琥珀色の戯言

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【読書感想】メカニックデザイナーの仕事論 ☆☆☆☆


内容(「BOOK」データベースより)
日本初のメカニックデザイナーが語る、デザイン論、職人論、営業論。


 大河原邦男さんの名前は知らなくても、大河原さんが描いたメカを見たことがない、という人は、ほとんどいないはずです。
 『ヤッターマン』や『機動戦士ガンダム』を観て育った僕は、この新書のカラー口絵を眺めているだけでも、なんだか子どもの頃に戻ったような気分になってしまうのです。
 表紙をめくると出てくる『劇場版ガンダム』の「ラストシューティング」のポスターなんて、いま見ても、『ガンダム』が大ブームだった頃の「熱」が伝わってくるようです。
 この本での大河原さんのコメントによると、この「ラストシューティング」のポスター原画は、オークションに出すと「とんでもない金額」になるそうで、業界では『モナリザ』と呼ぶ人もいるのだとか。
 

 大河原さんは、この新書のなかで、自分自身のキャリアを振り返っておられます。
 東京造形大学を卒業し、「オンワード樫山」「おとぎの国」という服飾メーカーに勤務したものの、パターン化された仕事が自分には合わないのではないか(というのと、結婚して収入を増やしたい、というのもあって)、竜の子プロに転職。アニメの背景を描く「美術科」に所属したものの、中村光穀さんという偉大な先輩との出会いと、他にメカを描きたがる人がいなかった、という事情もあって、アニメ業界初の「メカニックデザイナー」として仕事をしていくことになるのです。
 デビュー作は、1972年の『科学忍者隊ガッチャマン』。
 大河原さんは、「アニメ」が大好き、というわけではなくて、デザインで仕事をしていく過程での諸条件(竜の子プロが家から通いやすかった、とかも含めて)で就職し、頼まれた仕事をやっていくうちに、「メカニックデザイン」という仕事にたどり着いたと仰っています。

 私は現実世界のデザイナーではありません。ですから工業デザイナーと同じことをいていてもダメです。実際にある戦闘機や宇宙船をアニメの中にリアルに描いても仕方がないのです。デザインに遊び心がないと、アニメを見ていてもおもしろくもなんともありません。
 では、空想のアニメだから、好き勝手にデザインしてもいいかというとそうでもない。私が心掛けているのは、たとえアニメの世界であっても「嘘のないデザイン」をすることです。
 アニメのメカニックデザイナーというのは、「絵が好きなメカニックデザイナー」と、「メカが好きなメカニックデザイナー」の2つに分かれます。
 業界に多いのは前者のほうで、そういうデザイナーは格好よく、美しいデザインをする。ところが構造を考えずに、見た目の格好よさを追求しただけのデザインは、玩具やプラモデルにするときに面がつながらなかったり、構造がおかしくて腕が曲がらないなどの弊害が出てしまうことがある。
 アニメと玩具はとても関わりが深いので、これではいけません。架空の世界のメカであっても、リアルの世界に出したときにつじつまが合わなくてはいけないのです。私は後者の「メカが好きなメカニックデザイナー」です。


 「メカ好き」としては、本当の「工業デザイン」のほうに行ってしまっていてもおかしくなかったのかもしれませんが、大河原さんは、そうしませんでした。
 工業デザイナーになるには、あまりに「創造力」が強すぎて、アニメの絵を描く人間としては「絵よりもメカが好き」だった。
 ある意味、「誰もやれる人がいないけれど、メカを描くアニメには必要だった場所」に、ちょうどフィットする人材、だったのです。
 工業デザイナーになっていたり、当初の配属通り背景を描いていたら、こうして、「大河原邦男の世界」が世に出ることはありませんでした。
 この本を読んでいると、大河原さんが「玩具メーカーとの関係」というか、「自分が描いたメカが、玩具になってヒットすること」への強いこだわりがあり、スポンサーである玩具メーカーとの「共同作業」をすごく大切にしている、ということがわかります。
 メカニックデザインへのこだわりはあるのだけれど、「デザイナーとしての自分の世界観を表現すること」だけでなく、それが「玩具として作りやすく、売れること」「アニメーターたちが、描きやすい、動かしやすいこと」をつねに意識しているのです。
 自ら「アーティストではなく、職人」だと仰っているのですが、それは、卑下しているわけではなくて、「ひとりよがりではない仕事をすることへのこだわり」なんですよね。


