琥珀色の戯言

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【読書感想】故人サイト ☆☆☆☆☆


故人サイト

故人サイト

内容紹介
更新直後に殺害・ツイート直後に事故死 リアルタイム闘病記録・自殺実況中継・ファン巡礼慰霊碑サイト それは遺書なのか、あるいはダイイングメッセージなのか!? 漂い続けるネット墓標を徹底調査!! ネット社会になってから、一般人が自らの死を予期しないまま書き込んだ文章がネット空間に無数に残される様になった。一方、死を受け入れた上で最後のメッセージをネットに残す者も増えてきている。4ケタにも上る膨大な「死者サイト」コレクションから特に印象的・特徴的・衝撃的な103 サイトを紹介。死はネットで学べる。


 こうしてブログを書いていると、ふと、「僕が死んだら、このブログはどうなるのだろう?」と思うことがあります。
 僕は死後の世界というのを信じているわけではないので、後はどうなろうが自分ではわからないし、どうしようもないのだけれども、「自分が死んでも、こうして書いた文章は、ネットのなかに残りつづけて、たまに誰かに読まれることもあるのではないか」などと想像することもあるのですよね。


 この『故人サイト』で、著者は、たくさんの「死者のサイト」を分類・整理し、「その後」の経過を追跡して紹介しています。
 若者が希望を抱いて世界旅行に出発した直後に、事故に巻き込まれて死亡したサイト。
 殺人事件の犠牲になった人が、その直前まで書いていた、何気ない日常。
 病魔に冒され、少しずつ衰えていく身体を克明に描いたブログ。
 自殺を「実況中継」した人。
 

 テレビや本で紹介される「死」の多くは、有名人のものやドラマチックに演出されたものです。
 故人や遺族にとって都合の悪い部分は、慎重に取り除かれている場合も少なくありません。
 逆に、露悪的になりすぎている場合もある。
 ところが、ここで紹介されている「故人サイト」の多くは、亡くなった本人によって、そのときの気持ちが直に綴られているのです。
 だからこそ、整理されていない「揺れ」もそのまま遺されているし、感謝の言葉と後悔の念が交互に出てきたりもするのです。


 「死」というのは、結局、誰にとっても初めての体験であり、人それぞれ違うもの、なんですよね。
 その一方で、「他人に読まれる」ということが、その人を勇気づけることもあるし、死への衝動を加速してしまうこともある。
 この人は「生中継」という舞台装置がなかったら、周囲の「暗い期待」を感じていなかったら、自殺しなかったのではなかろうか? 
 もちろん、そんなことは誰にもわからないのだけれども。
 急病で亡くなった人のTwitterには、体調不良を訴えるtweetがみられ、「このときに病院に行っていれば、もしかしたら助かったのではないか」などとも思うのです。


 しかし、闘病中の人へのネットでの接し方というのは、悩ましいところではありますね。
 イラストレーター・水玉螢之丞さんの2013年12月21日のTwitterでの発言。

「入院したとかのツイートを黙って「お気に入り」する人って、「ええっ!お大事に」とかリプするのは押し付けがましいとか考えてて、『TLで見落としたわけじゃないよ』って表現に使えると思ってんのかな…ソレぜんぜん違うしいっこも気配りじゃねえw 食らった本人はわりとムッとするからやめよう。」

 僕も「お気に入り」にはしませんが、Twitterの機能上、ブックマークのような意味で「お気に入り」にしてしまう人がいるのも、わからなくはないんですよ。水玉さんもそれはわかっているはずなのだけれど、それでも、こんなふうに「ムッとしてしまう」のが闘病中の精神状態というものなのだよなあ。


 この本、人間なんて、儚いものだな、という、澄んだ「無常観」だけではなく、ものすごくドロドロしたものを目の当たりにしてしまう記述も少なからずあるのです。
『日本一長い遺書』というブログの項より。

