琥珀色の戯言

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【読書感想】狼たちは天使の匂い ☆☆☆☆

内容紹介
ランボーダイ・ハードもCGもなかった頃、スクリーンの男たちはリアルな血と汗を流していた!
映画秘宝好評連載「男の子映画道場」単行本化、第一弾!


殺し屋、ギャング、アウトロー刑事……
リー・マーヴィンからチャールズ・ブロンソンまで
60~70年代に銀幕で暴れまわったタフガイたち!
映画史から消された傑作、忘れられた名作……これぞ男のためのアクション映画本だ!


 これはたしかに「男の子」の映画の世界。
 冒頭で、町山さんがお父さんと一緒に映画を観に行った思い出と、その後の関係について語っておられるのですが、それを読んだだけで、僕はもう泣きそうになってしまいました。
 父親っていうのは、息子の前で、どうしてあんなに「男の子」の顔を見せてしまうのだろうか。
 僕自身、自分の父親のそういう部分が嫌いだったにもかかわらず、息子の前でおとなげない姿を見せてしまっているなあ、なんて思いつつ。
 

 この本では、1964年から1980年までの「アクション映画」が紹介されています。
 1960年代はさておき、80年くらいなら、僕が小学校に入った後になるので、ひとつやふたつは観たことがある映画が出てくるのではないか、と思っていたのですが、見事なまでに、知らない映画ばかり!
 まあ、ここで紹介されているのは子どもが観る映画じゃない、というのもあるでしょうし、当時は「映画館か、テレビ放映じゃないと、映画を観ることができない」という時代だったのを、これを読んで思い出しました。

『狼のシンジケート/ダーティ・エディ』(1973年)――『水曜ロードショー』の次週予告でそのタイトルを聞いた時、『ダーティハリー』に憧れてMGCの金色の44マグナムを振り回していたアクション映画狂の中学生、つまり24年前のオイラの胸は躍った。
 マシンガンの密売をめぐる物語で、監督は『ブリット』(68年)のカーアクションで映画史を変えたピーター・イエーツだという。予告編では黄色いスポーツカーのクラッシュや強盗が銀行員を射殺するシーンが紹介された。これは期待せずにはいられない。本邦初公開の劇場未公開作品というのがちょっと不安だが。


 あの観たかった映画が、テレビで放送される!というので、何日も前からワクワクしたり、偶然観た映画の面白さに惹き付けられたり。
 『スター・ウォーズ』がテレビで初放送された際には、本編の前に、オーケストラが出てきて、テーマ曲を演奏し、なかなか映画が始まらなかった記憶があります。
 人気の映画がテレビで放送されるというのは、そのくらいのイベントだったんですよね。
(注:この本には『スター・ウォーズ』は出てきません)


 僕はずっと「アクション映画」というのを、ヒューマンドラマや歴史ものなどと比較して、「みんな同じようにカーチェイスや銃撃戦がある、ワンパターンの映画」だと、ちょっと低くみているところがありました。
 でも、これを読んでいると、時代による世界観の変化や、世相を反映しているところがあるし、監督によって、原作小説からかけ離れたものになったりもしているんですね。
 そして、いまの映画にも、この時代のアクション映画で生み出された手法が使われていたり、オマージュが捧げられていたりするのです。
 映画だけではなく、テレビドラマや、劇画にも取り入れられているところもあります。


 映画『殺しのテクニック』の回より。

 クリントはスコープと反対側の目に眼帯をつける。戦場での狙撃では、周囲の状況も見えるように両目を開けるが、スポーツ射撃ではこのように眼帯をつける場合もある。クリントはコートの下にもスポーツ射撃用の服を着ている。映画の殺し屋がよく着るダークスーツと違って、犯罪者というよりはアスリート、または職人っぽさを醸し出している。
 だが、レミントンのオートマチック・ライフルは狩猟用なので狙撃には向かないと批判する人もいる。また、クリントがライフルにスコープを取り付けるのもガンマニアからは評判が悪い。実際、狙撃銃のスコープはいちど取り付けて照準を調整したら、外しては意味がない。いちど外したら、また取り付けた時に照準を調整し直さないとならないからだ。だが、そんな間違いを当時の観客は気にしなかった。プロが黙々と銃を組み立てる、その作業自体に魅入られた。『殺しのテクニック』は低予算のイタリア映画にもかかわらず、その後のさまざまな映画やテレビ、劇画に影響を与えたが、なかでも、さいとうたかをの『ゴルゴ13』(68年~)は『殺しのテクニック』なしには生まれなかっただろう。


