- 作者: 齋藤孝
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2015/12/10
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
- 作者: 齋藤孝
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2015/12/10
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内容紹介
ビジネスでワンランク上の世界にいくために欠かせない語彙力は、あなたの知的生活をも豊かにする。読書術のほか、テレビやネットの活用法など、すぐ役立つ方法が満載!読むだけでも語彙力が上がる実践的な一冊。
この新書、タイトルを見たときは、正直、あんまり良い感情を持たなかったんですよ。
なんかやたらと故事成語とかことわざとかを持ちだしてくる人って、いるじゃないですか。
あるいは、イノベーションとか、レッドオーシャンとか、「ビジネス用語」の横文字を使いたがる人とか。
そもそも、「ビジネス」って、「仕事」って言っちゃダメなのかよ、とか思うんですよね。
そういう人の話は、本人が鼻高々な割には、内容が伴っていないことが多いのです。
その一方で、なんでも「ヤバい」としか言わない若者とのコミュニケーションは難しいのも事実です。
なんのかんの言っても、「語彙が豊富」というか「表現力がある」人との会話というのは、楽しい気分にはなるものです。
会話が弾めば、相手を「わかった」ような気分になれるし、好感も抱きやすい。
この歳まで僕が生きていて痛感するのは、「人間が伝えたいことには、そんなにたくさんのバリエーションはないけれど、その伝え方には無限のバリエーションがある」ということなんですよ。
百田尚樹さんが、「『戦争反対』という言葉だけで伝わるのであれば、小説なんて書かなくてもいい。実際にはそれでは伝わりにくいから、『永遠の0』を書いたんです」と仰っていたのを読んで、なるほどなあ、と思ったのです。
ネット上では、長文は嫌われがちで、「えっ、このくらいの長さでも?」というものでも、「三行で」とかツッコミを入れられてしまいます。
でも、「言いたいこと」って、要点をまとめてしまうと、かえって相手に刺さらないこともある。
かなり脱線してしまいましたが、「語彙力」というのは、たしかに「無いよりも有ったほうがいい」と、この新書を読んで、あらためて感じました。
いちばん伝えたいのは、「語彙が豊かになれば、見える世界が変わる」ということ。人生そのものが楽しくなるということです。
思考は、頭のなかで言葉を駆使して行われます。つまり、何かについてじっくり考えて意見を持つためには、先にたくさんの言葉をインプットすることが必要不可欠です。英語が苦手な人は、英語で深く思考することはできないでしょう。それと同じように、乏しい語彙力では、それをとおした狭い世界しか見ることができません。
本書のタイトルは「語彙力こそが教養である」。語彙のインプットとアウトプットを繰り返すなかで教養あふれる大人になることが、本書の目的です。
ただ、この新書を読んでいると、ちょっと「ズレ」を感じるところもあるんですよね。
慣用句や四字熟語を語彙トレするメリットをもうひとつ。それは、「会話に勢いが出る」ことです。ことわざなどの昔から残っている言葉は、語呂がよかったり、口に出したときのリズムがいいものが多い。しかも、真剣さやユーモア、空気感までも言い回しひとつで表現することができるため、非常に便利なのです。
具体的な例を見ていきましょう。
チーム全体にやる気がなくて、誰も部長の指示を真剣に聞いていない。あるいは、イベント企画者だけが盛りあがっていて残りの人は冷めている。こんなシチュエーションのとき、ただ「彼には周りがついていかないね」と言うより、「笛吹けど踊らず」を使って、
「あの人は一生懸命笛を吹いているけれど、部下がなかなか踊らないねえ」
と言ったほうが、その独り相撲の様子を見事に表現できます。同じように、「常に正しいことばかり言っていては、排他的な人間になってしまう。これからリーダーになる身としては、受け入れる姿勢も必要だ」と長ったらしく説明するより、
「リーダーたるもの、清濁併せ呑むべし」
と一言で言い切ったほうが、説得力も生まれるのです。
とくに「リーダーたるもの」は、こうした言い回しのストックを増やしておきたいところ。
「できるだけ一気にやりきってしまおう」より「一気呵成にやってしまおう」。
「まずはこれに集中して頑張ろう」より「一意専心で頑張ろう」。
個人的には、こういう「語彙ひけらかし上司」って、あんまり好感が持てないんですけどね……
もちろん、こういう言葉を知っておいて損はないけれど、日常的に使うことに、僕はちょっと気恥ずかしさがあります。
この「笛吹けど踊らず」の使い方とか、なんか嫌味ったらしさが強調されているようにすら感じるんですよ。
これは僕が少数派で、みんなはこういう「一意専心」とかのほうが「乗れる」のだろうか。
「ものは言いよう」というのは確かで、著者は、テレビドラマのこんな例をあげています。
古沢良太さん脚本の『リーガルハイ』も、セリフの力で超人気ドラマになったと言っても過言ではありあせんね。堺雅人さんのひたすら続く早口、罵倒は多くの方をスカッとさせたことでしょう。
「大企業に寄生する優しいダニそれがみなさんだ」
「絹美という古臭い名前を捨てたら南モンブラン市というファッショナブルな名前になりました。なんてナウでヤングでトレンディなんでしょう」
……といったセリフが延々続くわけですが、同じ罵倒でも、ただ「バカ」「ださい」「うざい」といった単調な言葉を連発するより、逆にユーモアがあって知性を感じさせますよね。人を小馬鹿にしたり鼻をへし折ったりするための語彙はこんなにもあるのか、と大変驚きました。
僕も『リーガルハイ』は大好きだったのですが、たしかにあれは「言い回しの妙」を愉しむドラマでした。
まあ、自分がこれを言われたら、ものすごく腹が立つと思うのですが、観客としては、ひどい罵倒のはずなのに、面白くてしょうがない。
夏目漱石の作品や、テレビドラマ、スポーツ中継まで。
普段から心がけていれば、「語彙」を増やすことは可能です。
そのためのコツも伝授されているのですが、著者のような無限のバイタリティを持つ人と同じことはできそうにありません。
テレビ番組を録画しまくって、3倍速とかで観ながら本を読むこともあるそうです。それはもう、僕とはCPUが違いすぎないか、と。
まあ、全部真似できなくても、参考にできるところは、たくさんあります。
「難しい言葉を知らなくても仕事はできる」
「教養をひけらかすほうが、人間としてどうなの?」
という発想は、反知性主義。人類史を逆行するような考え方なんですね。そんなことを臆面もなく言えてしまうのはじつに恥ずかしいことだと思いますし、その考え方には大反対です。
よくよく考えてみると、「ひけらかされている」と思うのは、自分がそのことについて知らない証拠なんですよね。非難する前に自分の知識のなさを反省する人のほうが、豊かな人生を手に入れられるのではないかと思います。
極端に言えば、「あー」とか「うー」、「すごい」、「やばい」で済ませても、最低限の生活はできます。けれど、そんな知性のない人間になりたいのか、という話です。さすがにこの本を手にとり、ここまで読み進めてきたあなたは、違う考えをお持ちのことだと信じています。
正直、こういうのが「反知性主義」という言葉を便利に使いすぎている実例なんだろうな、とは思うのですけど、語彙というか、ひとつのことを、さまざまな形に言い換える技術は、持っていて損はしません。
個人的には、あんまりひけらかしすぎるのは、いかがなものか、とは思うのですけど。