初からたいした価値はないのである。っていうか、そもそも、お尻を知らない「未読の人」「非読の人」に必要以上に遠慮するのは批評の自殺行為。読書が消費に、評論が宣伝に成り下がった証拠だろう。

 ここで紹介されている本には、著者の斎藤美奈子さんの「ルール」みたいなものがあって、本当に「ネタバレ」になるようなミステリとか、まだ評価が固まっていない最近の作品は採りあげられていない、というのもあります。
 そもそも、僕くらいの年齢になると、「このまま生きていても、もう名作を読み切れるほどの時間は無いだろうな」とか思ってしまいますし。
 それに、いまの「書評」というのは、基本的に「未読の人にいかに興味を持ってもらうか」というのが重視されており、「読んだ人どうしが、内容について深く語り合う」ようなものは少ないんですよね。
 そういうのがあっても良いはずなのだけれど、世の中は、どんなベストセラーであっても「既読者」よりも「未読者」のほうが多いわけで、商売として考えると、どうしても「既読者限定」みたいなのは成立しにくいのです。
 それならば、「商売抜き」でもできるWEBの世界に、そういう「既読者向け書評」みたいなものができてもよさそうなものなのですけど。


 これを読んであらためて感じたのは、「名作」といっても、最後の一文が「名文」として知られているようなものは案外少ないということでした。
 でも、最後の一文には、作品を読み通した人だからこそわかるような「滋養」みたいなものが込められていることも多いのです。
 この本の最初に出てくるのは、誰でもタイトルは知っている夏目漱石の『坊ちゃん』。

 だから清の墓は小日向の養源寺にある。


 井上ひさしさんは、この「だから」を日本文学史上もっとも美しい「だから」だと評したそうです。
 斎藤さんは、この小説のタイトルが、なぜ『坊ちゃん』だったのか?と読者に問いかけます。
 作中で、主人公のことを『坊ちゃん』と呼ぶ人は、ひとりだけしかいないのに、と。

 そう、彼を「坊ちゃん」と呼んだのは清だった。亡き清だけだったのである。それを念頭に読み直すと、痛快な勧善懲悪劇という『坊ちゃん』のイメージは修正を迫られる。『坊ちゃん』は一度書きかけて挫折した清への長い手紙、あるいは追悼だったのではないか。大好きなばあやの前で懸命に虚勢を張る男の子、の像が浮かび上がってくる。
<親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている>という冒頭の一文で、私たちは「おれ」を快活な熱血漢だと思いこんできた。が、近年の文学研究では『坊ちゃん』は暗さを秘めた敗者の文学だとする見方が広まりつつある。「おれ」にとってのマドンナは清だった。だから小説は松山ではなく、東京の墓の話で終わるのである。

 ああ、そういう読み方もあるのか……
 夏目漱石が「敗者の文学」として『坊ちゃん』を書いたのかどうかはわかりませんが、作品に対する見方がちょっと変わるし、もう一度読み返してみようかな、と思いました。
 この本には、「一度読み終えた人のためのあらたな視点の提供」という役割もあるんですよね。
 

 下痢はとうとうその日も止まらず、汽車に乗ってからもまだ続いていた。

 これはなんという名作の最後の一文だか、ご存知でしょうか?
 実は、谷崎潤一郎さんの『細雪』なんですね。
 大阪船場の旧家の四姉妹を描いた優美な作品、というイメージの『細雪』なのですが、そのラストは「下痢の話」なのです。
 

 ちなみに斎藤さんは、この一文について、こう仰っています。

 数日前から止まらぬ雪子の下痢は婚礼に対する無意識の抵抗と解釈できるが、でも下痢ですからね。大腸に自己主張をさせるって、やっぱ谷崎は変態だわ。

 たしかに!だが、それがいい(のでしょうね、たぶん)。


 「文学好き」にはたまらない一冊。
 「あらすじを読む」というよりは、「ネタバレ的なものを避けない書評」と言うべき内容ですし、読んだことがない本にも、かえって興味がわいてくるのです。
 「ネタバレ」を気にして手にとらないのは、もったいない本だと思います。

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