「自分がガンになったことを告げても、保険金のことしか話さない母のいる気持ちを、知っていますか。
 自分がガンになったことを知って、私名義のマンションから立ち退き要求の調停を起こす元夫がいる気持ちを、知っていますか。
 術後2週間で退院し、食事づくりから掃除洗濯まで、身の回りのことをすべて自分でしなければならない気持ちを、知っていますか。
 術後1ヶ月で、仕事に復帰して自分の生計をたてなければならない気持ちを、知っていますか。入院、検査、投薬で、毎月かかる医療費がいったいいくらなのか、知っていますか。」

 ドラマだったら、こんな母親や元夫には天罰がくだったり、主人公に奇跡が起こったりすることもあるでしょう。
 でも、現実は、そうではなかった。
「読まなきゃよかった」「知らなきゃよかった」と思うブログも、ひとつやふたつではありません。

 
 管理人が亡くなったあとのサイトを、著者は「お墓」にたとえています。
 著者の目に留まるくらいの人気・有名サイトでさえ、管理人がいなくなってしばらくすると、書かれていたブログのサービスが終了したり、使用料が払われなくなったりして、消えていくことが多いのです。
 その知名度を利用しようとする「出会い系業者」などの宣伝書き込みが掲示板にあふれてしまうことも多々あります。
 お墓がお参りをする人によって維持・管理されないとどんどん荒れていくように、デジタルの世界でも、誰かがメンテナンスしていないと、故人のサイトはどんどん荒廃していくのです。
 「お墓」なんて、「物質へのこだわり」の最たるもののはずなのに。
 人類が生み出した「バーチャルの世界」の故人サイトやホームページでも、同じように「遺された人のたゆまぬ努力」がないと、「墓地」はすぐに荒れ果ててしまう。
 「故人サイト」が見られる状態で公開され続けるためには、遺族やファン、友人など「目に見えない、生きている人の力」が必要なのです。


 ちなみに、Facebookには、こんな機能があることが紹介されています。

 Facebookの場合、「追悼アカウントのリクエスト」ページを開いて、亡くなったユーザーと亡くなった日付、その証拠となる記事のURLなどを入力すれば、運営側の査定を経て、無関係者による書き込みをブロックする追悼アカウントに切り替えてくれる。故人のページを守るなら利用しない手はないだろう。

 僕はこの機能、知りませんでした。
 もともとFacebookをほとんど使っていない、というのもありますし、ネット内で活動的なユーザーというのは、まだそんなに高齢ではない人が多いので。
 でも、確実に高齢化はすすんでいるし、時間が経てば、亡くなる人も出てきます。
 最大の問題は、次が僕の順番かもしれない、ということなのですけど。


 アメブロの場合は、死後もスパムコメントの削除など、ブログをメンテナンスしてくれる場合もあるようです(たぶん、有名人限定だとは思いますが)。
 また、遺族がアカウントを引き継いだり、「死亡報告」を書き込むこともあります。


 「消える」あるいは「突然更新が途絶えるサイト」というのは、必ずしも「管理人の死」を意味しているわけではなくて、飽きて更新しなくなったとか、もともと来訪者が少なかったので、告知なしで移転した、というようなケースも少なからずあるようです。
 著者は、この本を上梓するにあたって、慎重に裏取りをして、管理人が亡くなったという事実にある程度証拠があるものを選び、可能なものに対しては、現在の管理人や遺族に連絡をとって掲載したそうです。
 この「故人サイト」、ひとつ間違えば、他人の死を弄ぶようなコンセプトなのだけれど、きわめて誠実に書かれたものだと感じました。


 著者は、「おわりに」のなかで、こう述べています。

 死はインターネットで学べる。
 知ることは後ろめたいことではない。
 大切にするということは、腫れ物扱いすることではない。


 少なくとも、「公開」されているネット上のテキストは「読まれたい」あるいは「読んでもいい」という意志で書かれたものです。
 ならば、それに触れるのは、悪いことではない。
 それこそ、「お墓」を訪れるような節度を持って、であれば。


 ただ、僕はこうも思うのです。
 結局のところ、インターネットで学べるのは「他人の死」でしかないのだよな、って。
 「自分の死」は、自分自身で思い知るしかない。
 できれば遠慮したいものではあるけれど。

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