琥珀色の戯言

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【読書感想】サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠 ☆☆☆☆


サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠

サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠


Kindle版もあります。

サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠 (文春e-book)

サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠 (文春e-book)

内容紹介
複雑化する社会に対応するために、組織が細分化、孤立化することを「サイロ」と呼ぶ。
世界の金融システムがメルトダウンし、デジタル版ウォークマンの覇権をめぐる戦いでソニーがアップルに完敗し、ニューヨーク市役所が効率的に市民サービスを提供できない背景には、共通の原因「サイロ」がある。
文化人類学者という特異な経歴を持つ、フィナンシャル・タイムズ紙女性編集長による話題の書。


【目次】
はじめに なぜ、私たちは自分たちが何も見えていないことに気がつかないのか?
序章 ブルームバーグ市長の特命事項
第一章 人類学はサイロをあぶり出す
第二章 ソニーたこつぼ
第三章 UBSはなぜ危機を理解できなかったのか
第四章 経済学者たちはなぜ間違えたのか?
第五章 殺人予報地図の作成
第六章 フェイスブックソニーにならなかった理由
第七章 病院の専門を廃止する
第八章 サイロを利用して儲ける
終章 点と点をつなげる


 僕は医療の世界で20年くらい働いているのですが、医学が進歩するにつれ、診断も治療も複雑化していき、同じ「内科系」でも、循環器内科と消化器内科では、それぞれの守備範囲はまったく違ってきているんですよね。
 もちろん、風邪とか膀胱炎とかの一般的な感染症や高血圧や高脂血症のような生活習慣病は、みんなある程度は診ることができるのですが、糖尿病でもコントロールが難しくなると、糖尿病内科の医者にお願いすることが多いのです。
 僕が医者になりたての20年くらい前に、これまでの科別・疾患別から、臓器別の組織に再編しよう、という動きもあったのですが、なかなかうまくいっていないのが実情です。
 とりあえず具合が悪い人をなんでも診られる、という総合内科医の必要性も叫ばれ、いくつかの大学で「総合診療部」がつくられたのですが、それも「なんでも診られるけれど、専門的な疾患になると、踏み込んだ治療(手術や抗がん剤による化学療法など)はできないし、将来のキャリアが、大学に残って偉くなるか、それができない人は、「なんでもできる町医者」として生きていくしかなくなってしまう。
 医者の世界では、「なんでも屋」に対する評価が高まらないこともあり、一時は隆盛だった総合診療部も、運営が難しくなっているところが多いようです。
 「なんでも診る」ということになると、「どこの科でもあまり診たがらない、高齢者の老衰のような状況」を押しつけられたりもしていましたし。


 著者は「サイロ」について、冒頭でこのように述べています。

 2008年の金融危機を検証していくと、(統合されているはずの)単一の大手金融機関の中でも所属部門が違うとトレーダーはお互いに何をしているかまったく知らないという現実が見えてきた。また巨大な規制機関や中央銀行が、官僚組織の構造的にも世界観においても呆れるほど細分化されていて身動きがとれなくなっているという話も聞いた。政治家の状況も、信用格付け機関も一部のメディアも同じようなものだった。つまり金融危機に関係するありとあらゆる領域に、視野狭窄と部族主義という共通原因が存在していた。誰もがちっぽけな専門家集団、社会集団、チーム、あるいは同じ知識を信奉するグループの中に閉じ込められているようだった。それぞれの「サイロ」の中に。
 これは驚くべき発見だった。そして2008年の危機に対する世間の関心が次第に薄れていくなかで、私は自ら「サイロ・シンドローム」と名づけたこの現象が、金融業界に限ったものではないことに気がついた。むしろ現代社会のありとあらゆるところに見られる。2010年にフィナンシャル・タイムズのアメリカ版の編集長としてロンドンからニューヨークに赴任し、産業界や政府を取材するようになったが、そこでも細分化は顕著だった。


 著者は、文化人類学の博士課程に在籍しており、その経験を活かして、組織が「サイロ化」していくことの弊害と、それに対して改革を目指した人の成功例や失敗例を紹介しています。
 ビッグデータの時代になって、これまでは無関係だと考えられていたところに関連が見出されるようになったこともあり、「サイロ」には、さまざまな弊害があることもわかってきました。


 著者は、典型的な「サイロの弊害」として、ソニーを例示しています。
 1999年、ラスベガスの見本市で、ソニーは「3つの互換性のないデジタルウォークマン」を同時に発表したのです。
 「メモリースティックウォークマン
 「VAIOミュージック・クリップ」
 「ネットワーク・ウォークマン
 ソニーが凋落した事実を知っている僕からすれば、「なんてバカバカしい」と思うのだけれど、リアルタイムでそう感じた人は、むしろ少数派だったかもしれません。