 この本のなかでも、『機動戦士ガンダム』や『ヤッターマン』といった、人気がある作品のことばかりを語るのではなく、これらの人気作についても、他のデザインと同じように、淡々と語っている印象を受けます。
 そんな大河原さんが「自選メカ」の代表として語っているのが「ザク」。

 次は敵メカです。当時の常識では敵側メカは絶対に商品化しないので、富野(由悠季)さんと2人だけで決められる。富野さんからの指示はシンプルで、「モノアイ(単眼)だけは守ってくれ」ということでした。
 メインメカはスポンサーのところに行って、様々な調整をするのでフラストレーションが溜まります。その点、敵メカは絶対に商品化されない。すぐにやられる「どうでもいい存在」です。しかし、私としては意地でも主役の3体(ガンダムガンキャノンガンタンク)より格好いいものを作ろうと思っていました。
 ザクは、子どもの頃に見たガスマスクをモデルにしています。
 ザクの頭部や足は、動力パイプが剥き出しになっています。理屈の上では、兵器でそういうものが表に出ているのは「ここを切ってください」と言っているようなもので、良くない。実際に引っ張られて爆発するシーンもある(笑)。
 ただ、アニメを見たときに、パイプがあるとないとでは存在感が違うんですね。アニメの世界であっても、人間は見たことがあるものを目にすると、それだけで「リアルだ」と認識するんです。こうした、あえて不合理なデザインで、リアルさを訴求しました。


 こういう「不合理なデザインのリアルさ」という感覚が、大河原さんのメカに、忘れられないインパクトを付加しているのだな、と思いながら読みました。
 『機動戦士ガンダム』の終盤で、ジオングというモビルスーツを見たシャアが「足がないな」と言ったのに対して、その場にいた技術者が「あんなの飾りです。偉い人にはそれがわからんのですよ」と返した場面を、僕は思い出してしまいました。


 「どうせプラモデルとか超合金にはならないから、スポンサーからの制約も少なく、自由にやれる」と考えて、「格好いいものを作った」ジオン軍モビルスーツたちが、結果的に「ガンプラ」の大ブームを巻き起こすことになるのですから、世の中わからないものですよね。


 大河原さんは、富野由悠季さんと「仲が悪い」というのが業界内の「定説」とされているそうなのですが、大河原さんは、ふたりの「関係」について、こう仰っています。

 たしかに仕事以外の話を一切しません。インタビューや対談でも辛辣なことを言う。しかし、安彦(良和)さんのところでも書きましたが、私たちは友だち感覚でベタベタ作品を作らない。


(中略)


 富野さんの演出力は「すごい」の一言に尽きるのですが、話が入り組むことが多いので、子どもに見せるのには、もう少しストレートにやったほうがいいんじゃないかと思うこともある。
 視聴率が落ちてくると、「これ、殺しちゃおう」とか平気で言う。『ザンボット3』は子ども向けの作品なのに、主要キャラが次々死んじゃうし(笑)。子どものためと言っているけれど、本心は自分が見たいもの、作りたいものを作っているんでしょうね。だけど、それが富野さんの魅力なんだと思います。
 富野さんは多くの情報の断片を重ね合わせ、壮大な「富野オリジナル」のストーリーを作り上げる。見えないところで相当数の知識やアイデアを吸収しているのでしょう。アイデアをその時代に入れ込んでいく、貪欲な力は本当にすごいと思います。


 本当にお互いに無能だと思っていれば、こんなに長年、一緒に仕事はしていないはず。
 人間的な好き嫌いは別として、「実力を認めているからこそ、率直にダメ出しできる」というのが「プロの世界」なのかな、と。


 メカニックデザイナーの先駆者であり、第一人者が、「業界裏話」とか「自慢話」ではなく、淡々と「自分がこれまで生きてきた道のり」を語っていて、僕はその姿勢に「凄味」を感じたのです。
 大河原さんの仕事、そして、大河原さんが生み出してきたメカたちに興味がある人は、ぜひ読んでみてください。