 あの超長寿マンガ『ゴルゴ13』のルーツのひとつは、このイタリア映画だったのか……
 映画というのは、その演出やストーリー、登場人物の関係など、さまざまな面で、過去の作品の「文脈」をなぞっているのです。
 連載開始当時は、「あっ、これ『殺しのテクニック』だ!」と思った人も少なからずいたのでしょうけど、いまの僕が『殺しのテクニック』を観たら、「あっ、『ゴルゴ13』!」って、言いたくなるのだろうなあ。
 

 なぜ、こんな「同じような映画」ばかり観るのか?と思っていたけれど、「同じような映画」だからこそ、浮き彫りにされる「違い」みたいなものがあるし、過去の作品の影響を見つける、という楽しみもあるのです。
 それにしても、レンタルDVDどころか、レンタルビデオすらない時代に、これだけのアクション映画を観ていた町山さんは、本当にアクション映画が好きだったのでしょうね。
 町山さんとお父さんの関係には複雑なものがあったみたいだけれど、「アクション映画好き」の遺伝子は、受け継がれたのです。

 アウトローたちの物語は、ハードボイルドとか、「男の世界」とか呼ばれる。でも、生涯それを愛した父を考えると、逆に子どもじみたファンタジーじゃないか、と思う。
 74年、テレビの『土曜洋画劇場』(NET、現テレビ朝日)で『荒野の七人』(60年)を観た。黒澤明の『七人の侍』(54年)を西部劇に置き換えたアメリカ映画で、メキシコの農村を山賊から守るため、7人のガンマンが雇われる。
 農家の少年たちはガンマンたちにあこがれ、泥にまみれて働く父親を軽蔑する。
「おいら、恥ずかしいや。父ちゃんたちは臆病で」
 それを聞いて、チャールズ・ブロンソン扮するメキシコ系のガンマン、ベルナルドが「親父さんたちのことを二度とそんな風に言うな」と叱る。
「親父さんたちは臆病なんかじゃない。俺たちガンマンが勇敢だと思うか? 銃を持っているからか? 違う。お前たちのお父さんのほうがずっと勇気がある。なぜなら銃の代わりに責任を背負っているからだ。お前たち子どもと、お前たちの母さんを背負っているからだ。その責任は何トンもある岩より重い。その重さに挫けて潰されて地面にめり込むほどだ。しかも、誰かに背負わされたわけじゃない。ただ、お前たちを愛してるから、自分で背負ったんだ。俺にはそんな勇気はない。毎日、畑を耕して、ラバのように働いても、収穫は約束されていない。そんなことをするのは本当に勇敢だ。だから、俺はそれができなかった。これからもできないだろう……」
 ブロンソンは「普通に働いて家庭を守る父親こそ、大人の男なのだ」と当たり前のことを言っている。そうするとアウトローたちは何なのか。大人になるのを拒否していつまでも悪さやケンカを続ける『ピーターパン』のロスト・ボーイズたちと変わりがない。子どもじみたギャングたちの映画に『狼は天使の匂い』という邦題を考えた人は本当に偉い。


 ガンマンに憧れる子どもたちと同じように、地に脚のついた生活を送る父親たちも、こういう「アウトローたちの物語」を必要としているのです。
 「もしかしたら、こんなふうに生きていたかもしれない自分」を夢想しながら、映画が終わると、日常に戻っていく。
 「同じようなアクション映画」が延々とつくり続けられているのは、世界中に、これを求めている人たちが、まだまだたくさんいる、ってことなんだよね。
 僕もたまには、息子と「大人の映画」を観てみようかな。

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