琥珀色の戯言

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【読書感想】バイエルの謎 ☆☆☆☆


バイエルの謎: 日本文化になった教則本 (新潮文庫)

バイエルの謎: 日本文化になった教則本 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
ミドミドミソミド…。誰もが習う初級ピアノ教則本として、明治以来100年以上、日本人の音楽教育の基礎を担った「バイエル」。でも、その作者の経歴はなぜか誰も知らない。疑問に感じた著者はチェルニー偽名説、ペンネーム説など通説を再検討する一方、各国のオリジナル初版を手がかりに、そのルーツを探す旅に出た。遠く異郷で出会った驚きの新事実とは?魅惑の音楽紀行が始まる!


 懐かしいなあ、バイエル!
 僕も子供の頃、一時期だけでしたがピアノを習っていて、とりあえず『バイエル』はクリアした記憶があります。
 今では最初の曲も弾けないとは思うのですが……


 僕は『バイエル』について、ほとんど何も知らなかったのだな、とあらためて思い知らされました。
 僕がピアノを習っていた、1970年代後半から1980年代前半にかけては、「まず『バイエル』」というのが、子供のピアノ教室の通常ルートだったような気がします。
 といっても、他の教室がどうしていたかなんて知るよしもなく、「ピアノって、こういうものなんだろうな」と思いつつ、「男子の同級生に『ピアノを習っている』なんて知られたら、軟弱っぽくて、ちょっとカッコ悪いな」と心配していたのが僕の子供時代のピアノの記憶です。
 もっとちゃんと練習しておけばよかった、と今となってはもったいなく感じてしまうのですが、30年前の地方都市の小学生男子にとって「ピアノ教室」なんていうのは『ドラえもん』のスネ夫が通っていそうな、お坊ちゃんの習い事、だったんですよね。
 

 そんな懐かしい『バイエル』なのですが、この本の冒頭で、著者は『バイエル』が日本でのみピアノ教則本として長年珍重されてきたことと、ある時期を境に、批判の対象となり、急速に使われなくなってきたことを紹介しています。

 バイエルは日本で長く愛されてきた子どものためのピアノ教則本である。長く使い込まれて、手入れがよく行き届き、日本人にすっかりなじんだピアノ教則本である。バイエルの百六番までの番号の一つひとつは幼い子どもの成長記録そのものであった。だから、日本でピアノの初心者が使う教則本といえば、バイエルに決まっていた。風向きが変わってきたのは、平成二年(1990年)前後から。バイエルをいまだに使っているのは日本だけ、と指摘されてからのことである。それまで安心して使っていたバイエルがとたんに疑わしくなってきた。偽物をつかまされたような気がして、信頼が揺らぎはじめた。
 なぜバイエルであって、他の教則本ではなかったのか。ピアノ入門書としてなぜバイエルだけがこんなにも長く使われてきたのか。つきつけられた質問に誰も答えられなかった。答えられないということにはじめて気がついた。


 誰もが知っている『バイエル』なのですが、それをつくったのがどんな人なのか、実は、誰も知らなかったのです。
 著者は、この『バイエルの謎』を突き止めるべく、長い時間をかけて、バイエルが暮らしていたとされるドイツの諸都市や『バイエル』を出していた出版社、『バイエル』の昔の版が収蔵されている世界各国の図書館などを駆け回り、多くの人々のサポートを受けながら、この謎に取り組んでいくのです。
 

 この本は「調査の結果、わかったこと」だけではなくて、その調査のプロセスや、行き詰まり、それを打開したきっかけ、そして、協力してくれた人々のことなどが、かなり詳細に描かれています。
 読んでいると、自分も一緒に調査しているような気分になって、なかなか答えに辿り着かないことがもどかしくなってもくるのです。
 バイエルという人は実在せず、編曲を生業とした人、あるいは集団のペンネームだったのではないか、という推論などもあり、これだけの(日本にとっては)有名人であるにもかかわらず、その痕跡が地元とされる地域でもほとんど残されていなかったのです。
 そして、バイエルについて書かれた記録には、あまり好意的とはいえないものもありました。


 1879年に出版された『グローヴ音楽事典』(初版)に載っているバイエルの記事には、こんなふうに書かれているそうです。

 バイエル、フェルディナント、1803年生まれ。まあまあのピアニストでまずまずの音楽家。彼の名声は膨大な数のやさしい編曲、改作、メドレー、ファンタジー、気晴らしの曲といったものによるものである。これらの気軽な曲は二流の愛好家や女学校の音楽教師たちの楽しみや教授の需要に応じたものであった。書籍出版社と同様に、音楽出版社も「便利屋」をかこっていた。バイエルはそういった技能でマインツのショット社の専属として働いた。1863年にマインツで亡くなった。

 「率直」というか、「容赦ない」というか……
 僕はこれを読みながら、『銀河ヒッチハイク・ガイド』かよ!と心の中で呟いてしまいました。
 でも、このバイエルが、日本の子供の音楽教育には、大きな影響を与え続けてきたのです。


 この本を読んでいて驚かされたのは、著者が尋ねたドイツなどのヨーロッパが人々の「歴史」をものすごく大切にしているということでした。
 有名人だけではなく、19世紀に生きていた市井の人々の出生や洗礼、死亡の記録の多くが、戦争で焼失していなければ、いまでも閲覧することができるようになっているのです。
 日本でも、自分のルーツに興味がある人はいると思いますが、よほどの有名人でもないかぎり、それを辿ることは困難なはず。
 ヨーロッパの教会が人々の記録を残していたのは、善意だけではなくて、徴税のため、という理由もあったのですが。
 著者が訪れた先で頼った人々は、この東洋からやってきたモノ好きな人の調査に協力してくれるのです。
 図書館員はそれが仕事なのかもしれませんが、それにしても、日本の公立図書館で同じことをお願いしたら、「言われた資料は出すけれど、基本的には自分で調べてください」と言われるのではないかなあ。


 著者が辿り着いた「バイエル」の正体とは?
 バイエルという人は、本当に実在したのか?


 この本のラストには、ある「どんでん返し」が秘められています。
 今の世の中で、ノンフィクションを書くことの意味について、ちょっと考えさせられる話、なんですよね。
 

 バイエルの序文には、専門の教師につける前に、両親が我が子を自ら手ほどきするための教則本であるという内容が書かれているが、それはこういう意味だったのか、と今は了解できる。バイエルは母との幼い日々の思い出をバイエル第一部に再現したのだと思えてしかたない。


 「バイエル世代」である僕にとっては、歴史のなかで「こんなの使っているのは日本人だけ」と貶められた『バイエル』を著者がまた、親しみを感じるものにしてくれたことに、感謝したくなりました。