琥珀色の戯言

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【読書感想】科学者は戦争で何をしたか ☆☆☆☆



Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
ノーベル賞科学者・益川敏英が、自身の戦争体験とその後の反戦活動を振り返りながら、科学者が過去の戦争で果たした役割を詳細に分析する。科学の進歩は何の批判もなく歓迎されてきたが、本来、科学は「中性」であり、使う人間によって平和利用も軍事利用も可能となる。そのことを科学者はもちろん市民も認識しなければならないと説く。解釈改憲で「戦争する国」へと突き進む政治状況に危機感を抱く著者が、科学者ならではの本質を見抜く洞察力と、人類の歴史を踏まえた長期的視野で、世界から戦争をなくすための方策を提言する。


 益川さんって、こんな「反骨の人」だったのか……
 益川さんは、理論物理学者。専門は素粒子理論だそうです。
 2008年にノーベル物理学賞を受賞。

 
 この新書、その益川さんが、「科学と人間(あるいは、科学と戦争)」について書かれたものです。
 益川さんはノーベル賞を受賞するほど優秀な科学者なのですが、それと同時に「科学の危険性」についても、ずっと考え続けている人なんですね。

 実は、ノーベル賞受賞時に、もう一つ、カチンと来たことがありました。受賞記念で行う講演の原稿を書いたのですが、念のため内容に不備はないかと何人かの知人に添削を頼んでおいたのです。ところがその記念講演原稿が、どういうわけか出回って、いろんな人の目に触れてしまったようなのです。
 すると、ある大学の教授から、私の書いた記念講演に対して、間接的に批判の声が聞こえてきたのです。原稿には、私が幼い時に経験した戦争に関する話も含まれていました。批判はその部分に対してでした。ノーベル賞受賞記念講演というアカデミックな場で、戦争に関することを発言すべきではない、不謹慎であるというのです。
 しかし、そんなことは関係ありません。ダイレクトに私に忠告してくださるなら、堂々と私は議論していたでしょう。けれど陰でこそこそ言うのが最もたちが悪い。私からわざわざ論争を仕掛けることはしませんでしたが、どんな権威からの圧力であろうと、私は原稿の内容を一切変えず、記念講演では予定通り、私が幼い頃、唯一覚えている戦争体験を話しました。その話をするのが最もふさわしい場と思ったからです。
 なぜノーベル賞の記念講演で、戦争に関することを話してはいけないのでしょうか。むしろ私は、積極的に発言すべきだと思っています。これはこれから本書でお話する戦争と科学のテーマにも深く関わってくることです。


 いまの日本でも、「戦争体験を語ること」「戦争に公の場で反対すること」を批判したり、圧力をかけたりする人々がいるのです。 益川さんは「九条科学者の会」の呼びかけ人もされているそうです。
 そういう活動も、「ノーベル賞受賞記念講演」の場だからこそ、世間の耳目を集めることができる、というのも事実なわけで。
 ノーベル賞を授賞する側も、対象者を「下調べ」しているのですから、益川さんが「そういう科学者」であることは百も承知で、授賞したのでしょうし。


 この新書の冒頭に、書かれているこんなエピソードに、僕は驚いてしまいました。

 2014年10月に第二次安倍政権のもとで運用基準などが閣議決定された特定秘密保護法のことを私があるテレビ番組で批判したところ、その数日後に外務省の役人が私の研究室にやってきました。そして「先生が心配されるようなことは一切ない」と、私を懸命に説得するわけです。しかしそんな説得、私には通用しません。丁重にお帰り願いましたが、秘密保護というのは何を秘密にしているか分からんことが一番大きな問題なのです。そんなことは子どもでも分かることでしょう。
 この特定秘密保護法は、本来はオープンであるべき科学技術の開発に関しても暗い影を落としています。秘密保護法という法律のもとで、どんな技術が軍事に応用されるか、一般の人々はおろか、開発に携わっている科学者でさえ蚊帳の外に置かれる危険性があるからです。


 そうか、有名人が批判すると、こんな「工作員」みたいな人がわざわざ家までやってきて、「説明」してくれるのか……
 これって、「親切」なのか、それとも「圧力」なのか。
 どちらかというと、後者っぽい感じがするんですよね。
 益川さんも「安倍総理の野心をくじくために、憲法九条にノーベル平和賞を!」というようなことを書かれているので、僕も「そこまではちょっと……」と思うのですが、戦争経験者として、戦争に使われるおそれがある科学の研究者として、言わずにはいられないのだろうなあ。


