琥珀色の戯言

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【読書感想】帳簿の世界史 ☆☆☆☆


帳簿の世界史

帳簿の世界史


Kindle版もあります。

帳簿の世界史 (文春e-book)

帳簿の世界史 (文春e-book)

内容紹介
「権力とは財布を握っていることである」


アダム・スミスカール・マルクスマックス・ウェーバー……。
彼らが口を揃えて主張していた「帳簿」の力とは、一体何なのか。


これまでの歴史家たちが見逃してきた「帳簿の世界史」を、
会計と歴史のプロフェッショナルが初めて紐解く。


・なぜスペイン帝国は栄え、没落したのか。
・なぜフランス革命は起きたのか。
・なぜアメリカ独立は成功したのか。
・なぜ日本は急速に列強へ追いつくことができたのか。


その歴史の裏には全て、帳簿を駆使する会計士たちがいた!


 ああ、家計簿くらい、ちゃんとつけておかなくてはなあ!
 ものぐさな僕は、この本を読みながら、何度も決心したのです。
 あんなめんどくさいもの、つけたところで、お金が増えるものじゃなし、とか思っていたのだけれど、家庭から近代国家まで、「帳簿をつけて、収支をきちんとあわせる」というのは、本当に大事なことなんですね。
 まあ、この本を読んでいくと、一般的な家計簿のような「単式簿記」では、不十分なところもある、というのもわかるのですが。

 本書はこの問題に切り込み、会計責任を果たすことがいかにむずかしいかを知るために、700年におよぶ財務会計の歴史をたどる。会計は事業や国家や帝国の礎となるものだ。会計は、企業の経営者や一国の指導者が現状を把握し、対策を立てるのに役立つ。その一方で、会計がきちんとしていなければ、破綻に拍車をかけることになる。2008年のグローバル金融危機はその端的な例と言えよう。ルネサンス期のイタリア、スペイン帝国ルイ14世のフランスからネーデルラント連邦共和国大英帝国、独立初期のアメリカにいたるまで、一国の浮沈のカギを握るのは政治の責任と誠実な会計だった。よい会計慣行が政府の基盤を安定させ、商業と社会を活性化するのに対し、不透明な会計とそれに伴う責任の欠如が金融の混乱、金融犯罪、社会不安を招いてきたことは、何度となく歴史が証明している。


 この本を読むまで、僕は「単式簿記」と「複式簿記」の違いさえ、知らなかったのです。
 40年以上も生きてきたというのに!
 でも、僕のような人間が少なからずいるからこそ、会計というのは専門家にしかわからず、「タコツボ化」して、不正が見抜かれにくくなっているんですよね。


 単純にお金の出入りを記録するだけの「単式簿記」は、古代メソポタミアの時代からあったそうなのですが、「複式簿記」が生まれたのは、ずっと後のことでした。

 複式簿記なしには近代的な資本主義は成り立たないし、近代国家も存続できない。複式簿記は、損益を計算し、財政を管理する基本的なツールである。その発祥の地はトスカーナと北イタリア各地で、1300年頃だったとされる。言い換えれば古代と中世の社会には存在しなかったのであり、複式簿記の誕生は、資本主義と近代政治の幕開けを意味した。では、「複式」とはいったい何を意味するのだろうか。家計簿や銀行通帳のような単式簿記では、単一の勘定における現金の出入りを記録するだけである。これに対して複式簿記では、現金の増減だけでなく、それに伴う資産の価値も表すことができる。帳簿の中央に線を引いて、左を借方、右を貸方とし、一つの取引では必ず借方・貸方が対になり、また貸借は必ず同額になる。たとえばヤギを売るたびに、入ってきた現金を借方に、出て行った商品を貸方に記入する。取引が完了したら、あるいは期末に、集計して利益または損失を計算する。収支尻を確定したら、借方と貸方に線を引いて勘定を締め切る。こんな具合に帳簿をつけていれば、いま現在は赤字なのか黒字なのか、つねに把握できる。
 複式簿記は、会計の基本的な等式を表す。それは、ある組織が管理する資産は、債権者の権利および所有者の持ち分と必ず等しくなる、というものだ。この等式のおかげで、企業や政府は資産と負債の状況をいつでも追跡でき、したがって横領を防止しやすい。資産、収入、そしてもちろん利益といった実績を表す数字を明確に示してくれる複式簿記は、財務計画を立て、実行し、責任を果たすための有効なツールとなる。

