琥珀色の戯言

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【読書感想】ヘタウマな愛 ☆☆☆


ヘタウマな愛 (新潮文庫)

ヘタウマな愛 (新潮文庫)

内容紹介
遺影となった女房が微笑んでいる。俺は涙を止められなかった――。郷里の長崎で知り合った俺と女房は東京で再会。初デート、同棲時代、結婚生活、漫画家デビュー、芸能活動、賭け麻雀で逮捕……。いつも傍で支えてくれた女房のいない毎日が、こんなに淋しいなんて。ひとりぼっちじゃ生きられんから、新しい嫁さんが欲しい……。自由人・蛭子能収が綴る前妻との30年。感涙の回想記。


 テレビ東京の『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』での活躍(?)や、著書『ひとりぼっちを笑うな』のヒットもあり、「バラエティ番組でのいじられキャラ」から、「自由に生きたい人たちのロールモデル」にさえなってきた蛭子能収さん。
 2002年に出たこの本がいま文庫化されたのも、その「蛭子ブーム」に乗って、ということなんでしょうね。
 蛭子さんの前妻・貴美子さんは、2001年の8月に、51歳の若さで亡くなられました。
 ずっと体調が良いとはいえなかったものの、調子が良いときには旅行に出かけることもできるくらいだったのですが、突然倒れ、意識が戻らないまま、帰らぬ人となってしまったのです。


 この本は、蛭子能収さんが、奥様が倒れてから亡くなられるまでと、その1年後の心境、そして、時間を遡って、ふたりが出会ってから結婚し、家庭を築くまでのことが蛭子さんの視点で語られています。
 

 率直に言うと、「奥様は、なんで蛭子能収という人と結婚したのだろう?」って、思っていたんですよ。
 今の有名になって、たぶんそれなりに稼げている蛭子さんならともかく、昔は、ギャンブルばっかりやっている、ほとんど漫画で稼ぐこともできない「自称漫画家」だったのだから。
 しかも、描いている漫画は、お世辞にも「売れ線」とは言いがたいし。
 

 この本を読んでいると、蛭子さんに対して、むしろ、奥様のほうが積極的にアプローチしてきたようにもとれるのです。
 画材屋のお客だった蛭子さんを、貴美子さんが「見初めた」理由って、何だったのだろうか?


 僕もモテない人生を送りつつ、現在は結婚生活をおくっているので、まあ、世の中っていうのは、破れ鍋に綴じ蓋だよな、みたいなことを考えてみたりもするのです(妻が読んだら怒りそうだけど)。
 蛭子さん側からすれば、「長崎から東京に出てきて、東京にするコンプレックスがつのっていた時期に、長崎の言葉で気安く喋れる人」というくらいの存在でしかなかった貴美子さん。
 でも、そんな二人が、いろんなことがありながらも、お互いのおおらかな性格というか、価値観みたいなものが重なりあって(実際は、貴美子さんの妊娠、というのが入籍のきっかけになったそうですが)、離れがたいパートナーになっていく、というのは、なんだかとても「ふつう」だよなあ、と。
 蛭子さんというのは、なんだかものすごくヘンな人のようなイメージを持っていたのだけれど、その根っこには、「ふつうの高度成長期の日本人の暮らし」があって、家庭や奥様を大事にしていた部分もあったのです。

 女房は俺にとって妻であり、戦友であり、同士だった。俺のやることを何でも許してくれる聖母でもあった。
 俺は、そんな女房の懐に抱かれて、安心して好きなことができた。女房は俺のことが大好きだから、何でも許してくれるって、そう信じていた。何を言っても、何をやっても、女房が俺のことを嫌いになることはないって……。
 女房は生前、「行き当たりばったりでいろんなことを始めるから、オヌシとは一緒に暮らしてて飽きんわ」なんて言っていた。
 いつの頃からか、女房は俺のことを「オヌシ」と呼ぶようになっていて、俺がちょっと先に歩いて行ってしまうと、街中でも大きな声で、「オヌシ〜!」と叫んだものだ。
 子どもができたからといって、普通の家庭のようにお互いのことを「パパ」、「ママ」なんて呼びあうことはなかった。
 ふたりとも、そんな甘い呼び方が恥ずかしかったのかもしれない。


 僕は、ここまで、自分が愛されていることに自信が持てるだろうか?
 ……持てないよなあ。


 この本を読んでいると、売れない漫画家としての貧乏生活も、蛭子さんのギャンブル好きによる浪費も、貴美子さんは、「それはそれで楽しんでいた」ようにも思われるのです。
 それこそ、夫側からの証言、でしかないのだけれど。


 若い頃、「競艇の必勝法を発見した」という蛭子さんは、貴美子さんに「苦しい生活費のなかから、5万円渡してもらった」そうです。
 

 俺はその金を握りしめて競艇場へ行き、自分があみ出した必勝法に従って舟券を買った。
 でも結果は散々。見事にすってしまった。それも全額。
 家に帰って本当のことを言ったら、案の上、女房はものすごく怒った。
 物も飛んできた。
 それで、俺は反省して、1ヵ月間だけギャンブルをやめることにした。
 女房との約束は一生ギャンブルをやめるということだったが、俺にとってはその1ヵ月間は拷問に等しい時間だった。
 結局、俺は女房への罪滅ぼしとして、その1ヵ月間は仕事に精を出し、そしてマンガもいつもより少し真面目に描くことにした。
 もちろん、夫としての夜のお勤めも真剣にしたが……。

 
 奥さん、ダメですよそんなの渡したら!
 生活費をギャンブルにつぎ込む夫、というのは、僕が子どもの頃から、「浮気性」と並んで、「だらしない男」の双璧でした(ちなみに、蛭子さんは結婚してから貴美子さんが亡くなられるまで、一度も浮気をしたことはなかったそうです)。
 しかも、「1ヵ月ギャンブルをやめる」というだけで、この胸の張りかた。ひどい!
 このギャンブル依存症の男をなんとか世間に適応させてきたのは、奥様の力だったのでしょうね。
 この蛭子さんの「リアルダメ人間」っぷり、本当にすごいよなあ。
内助の功」としては、水木しげるさん夫妻に近いのかな、と思いつつ読んでいたのですが、水木先生は「こだわらない人」ではありましたが、けっこう働き者ではあったんですよね。
 それにしても、蛭子さんって、ああ見えて、超絶テクニック、とかを駆使していたのだろうか……とか、つい考えてしまったじゃないですか、この引用部を最後まで読んで。


 貴美子さんは、のちに、蛭子さんが「賭け麻雀事件」で謹慎になったときも、ショック療法のようなサポートで蛭子さんを支えています。
 

 死者との関わり方って、その人なりのやり方でいいんじゃないだろうか。女房も、俺と同じ考え方だった。
 もし女房に、最後の言葉を言う時間が許されていたら、「後はとにかく、楽しく、幸せにやってちょうだい」と言っただろう。
 そういうことの価値観については、ふたりともすごく似ていたので、自分のことのように分かる。
「いつまでも泣いてないで、元気ださんね」って、俺の背中をドンとたたいたかもしれない。
 生きている人には、自分の幸せを求める権利がある。
 だから、俺はこれからも自分のために生きていく。
 それが、女房に対して胸を張れることだと思うから。


 蛭子さんは、その後、再婚されました。
 「そんなつもりはなかったんだけど、縁があって……」なんて格好つけずに「淋しかったので、積極的に『婚活』をした」と、その顛末も含めて、けっこう赤裸々に「あとがき」に書いておられます。
 なんのかんの言っても「ひとりぼっち」じゃないよね、蛭子さん。


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