琥珀色の戯言

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【読書感想】インド人の「力」 ☆☆☆☆


インド人の「力」 (講談社現代新書)

インド人の「力」 (講談社現代新書)


Kindle版もあります。

インド人の「力」 (講談社現代新書)

インド人の「力」 (講談社現代新書)

内容紹介
マイクロソフト、グーグル、ヒューレット・パッカードマッキンゼー、ゴールドマンサックス、そしてソフトバンク。なぜ、グローバル企業のCEOに続々とインド人が抜擢されるのか? 驚異の二桁暗算術から、英語力、議論力まで、現代インド人に見る、グローバル社会の「常識」。


 中国に次ぐ、世界第2位の人口を持つ国、インド。
 最近は「IT大国」としても知られてきていますが、僕のなかでは、今でも「カレーとタージマハルとカースト制の国」というようなイメージがあるのです。
 中国人やアメリカ人には実際に会ったり話をする機会もあるのだけれど、インド人と接する機会って、これまで数回しかなかったし。
 こんなに人口が多い国なのに、日本にとっては、比較的接点に乏しいような気もします。
「ひとりっ子政策」の影響で、今後、高齢化が急速に進んでいく中国に比べて、インドは若者の人口が多く、いずれはインドが世界一の人口を持つ国になると言われているのに。

 今世界の超一流企業で、インド人CEO(最高経営責任者)、取締役、執行役員などが次々に誕生している。インド人が世界を動かしはじめたと言っても過言でないほどである。成功の要訣はどこにあるのか、私には彼らの「頭のなかみ」に鍵があると思われてならない。


 留学時代を含め、10年以上もインドに滞在していた著者は、インドでの生活の経験やそこでつきあった人たちをもとに、彼らの「頭のなかみ」について語っています。
 これを読んで、中国や韓国などの東アジア人や欧米人とはまた違ったベクトルの発想をするインド人たちのことが、少しわかったような気がしました。
 インドをカレーとかカースト制だけで語ろうとうするのは、日本人に「スシ、サムライ、ゲイシャ」とか言っているのと同じようなものなのだな、と。
 

 それにしても、近年のインドの変化はすごいものです。

 2016年までにインドはアメリカに次ぐ第二のIT雇用者数をもつようになるとされる。インドはすでにアメリカを抜いて、ソフトウェア・エンジニアが世界一多い国に躍り出ているとする記事もある。インドは現時点で世界第2の科学者・技術者のプールであるとか、世界一の技術系大卒者をもつ国とか言われる。具体的数字つきの言説を示せば、インド全人口の1割程度(1億数千万人)が大卒者であるとか、インドは年間約40万人の工科大卒者を生み出すとか、インドでは年間150万人のエンジニアが誕生するとか、毎年20万人強の工科系人材が世に送り出されてくるとか、毎年200万人の大卒者が輩出されるとか、2013年のインドのソフトウェア・エンジニアの数は275万人で2018年までに520万人に達すると予測されるとか、おびただしい情報がメディア上に飛び交い、その内容は時に錯綜し、時に混乱している。それだけインドの工科系人材の輩出をめぐって、世間はかまびすしいのである。


 インドは第二次世界大戦のあと独立し、「国策」として、工科系など理系の人材を積極的に養成してきたのです。
 最難関とされるIIT(Indian Institute of Technology:インド工科大学)の優秀な卒業生は、グーグルやフェイスブックといったIT企業から、高額のオファーでスカウトされるのだとか。
 著者は、このインドでのIT産業の隆盛には「ITで身を立てることによって、カーストの呪縛から逃れやすい(海外で活躍することもできる)」という面もあるのだと述べています。
 カースト下層の人たちは、チャンスを求めて懸命に勉強し、カーストのしがらみがないIT産業を目指すのです。


