琥珀色の戯言

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【読書感想】日本の路地を旅する ☆☆☆☆


日本の路地を旅する (文春文庫)

日本の路地を旅する (文春文庫)


Kindle版もあります。

日本の路地を旅する

日本の路地を旅する

内容紹介
大宅壮一ノンフィクション賞受賞。中上健次はそこを「路地」と呼んだ。「路地」とは被差別部落のことである。自らの出身地である大阪・更池を出発点に、日本の「路地」を訪ね歩くその旅は、いつしか、少女に対して恥ずべき犯罪を犯して沖縄に流れていった実兄との幼き日の切ない思い出を確認する旅に。


 2010年に「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞した本だそうです。
 著者の上原善宏さん自身も「路地」の出身で、これまでに被差別部落を題材にしたノンフィクションを上梓されてきました。
 上原さん自身は、(昔の人のような)「あからさまな差別」みたいなものをさほど受けた記憶はない、とどこかで書かれていた記憶があります。
 上の世代の「差別」に対する闘争と、自分が生活している感覚とのギャップ、そして、「差別されている感覚」がいまひとつ実感できないからこそ、その「ルーツ」にとらわれてしまう面もあるのかもしれません。
 この本は、「路地」について書き続けられてきた、ひとりの作家の話から始まります。

 それが中上健次の墓だった。被差別部落のことを「路地」と読んだ唯一の人である。中上によって被差別部落は路地へと昇華され、路地の哀しみと苦悩は、より多くの人のものとなった。
 路地というと、家々が軒を連ね、小路が迷路のようになっているイメージがある。怒りや哀しみといった感情、さまざまな信条や利害が絡み合う、混沌とした被差別部落によく合う名だ。
 ただ被差別部落のほとんどは、何の変哲もない住宅地や農村の集落である。路地という言葉は、どちらかというと都市部にある被差別部落を思わせる。
 路地はより多くの人が行きかい暮らすところでもあり、人々の生活が凝縮された小さな宇宙ともいえる。だから私も中上健次に倣い、いつの頃からか被差別部落のことを路地と呼ぶようになった。その方がより人が行きかう、自由で一般的なイメージがするからだ。
 そんなことを考え、私はさまざまな意味で、独りで旅するなかで路地を見つめ直したいと重いつづけ、やがてそんな旅に出るようになった。


 この本のなかで語られる上原さん自身の「路地」の思い出は、けっして暗いものではなくて、雑然としてはいるものの、人と人とのつながりが濃厚な、懐かしい場所なのです。
 それは、多くの人が「故郷」について抱いているものと、たぶん、同じようなもののはず。
 ただ、他の人から「特別な場所」だと思い込まれている分だけ、上原さん自身にとっても「特別な感触」はあるのかもしれません。

 
 だからこそ、上原さんは、全国各地の、いまや失われつつある「路地」を巡る旅に出たのです。
 そうやって、「路地出身であることを利用して、取材をしてしまう自分自身への嫌悪感」とも向き合いながら。
 実際、路地の人々も、「仲間」である上原さんに対しては、比較的打ち解けやすいようにも感じられます。


 若い世代にとっては、あまり「非差別部落」というものへの実感がないのも事実でしょう。

 また、この旅を始めたもう一つの理由は、路地を私なりにスケッチしていくことにあった。私が東京に移り住んだとき、よく聞いたのは次のような疑問であった。
「非差別部落や同和地区というのは、言葉として聞いたことはあるが、実際に見たことがない。いったいどういう所なのか、今もまだあるのか」
 生まれ育った故郷に路地があった人でも、若い人だと知らないまま大人になった人も少なくない。今や出身者でも路地を知らず、結婚のときに初めて知らされることがある時代だ。
 そのため具体的に路地を見た、歩いたことがないという人にも、全国の路地をスケッチした物語を読むことによって、ある程度は知識として知ってもらえるのではないかと思った。やはり、知らないと理解も共感も難しい。


 この本はまさに、「全国各地の路地の現在をスケッチした物語」になっています。
 「被差別部落」という言葉は知っていても、それがどんなところか、今、どうなっているのかすぐにイメージがわく人は少ないはず(僕もそうでした)。
 上原さんは、全国で500以上の路地をまわったそうなのですが、路地は日本全国に6000以上もあるのだとか。
 

 それにしても、こうして路地に住んでいた頃を思い出すと、あのとき、路地を出ていなかったらどうなっていただろうかと考えることがある。
 なぜならその後、中学生から大学生になるまでの間に、よく人から「更池を出て良かったね」と言われることになるからだ。それは差別的な意味ではなく、どちらかというと「ああいう路地の偏った教育を受けなくて良かったね」という意味があるようだった。しかし、少なくとも、私や兄は、路地から引っ越したくなかったのは確かだ。兄にも私にも、幼児の頃からの幼なじみがたくさんいたからだ。
 更池が大好きだった私はとなり町に引っ越してからも、夏休みや冬休みになると、兄と一緒に電車に乗って路地に通っていた。路地では一般地区よりも地元の結束がとても固かったので、その分、私にも仲の良い友達が多くいたからだ。
 当時の私たちにとって、路地はとても居心地の良い場所であった。周囲の一般地区の人々から奇異の目で見られたであろうデモ登校「ゼッケン登校」でさえ、目立ちたがり屋でおっちょこちょいだった私にとっては、ちょっとしたお祭り騒ぎで楽しいものだった。長屋の延長のような団地住民との付き合いも、幼い私には楽しい思い出であった。

 私の世代にとっては、受けたことのない差別や、一生に何度もあるわけではない結婚差別を心配するよりも、路地というものを背負ったことによる間接的な影響の方が大きいように思う。たとえば、更池で子供会の世話役をしていた竹本さんという人は以前、幼なじみのトシや私の家庭をかえりみてこう言ったことがある。
「上原のお父ちゃんもみんな貧乏やったから、学校もろくに行かんと肉仕事してたやろ。あれは重労働やんか。みんな結婚も早い。そこに法律ができて急に金回りがよくなったもんやから、青春を取り戻すかのように遊びに出て家庭崩壊。子供はぐれて『やっぱり部落は怖い』と、こうなるわけや。更池にはこんな家が多いわな」
 更池を40年にわたって見続けてきたこの竹本さんの言葉は、更池の構図を極めて単純化したものだが、一つの真実をついている。ここでいう「法律」というのは、第一章で述べた「同対法(同和対策事業特別措置法)」のことで、それ自体はスラム化していた路地の環境を整備するのに役立ったが、同時にさまざまな矛盾や問題点をも生み出した。これは日本だけの問題ではなく、欧米社会でも社会的弱者を救済する目的でつくった法律で、同じような問題が起こっている。


 本当は「路地」という場所や、そこに住んでいる人が怖いのではなくて、急激な環境の変化があれば、誰だってそうなってしまうにもかかわらず、「やっぱり路地は怖い」と周囲の人は思い込んでしまうのです。


 上原さんは、この本の最後の章で、「恥ずべき犯罪」をおかして、地元を離れているお兄さんに会いに行くのです。
 そこで、上原さんが見たものは……って、そんな大げさなものじゃないんですよ。
 でも、だからこそ、「人と人との結びつきと、断絶」について、なんだかとても沁みるものがありました。
 それは「路地」のせいなのか?
 そんなの、誰にもわからないし、因果関係を証明することなんて、できないのだけれど。