琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】「独裁者」との交渉術――ボスニア カンボジア スリランカ国連和平調停の舞台裏 ☆☆☆☆


「独裁者」との交渉術 (集英社新書 525A)

「独裁者」との交渉術 (集英社新書 525A)


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
冷戦後、世界の安全保障の枠組みが激変するただ中で、カンボジアPKOボスニア紛争の調停をはじめ、国連が主導した一九九〇年代の平和活動を指揮した日本人がいた。もっとも困難な立場に立たされた交渉人―明石康は、シアヌークミロシェヴィッチ、カラジッチといった現代史に名を残す政治家・ナショナリストたちと、どのように対話し続けてきたのか?バルカン半島の現場を熟知するジャーナリスト木村元彦が、一年間にわたって連続インタビューを敢行。誰よりも苛烈な現場を潜り抜けてきたミスター・アカシの交渉テクニックに迫る。


 ああ、明石康さんみたいな人を「タフネゴシエイター」って言うんだな。
 読みながら、僕はそんなことを考えていました。
 カンボジアボスニアといった紛争地で、国連の平和活動を指揮した日本人・明石康さん。
 しかしながら、明石さんは、必ずしも称賛されてばかりではありませんでした。
 日本にいれば、そんなにバッシングの声は聞こえてこないのですが、この新書で明石さんにインタビューをした木村元彦さん(『オシムの言葉』の著者としても知られています)は、冒頭に、こう書いておられます。

 ボスニア紛争の解決において、そのミッションを担った者として明石康は欧米諸国から大きなバッシングを受けた。批判の多くが、「指導力不足により、ボスニアの民族紛争を、結果的に長びかせた」というものだ。クリントン政権時の米国務長官オルブライトに至っては、自伝の中で「アカシの慎重すぎる判断が、NATOによる空爆を困難にした」と名指しで批判をしている。実際にボスニアムスリム地区に行けば、今でも日本人と見ると、「ヒロシマナガサキ、ヤスシ・アカシ」と、未曾有の悲劇と並べて囃し立てる人がいる。「ヤスシ・アカシがNATO軍にセルビア人勢力への攻撃を強く要請していなければ、ムスリムの虐殺は起こっていなかった」と主張するのである。
 しかし、ここ十数年筆者はユーゴ崩壊の過程を検証取材していくなかで、当時の明石の態度と決断が、いかに国連の平和原則に則い、公正たらんとしたものであったかを思い知らされる場面に多く遭遇した。


 ボスニア紛争では、独裁者・ミロシェビッチを戴くセルビアは、終始「残虐行為をはたらく側」と報じられてきました。
 しかしながら、1990年代のボスニア紛争の際、ボスニア政府とPR契約を結んだ広告代理店(ルーダー・フィン社)は、敵対するセルビア人を非難するための言葉「民族浄化」を開発し、そのメディア戦略のおかげで、またたくまに「セルビア=虐殺を繰り返す悪者」というイメージが世界中に広まった、という面もあるのです。
 ボスニア紛争においては、セルビアにはセルビアの言い分もあったのに。
 セルビア空爆し、力で徹底的に押さえつけよう、と主張するアメリカをはじめとするNATO軍に対して、明石さんは「なんとかして空爆を行なわずに、和平のための交渉を成立させよう」とします。
 それに対して、空爆する気満々だったNATO側、そしてボスニアには、大きな不満が残ったのです。
 

 この明石さん、1931年生まれで、ゴリゴリの「戦後平和主義者」なのかと思っていたのですが、必ずしもそうではないのです。

 民主主義的で平和的な体制のもとでも、限定された自衛が必要であるということを、我々はもっと正直に認めるべきです。また、憲法九条がまったくだめだ、と否定することもおかしいと私は思います。憲法九条第一項の、国際紛争を解決するためには平和的手段でやりますという決意は、国連憲章の原則そのものでもあり、何ら不都合な点はありません。問題なのは九条の第二項の「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。この文言は、時代を少し先走りすぎた理想論だと感じます。


 明石さんは、とにかく現実主義者なんですよ。
 交渉を成立させ、犠牲を減らすために、大局的な観点から、妥協するべきところはするのです。

――(セルビアの)孤立が深まったことで、最初はフレンドリーだったものが、やがて国連を敵視してくるようなプロセスがあったのではないですか?