 また、インド人は肉体労働というか、身体を動かすことをあまり評価しない、という傾向があるそうです。
 これだけの人口を持つ大国なのに、オリンピックでインドの選手が活躍したという話は、ほとんど聞いたことがありません。
 2012年のロンドン・オリンピックでは、銀メダル2個、銅メダル4個の合計6個のメダルを獲得していますが(金メダルはなし)、人口を考えると、あまりにも少ない。
 スポーツで結果を出すことに本腰を入れてくれば、これだけ人がいるので、かなりの成果を挙げられるとは思うのですが。


 インド人の技術者や専門家が海外で活躍しやすい背景には「言語的な優位性」があります。
 ひらたくいえば、「英語を使いこなせる人が多い」ということです。

 インドにおける英語人口は把握しづらく、したがって異説も多い。男性の28パーセント(二億人弱)が、程度の差はあれ英語を運用することができ、その半数(1億人弱)は流暢な英語話者とするデータもある(女性は男性より比率が低い)。実際のところ、インドの英語人口は全人口の1割強とする報告(2011年国勢調査)もある。数にすれば1億3000万人近くにもなる。インドは世界の中で英語を話せる大卒者を、毎年もっとも多く輩出する国でもある。いずれにせよ、インドで英語ができる者の総数はアメリカに次いで多く、控えめに見積もっても、旧宗主国・イギリスの総人口(約6400万人)の2倍あるのである。将来アメリカをも抜いて、世界でもっとも多くの英語話者を有する国になるという予測もある。また、ここ20年ほどで英語話者が10倍に増えたとの記事もある。


 母集団となる総人口が多いだけに、インドの英語話者は、その絶対数において、かなりの大きな数字になるのです。
 そのおかげで、インド人は言葉の壁をあまり意識せずに、海外で活躍することができるのです。
 ちなみに、インドでは英語が準公用語として、母語が異なるインド人同士のコミュニケーションに利用されているそうです。


 著者は、日本とインドでの日常生活の「違い」について、こんな話をされています。

 ペットボトル入りの飲料水を買う時、キャップがすでに開いていないか確認する日本人は何人いるだろうか。インドでは、これをしないとどんな水を飲まされるか見当がつかない。ただの水(つまり飲めない)に中身が詰め替えられていることがあるのである。インド人は、お釣りでもらった紙幣なども、日に透かしたりして傷みを入念にチェックしている。
 お金といえば、日本人はお釣りをもらった時や、金銭の授受の際にいちいち金額を確かめることは少ない。金額を数えることは相手を信用していないことを暗示し、失礼にあたるとの心遣いも働く。こういう日本人だから、外国で両替しても紙幣はまず数えない。インド留学中に銀行で預金を下ろし去ろうとした時、窓口の女子行員に止められ「数えろ!」と命令形で指示されたことがある。インド系の銀行ならともかく外資系なのでごまかされるはずはないと、たかをくくっていたのである。よく見るとインド人は皆、受けとった金をその場で数えている。その場を立ち去ってしまうと、文句のつけようがないからである。
 日本における人間関係や社会は、信用と信頼が前提となって成立している。少なくとも多くはそう考えている。ところがインドでは人がよくてはやっていけない。相手の素性や善悪を確認してから対処しなければ自滅してしまう。信用や信頼が先行する文化・社会になっていないし、彼らもそう思っていないのである。


 多くの日本人にとっては、「ストレスを強く感じる環境」ですよねこれって。
 しかしながら、著者は、インドがこういう社会だからこそ、インド人たちは自己主張をきちんとするし、言葉を使ってのコミュニケーション能力が発達しているのではないか、と述べています。
 正直、僕にとっては「やりづらい相手」だとは思うのですが。


 インドを訪れた日本人は、強く惹かれるか、もう二度と行きたくないと思うかのどちらかだという話を聞いたことがあるのですが、たしかに「好き嫌いが分かれる国」みたいです。
 ただ、これからの世界で、インド人はさらに世界中に進出していくでしょうから、彼らを相手に交渉しなければならないことも、増えていくはずです。

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