琥珀色の戯言

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【読書感想】非常識な建築業界〜「どや建築」という病〜 ☆☆☆☆


非常識な建築業界 「どや建築」という病 (光文社新書)

非常識な建築業界 「どや建築」という病 (光文社新書)


Kindle版もあります。

非常識な建築業界?「どや建築」という病? (光文社新書)

非常識な建築業界?「どや建築」という病? (光文社新書)

内容(「BOOK」データベースより)
2015年に騒動となった新国立競技場問題に続き、再コンペで選ばれた案にコンペ疑惑が浮上、横浜の傾斜マンション事件が発生するなど、建築業界の威信を揺るがす問題が立て続けに起きている。しかし、これらは氷山の一角にすぎない。建築の現場で起きていることを見れば、今後も似たような問題が起きる可能性は十分にある。いったい、この業界の裏では何が起こっているのだろうか?「どや顔」をした使いづらい公共施設で税金をムダにしないために、危険なマンションを買わないために、寿命の短い持ち家を建てないために―。知っておきたいこの業界の「非常識」な実態。


 「どや建築」って、なかなか良い表現だなあ、と思いながら読みました。
 実際のところ、「建物の善し悪し」って、素人の僕にはよくわからなくて、とにかく見た目がカッコいいことと、使い勝手が良いこと、丈夫であることが満たされていれば十分、という感じなのですが、これらを満たすというのは、実際はけっこう難しいことなんですね。
 時間も費用も土地も無尽蔵、というわけではないですし。
 この本では、「一級建築士・建築ジャーナリスト」である著者が、国内外、とくに日本にはびこる「どや建築」の問題点を建築素人の僕にもわかるように説明してくれています。
 著者は、ザハ・ハディドさんや現代建築家たちに「因縁」めいたものがあって、彼らの作品があまり好きじゃないんだな、というのも伝わってくるんですけどね。
 まあ、普通の人にとって使い勝手の良い建物をつくろうとしている人たちにとっては、「何だあれは」って思いますよね。それもわかる。
 「建築」というのは「実用」と「概観・アート」の両面があって、あちらを立てればこちらが立たず、ということになるのはとりあえずわかりました。


 著者は「はじめに」で、建築家の三つのタイプについて紹介しています。
 そのうちの三つめの「表現建築家」というのが「どや建築」を量産しているのです。

 一つの建物には、いくつもの価値が内包されます(明るい、暖かい、涼しい、広い、格好良い、新しい、楽しいなど)、住宅であればそこに住む家族の数だけ、公共施設であればそこを利用する人の数だけ、さまざまな価値基準で建物に接します。しかし表現建築家は、格好良い、新しいといった見た目の価値だけを追い求めていきます。そして彼らが設計する建物は、例外なく威圧的な「どや顔」をしています。どや顔をした建築(略して「どや建築」を次々と生みだし、都市を、地方を、日本社会をあらぬ方向に導こうとするのが表現建築家です。

 たかが建物で、日本社会を「あらぬ方向へ導こうとする」なんて……
 と言いたいところですが、著者が指摘しているように、とくに公共施設での「どや建築」というのは、自治体の財政や地域住民の生活環境に影響を与えるのも確かなんですよね。
 個人レベルでは「どや建築」をつくれるほどの予算は、なかなか出てこないでしょうし。


 著者は、身近な「どや建築」的なものの例をあげて説明しています。
 数年前に、ある市立の幼稚園を建て替える計画がもちあがったときの話だそうです。

 最終審査に残った2案は、それぞれ次のような特徴をもっていました。


(1)緑化型……エコロジーを推したもの
(2)バラバラ型……建築構造がパズル形式のもの


 (1)の緑化型とは、昨今流行している壁面緑化。屋上緑化を取り入れ、園舎全体を緑て覆ってしまおうという案です。この案に対し、建築分野から選ばれた審査委員たちは、「環境性を高めた計画案で地域拠点の建物としても好ましい」と、おおむね高評価を与えました。
 (2)のバラバラ型とは、これまた昨今流行の建築物を一つのかたまりとしてデザインするのではなく、歪んだキューブを積み重ねたように見せるという案です。こちらも建築分野の専門家たちは「空間とボリュームをデザイン的に等価に扱った計画案で新時代の建築を予感させる」と高く評価しました。
 しかし、こうした高評価の一方、審査委員の一員である幼稚園の園長先生はまったく別の意見を口にされました。最終候補者である建築家との質疑応答のなかで、次のような質問をされたのです。


(1)緑化型について
 園長先生「園舎を緑化すると虫がたくさん寄ってくると思うのですが、その管理はどうされるおつもりですか?」
 建築家「定期的に殺虫剤を撒いておけば虫はこないと思います。