 科学というのは、人間の暮らしを豊かにすることもできるし、効率的な人殺しの道具にもなりうる。
 ノーベルの時代のダイナマイトなどは、工事に便利なのは確かだろうけど、兵器として応用されることは予想できたはずだ、と僕も思います。
 ノーベル自身に「そのつもり」は無かったとしても。


 著者は、フリッツ・ハーバーというドイツの科学者を例示しています。
 ハーバーは、第一次世界大戦中に、ドイツのために毒ガス(塩素ガス)を開発します。

 しかし、ハーバー自身には、科学者としての悔恨はなかったようです。自分はドイツ軍を優勢に導いた功労者であり、毒ガスの開発に関しては祖国のために偉業を成し遂げたと自負していました。夫と同じように著名な化学者だった妻のクララは、毒ガスの開発に取りつかれた夫の豹変が理解できず、夫の戦地での行為に深く絶望して自ら命を絶ってしまった。それでもハーバーは、毒ガス開発をやめようとはしなかったのです。
 第一次世界大戦後、ハーバーは、アンモニアの合成法を発見したことでノーベル化学賞を受賞します。アンモニアは、化学肥料の合成に欠かせない物質です。人工的につくることができるようになったため、農作物の生産量も格段に上がりました。
 しかしハーバーは、戦場で塩素ガスを使用した首謀者としても有名でした。”人殺しに加担した化学者”です。当然、フランスやアメリカから受賞に対する異議申し立てがありましたが、受賞の決定は覆りませんでした。ノーベル財団は、戦場での悪行と、アンモニア合成の偉業を秤にかけ、食糧生産を向上させたという人類への貢献の方に重きを置いたのでした。


 あのアインシュタインも、原爆を開発するための「マンハッタン計画」で大きな役割を果たしています。
 アインシュタインは、後年、そのことを深く悔やみ、核廃絶運動に加わることになりました。


 ハーバーは「確信犯」だったわけですが、こんな事例もあるのです。

 数十年前、日本のビル街でテレビの電波がビルに反射し、画像がブレるゴースト現象が発生しました。そこである塗装会社に勤める科学者が、フェライトという酸化鉄を主成分とするセラミック入りの塗料を開発したのです。フェライトには強力な磁石作用があり、それを含んだ塗料をビルの壁画に塗ると電波を吸収してゴースト現象が起きにくくなるという画期的な開発でした。ところがその10年後、その塗料が米軍のステルス戦闘機に使われたことが判明したのです。通称「見えない戦闘機」。敵のレーダーに引っかからない驚異的な兵器です。
 もちろんその科学者は、「自分はそんなつもりでこの塗料を開発したのではない」と言うはずです。彼にしてみれば、人々が電波妨害なしに快適にテレビが見られるようになったこと、あるいはビル建築の技術においても画期的な発明をしたという自負こそあれ、自分の技術が兵器に使用されるなら、夢にも思わなかったでしょう。
 こうした例は他にはいくらでもあります。医学や化学の分野でも、病気の克服や疾病の流行を防ぐための研究開発が、細菌兵器や化学兵器への転用でテロリストに狙われることだってあり得ます。


 このような「民生にも軍事にも使用可能な『デュアルユース』」というのが、研究者たちを悩ませているのだと、益川さんは仰っています。
 このフェライトの例などは、まさに「そんなつもりじゃなかった」はず。
 それが、軍事利用につながってしまった。
 しかしながら、軍事利用=悪、と言いきれるのかどうか、というのもまた難しい問題ではあり、「味方の犠牲を減らし、効率よく敵を殺すシステム」というのは、「こちら側」からみれば「善」だとも言える。
 それは「原爆のおかげで、戦争は早く終わり、結果的に犠牲になった人の数は減った」というのと同じなのかもしれないけれど(ちなみに、この「原爆が終戦を早めた」のかどうかは、現在でも見解が分かれているようですが、非戦闘員を無差別に「虐殺」したということは紛れも無い事実です)。


 益川さんは、昔のような「国家による強制」ではなくても、たとえば、研究費の助成の可否とか、前述したような「圧力」のような形で、科学者が権力に脅かされていることを伝えています。
 

 結局のところ、どんな素晴らしい発見や技術も、使い方次第、なんですよね。
 そして、科学者は、どこまで責任をもつべきなのか。
 

 こんな硬骨漢が日本にいて、世界には、こういう人にノーベル賞をあげよう、と決めた人たちがいるのだな、と感心するのと同時に、ここまで国は目を光らせているのか、と怖くなりました。

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