 たしかに、「単式」の場合は、嘘が書いてあっても、外部からそれをチェックするのが難しい。
 「複式」なら、帳簿を追跡していけば、矛盾があったり、実体がなかったりするものを発見するのは容易になります。
 ただ、現在のように金融システムが複雑になり、帳簿の真ん中に線を引いて、それぞれに借方と貸方を記入する、というようなやり方が困難になると(基本は同じことなのでしょうけど)、この帳簿が公開されていたとして、不正があっても素人には見抜けない、という問題がでてくるのです。
 読んでいて痛感するのは、結局のところ、「会計のセンスがあって、かつ、信頼できる人間を財務の責任者に据えることができるか」というのが、近代国家にとって非常に大きな問題である、ということなんですよね。
 有能であることと、誠実であることを兼ね備え、それを任期中にずっと持続するのは、とても難しい。
 さまざまな国王が、国家の財政を健全化する、という目的で会計のできる人物を登用しては、財務に縛られて身動きがとれなくなることや、赤字を延々と報告されることに耐えられなくなって罷免する、というのを繰りかえしています。
 また、近代国家の国民も「会計」をそんなに理解しているわけでもなかったのです。
 誠実な財務担当者は、現実を知りたくない国王や貴族からは疎んじられる一方で、国民の多くからは、なんか計算好きの、細かいことにこだわるめんどくさい人、というくらいのイメージでみられていました。


 オランダ東インド会社(VOC)の支配人となったヨハネス・フッデという人は、こんなことをしていたそうです。

 自分の狙いをはっきりさせるために、フッデは基本方針と例題をVOCに送りつけた。コスト管理の基本を教えるための例題である。「ある商人が100ポンドの胡椒の在庫を持っているとしよう。年間の販売量は50ポンド、年間生産量は50ポンドだとしたら、倉庫に保管されている100ポンドの胡椒の価値はどれほどか?」。答は「ゼロ、それどころか保管料その他の経費を考えたらマイナス」だとフッデは言う。単に帳簿をつけるだけでなく、利益を上げるためには、このようにつねに価値を意識することが重要だと彼は強調した。そしていかなる取引も、必ず借方、貸方を同時に記帳し、利益と損失を認識するよう指導した。


 歴史上、会計の重要性は認識されてきたし、多くの人が、それを明示しようとしてきたにもかかわらず、その結果がうまくいった例というのは、そんなに多くはないのです。
 もちろん、現在は13世紀よりは「進歩している」はずなのだけれど、それでも(それだからこそ)、リーマンショックのようなことが起こってしまう。


 あの高級陶器で有名なウェッジウッドの成功の秘密が会計にあったり、アメリカ建国の父、ジョージ・ワシントンが、独立戦争の際、司令官としてのプレッシャーにさいなまれてか、自費でものすごい贅沢をしていた、という話が紹介されていたりしたのも興味深く読みました。
 ちなみに、「告発」されたワシントンは、そのどんちゃん騒ぎの帳簿を国家の監察官に提出し、結果、「国家財政への悪影響はなかった」ということで無罪放免されています。ワシントンは、のちにアメリカ初代大統領になりました。


 現在の監査法人というのは、コンサルティング会社を兼ねていて、「独立の立場から監査している」というのは、建前だけになっていることを著者は嘆いています。

 なにしろ、独立の立場から監査をすると称しながら、その監査対象企業から巨額のコンサルティング契約を受注していたのだから。

 本当に、そうだよなあ、と。
 アメリカを揺るがせた『エンロン事件』では、監査の担当者はエンロンの不正に気付いていたにもかかわず、会社が巨額のコンサルティング料を受け取っていたこともあり、なかなか表沙汰にできなかったようです。

 本書でみてきたように、ルネサンス期のイタリアやスペイン、フランスといった強大な王国から、オランダ、イギリス、アメリカなどの商業国家にいたるまで、会計の発展には一つのパターンがある。最初にめざましい成果を上げたかと思うと、いつのまにかあやしい闇の中に引っ込んでしまうのである。商業や金融が最も発達した文化においてさえ、ディケンズが雄弁に書き立てたように、会計は「すばらしく輝かしく、途方もなく大変で、圧倒的な力を持ち、しかし実行不能」だった。会計は人間の能力を超えており、数字と書類の迷宮の中からその威力を発揮するには幸運の助けを借りなければならない、とディケンズは考えていた。
 何世紀にもわたって会計責任を確立する努力が続けられてきたことを考えると、いまだに監査が効率的に行われず、企業や政府が責任を果たさずにいるのは、理解に苦しむ。だがこれにもお決まりのパターンがある。会計改革というものは、始まると直ちに頑強な抵抗に遭う、ということである。しかもテクノロジーの発達は、会計の仕事をむしろ一段と困難にした。規制当局も監査人も途方もない数字の山にたじろぎ、取引の高速化に手を焼き、デリバティブ証券化技術を駆使した複雑な金融商品にはお手上げ状態である。


 会計の重要性はみんな分かっているはずなのに、実行するとなると、一筋縄ではいかない、その繰り返し。
 ほんと、めんどくさいことって、苦手な人は多いですよね。
 会議でも「収支報告」とかがはじまると、「どうせ聞いてもわからないんだから、早く次の話題にいってくれないかな……」なんて、僕もつい考えてしまうのです。
 そもそも、これからどんどん複雑になっていく情報をコンピュータが「処理」したものを、人間が「監査」することが可能なのだろうか?
 いまは可能だとしても、近い将来、無理になるのは目に見えています。
 コンピュータの処理能力の進歩ほど、人間は進化できていないのだから。