(2)バラバラ型について
 園長先生「どうしてサイコロを積み重ねたようにデザインされたのですか? 屋根やベランダみたいなところが増えると、将来そこから雨漏りしないか心配です」
 建築家「施工時に防水処理を完璧にするので、雨漏りは絶対にしません」


 同じ計画案を前にしているにもかかわらず、建築分野の専門家と素人では、観点がまったく違うのです。そしておそらく読者の大半は(建築の素人だとしたら)、園長先生の意見を至極真っ当なものと受け止められるでしょう。園舎全体の虫除け対策が「殺虫剤を撒く」なんて、園児の保護者が耳にしたらたちまち非難囂々です。そのような計画案は良い悪い以前に、「非常識」以外のなにものでもありません。極論すれば、建築の専門家たちは「建物そのもの」しか見ていません。


 この事例は、「建築家と素人の解離」を象徴しており、ああ、こういう感じなんだな、というのがよくわかります。
 建築家は「目新しい、珍しい建物」をつくりたいけれど、それによって利用者が不便になったり、リスクを抱えたり、コストがかかったりすることには、そんなに頓着しない(ことが多い)。
 確かに、みんなが誇りに思えるような優れたデザインは、そこを利用する人のモラルを高めたり、地域のシンボルとして認められたりする、というメリットはあるのですが、それにしても、「利用者不在での、目新しさ競争」みたいなものが建築界にはあって、そこで評価された人が「建築家」として業界内で評価されている、という現実を著者は告発しています。
 ある有名建築家が建てたものは、収納スペースがきわめて少なく、人が住むと雑然とせざるをえないのですが、建築家は「(人が住んでいないとき、あるいは住みはじめた時期の)綺麗な写真が1枚撮れればいいから」と言っていたそうです。
 アートとはそういうものなのかもしれないけれど、それが「人を幸せにする建築」だと言えるのだろうか。


 著者は、この他にも、「建築の世界」は狭いので、事例によって審査する側とされる側が入れ替わることが多く、厳しいことが言えなくなっているという「コンペ」の実態や、熟練の工事現場監督がどんどんいなくなり、「タコツボ化」してしまったゼネコンでは、特殊な技能が受け継がれなくなってきていることについても書いています。


 それでも、地域活性化のわかりやすいシンボルとして「どや建築」はつくられつづけています。
 著者は「オリジナリティのある建物をつくるな」と言っているわけでは、けっしてないのですけどね。


 「建築」に関する地域活性化の試みとして、著者は、滋賀県長浜市の「黒壁スクエア」の事例を紹介しています。
 長浜は、豊臣秀吉織田信長から拝領していらい、現在まで基本的な地割りはあまり変わらず、日本の戦国時代や江戸時代の宿場町のような、伝統的な街並みが残っているのだとか。
 一時はシャッター商店街となり、観光客もほとんどいなかった長浜は、どのようにして広い年齢層が訪れる観光地として蘇ったのか?

 この街は、町おこしの補助金をもらったり新規の施設誘致をしたりするのではなく、すでにある江戸期の古い建物を少しでも昔の状態に戻そうという運動を、地元に戻った後継者たちが音頭をとって始めました。彼らの活動はいたってシンプル。町の住民たちが所有する建物をリフォームする機会があったら(あくまでも「リフォームする機会で」です、一斉にやるわけではありません)、「できれば外観は白色か黒色にする」「できれば庇(ひさし)を出す」「できれば瓦を使う」など、簡単で明確なルールを設け、それにしたがうようにしただけです。建築家は必要ありません。大工さんの知識と経験で十分対応できるルールばかりです。
 この運動が始まって20年後、その街並みはすっかり江戸期の情緒あふれる街並みに戻りました。それも、博物館のような冷めた保存施設の連なりではなく、生き生きとした活気あふれる観光スポットとしてです。地元住民が普通に暮らす場所でありながら、観光地としても機能している。着物を着て街歩きを楽しむためだけに、わざわざ足を運ぶリピーターも数多くいるといいます。


 そうか、「新しさ」に頼るのではなく、こういうやり方もあるのだなあ、と。
 時間もかかるし、長浜の特徴を活かしたものではありますが、だからこそ、大きなお金は必要ないし、目新しさがなくなっても魅力が失われないのです。
 

 著者は、国立競技場について「建て替え」を推奨していたそうですが、これから、人口が減り、財政規模も縮小していくことを考えると、「新しい巨大スタジアムの建築」よりも、「建て替え」のほうが、はるかに「先を見据えている」ような気がします。


 僕としては「どや建築」を見るのも、けっこう楽しみではあるのです。
 でも、それは「他人事として」なんだよなあ。
 やっぱり、殺虫剤まみれの幼稚園は、勘弁してほしい。


参考リンク:【読書感想】新国立競技場問題の真実 無責任国家・日本の縮図(琥珀色の戯言)