 三つの製品は互いに競合する可能性があった。まるで自らの足を引っ張ろうとするかのように。
 この日の観衆には、こうした戦略のリスクはそれほど明白ではなかった。たくさんの新製品が発表されたのは、ソニーの多様なクリエイティビティの表れとむしろ好意的に受けとめられた。しかし何年も後にこのラスベガスの晩を振り返ったソニー幹部の中には、複数のデバイスの発表は来るべき災禍の不吉な前兆であったと見る者もいた。1999年にソニーが一つではなく二つのまったく異なるデジタル・ウォークマンを発表した理由は、社内が完全に分裂していたためである。巨大なソニー帝国の異なる部門が、それぞれ「ATRAC3」と呼ばれる、あまり互換性のない独自技術を使ってまったく異なるデジタル音楽プレイヤーを開発したのだ。異なる部門(サイロと呼んでもいいだろう)はどちらか一方の製品で合意することはおろか、アイデアを交換することも、共通の戦略を見いだすことすらできない状態だった。
 これがソニーを弱体化させた。数年もしないうちにソニーはデジタル音楽市場から完全にドロップアウトし、「アイポッド」を擁するアップルの独走を許した。ただサイロの存在以上に驚愕すべき事実があるとすれば、当時のソニーにはこうした分裂状態を正そうとするどころか、状況がどれほど手に負えないものになっているか気づいていた人すらほとんどいなかったことだ。ソニーは部族主義に陥っていた。しかし従業員はこのパターンに慣れっこになっていたため、そうしたことにまったく気づいていなかった。

 「サイロの内側」って、そういうのもなんだろうな、と僕は思うのです。
 当時のソニーでは「各部門が切磋琢磨して、内部で競争して良い製品をつくっている」と考えていました。
「選択肢はたくさんあったほうが、ユーザーは好きなものを選べるのだから、良いじゃないか」と。
 それに対して、アップルのiPodは、シンプルさやわかりやすさ、感覚的な「カッコよさ」を追求したのです。
 そして、そのiPodiPhoneもまた、時間が経つにつれ、「ユーザーの選択肢を広げる」ために、製品のラインナップが増えてきており(iPhone SEは、まさにそういう製品、なのではないかと)、歴史は繰り返す、ということなのでしょうね。
 あのときのソニーも、おそらく、「それぞれの製品に、それぞれのニーズがある」あるいは、「ユーザーがいちばん欲しいものを選んで、淘汰してくれるだろう」と考えていたはずです。
 「サイロ」の多くは、つくっている当事者にとっては「より専門的なところを掘り下げるために必要なこと」なんですよね。


 著者は、「組織の過剰なサイロ化」を意識的に避けようとしている組織の例として、facebookを紹介しています。

 Facebookでは、新人研修が6週間義務付けられており、新入社員が会社全体の様子をみられるローテーション制度を行い、配属先については、本人の希望を尊重するのです。
 研修期間中には同期入社の人たちとのつながりをつくり、その縁がそれぞれ別のチームに配属されたあとも続いていきます。
 これによって、社内のどの部門にも、一人は知り合いがいる、という状況をつくり、風通しをよくしています。
 また、同じ仕事を1年から1年半やっている社員に、何か月か「他の仕事をやる期間をつくるように勧める」という「ハッカー期間」を設けているそうです。
 その期間中は、多くの人が「それまでやっていた仕事とは、まったく別の仕事を選ぶ」のだとか。
 こうして、チームどうしのコミュニケーションを活発にし、「サイロ化」を予防しようとしているんですね。


 その一方で、著者はこう指摘しています。

 フェイスブックにはもう一つ、やや気がかりな問題がある。フェイスブックの顕著な特徴の一つは社員の同質性だ。技術者の多くは同じようなコンピュータ・スキルを学び、年齢は20代から30代前半に集中している。ほとんどがスニーカーにジーンズといった“制服”姿で、人生に対する考え方も似ている。このため社内に共通のグループ・アイデンティティを醸成し、サイロを打破するのは比較的容易だ。技術はみな同じようなタイプなので、チーム間の異動もそれほど難しくない。しかしフェイスブックの社員が独自のアイデンティティを持つ一つの社会集団として擁立されると、新たなリスクが生じる。将来的にフェイスブックそのものが巨大な社会的サイロになるかもしれない、というのがそれだ。


 僕もこのfacebookの話を詠んでいて、「このやり方が通用するのは、世界中からエリート中のエリートを集められる『天才集団』だからじゃないのかな」と思ったんですよね。
 お互いの能力を認めあえるような環境だからこそ、できるのではないかと。
 ソニーの社員だって、「エリート中のエリート」だったのかもしれないけれど。


 この本のなかでは、病院全体で「サイロ化」の打破を目指した「クリーブランド・クリニック」のエピソードも紹介されていて、大変興味深く読みました。
 ただ、僕としては、「これはすごいやり方だ」というよりは、「アメリカでは、あるいはクリーブランド・クリニックでは、これでうまくいったのか……」という印象だったんですよね。
 日本でも同じようなことが流行っていた時期があったことを前述しましたが、クリーブランド・クリニックでも、そんなに特別なことをやっているわけではないのに。
 

 この本を読むと、「サイロ化」の弊害を感じずにはいられません。
 インターネット時代になっても、「サイロ」はつくられ続けているというか、「コンピュータ技術」もまた「サイロ化」しています。
 

 組織のリーダーの力とか、構成員の意識だとか、そういうのが大きいのかもしれないし、組織というのは、「サイロ化」と、「サイロの破壊」を繰り返すことになっているのではないか、とも思うのです。

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