明石:そうですね。そのプロセスを踏まえて、私はあるとき、カラジッチ(セルビアの指導者。「スレブレニツァの虐殺」に関与したとされる)宛の書簡で意識的に「エクセレンシー(閣下)という言葉を使ったわけです。つまり、相手への尊重のニュアンスを込めた呼称を使用したら、その手紙がオルブライト(当時のアメリカ国連大使)の手に渡ってしまった。おそらく、国連内部に、私のやり方をどうにかして貶めようとしていた人間がいたのでしょうね。とにかく、彼女は、カラジッチのような悪い男に対して「エクセレンシー」などと呼びかける必要があるのか、といって噛みついてきました。けれども私の記憶には、相手を尊重することで交渉がうまくいったカンボジアでの前例があったのです。


 相手が「悪いヤツ」だから、「閣下」なんて呼ぶのは間違っている!
 この気持ちがわかるし、「そうだそうだ!」って言う人も多いのではなかろうか。
 そんなヤツに敬称をつける必要なんてないだろう、と。
 でも、そうやってケンカ腰になっていると、交渉がしにくくなってしまう。
 呼称に配慮することで、交渉しやすくなるのであれば、「建前」は譲ってもいい、というのが明石さんの考えなのです。
 国連内部では、そういうやりかたには、賛否が分かれていたようですが。


 明石さんは、とにかく「相手の言い分」を聞く人だったのです。
 もちろん、言いなりになっていたわけではないけれど、相手の立場を理解しなければ、まとまる交渉もまとまらない。

 私は、タンザニアの元大統領ニエレレが話してくれたことを忘れられません。彼はこう言っていました。欧米の人はよく平和、平和と言う。けれども、平和ということは、ともすると現状維持、既得権を認めるということにつながりかねない。アフリカの人間としては、そのような不公正な現実を認めるわけにはいかない。つまり、正義が貫かれている平和でなければ本物ではないし、永続しないということです。私もそれに同意します。
 今の日本人の平和観は、ともすると、平面的な平和になるでしょう。三次元ないしは四次元の立体的な平和とは違うのですよ。どこかおかしい。もちろん、正義をあまり振りかざすのも間違いです。それは往々にして危険です。せめて、理不尽な形で殺された人々が浮かばれるような平和、抑圧された人たちが解放される平和でないと、だめだと思いますね。


 日本人が求めている「平和」とは、平面的な平和ではないのか?
 既得権者は「現状維持」でよくても、「持たざるもの」は、そうはいかない。
 彼らだって、娯楽として戦争をやっているわけではなくて、それなりの「目的」があるのです。
 命をかけてでも、何かが欲しい、という場合もある。
 まあでも、知らない人どうしであっても、殺し合いはあまり見たくない、というのが、いまの日本人である僕の本音なんですけどね。


 この新書の最初のほうに、こんな話が出てきます。

 私が生まれたのは、1月19日です。しかし「19」という数字は、国連にとってはちょっと忌まわしい数字なのです。といいますのは、私が歴代の事務総長の中で一番傑出した人であったと思っているスウェーデン出身のダグ・ハマーショルド。第二代事務総長の彼が、独立直後のコンゴ動乱で大きなチャレンジに当面させられたただ中に、隣のローデシア、今のザンビアで乗用機が山にぶつかり、他の国連職員十数名と一緒に命を失ってしまうのです。その知らせが国連本部にもたらされたのが1961年9月19日。また、国連イラク担当特別代表であったブラジル人のセルジオ・デメロ。カンボジアで旧ユーゴスラビアでも、私の片腕の一人として活躍した男です。イラク国連事務所が爆破されて彼が命を失った日も、2003年8月19日です。それから私が国連の事務総長官房で働いていたときに一緒に仕事をしたオマール・ルトフィーといエジプト出身の事務次長、この人が亡くなった日も19日。さらに、国連はできて60数年になりますけれども、歴史上いちばん荒れて、表決を一度もできなかった大変な総会があるのですが、それが1964年の第19回総会。何で荒れたかというと、国連憲章第19条を巡る争いです。

国連の平和維持活動」といえば、ものすごくクリーンで「良い仕事」というイメージがあったのですが、それに従事する人が抱えている大きなリスクについて、あらためて考えさせられました。
 「19」絡みだけでもこれだけあるということは、全体の犠牲者は、もっと大きな数になるはず。
 国連の職員たちのも、命がけなのです。
 どんな相手にも、交渉の糸口みたいなものはあるし、欧米式の「交渉術」を真似するばかりではなく、日本人向きの交渉のやり方もあるのだな、と考えさせられる新書でした。
 タフネゴシエイターを目指す人は、読んでおいて損はありませんよ。