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琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】本当に偉いのか―あまのじゃく偉人伝― ☆☆☆

本当に偉いのか あまのじゃく偉人伝 (新潮新書)

本当に偉いのか あまのじゃく偉人伝 (新潮新書)


Kindle版もあります。

内容紹介
福沢諭吉夏目漱石のどこがそんなにエラいのか? 坂本竜馬は結局何をした? アレクサンドロス大王コロンブスはただの侵略者じゃないか? 評価が上げ底されがちな明治の偉人、今読んでもちっとも面白くない文豪、熱狂的な信者が多いだけの学者……世間の評価に流されず、その業績や作品を詳しく見れば、歴史や文学の新たな一面が浮かんでくる。独断と偏見で「裸の王様」をブッタ斬る、目からウロコの新・偉人伝!


 この新書、書店で表紙をみた印象では、「(とくに明治期の日本の)偉人とされている人のあら探しをして、なんでこんな奴らをありがたがっているんだ?」と世間の「人を見る目」を嘲笑しているのかな、と思ったんですよ。
 でも、読んでみたら、偉人たちに酷いバッシングをしているというよりは、これまであまりにも聖域化されてしまっていて、最近の研究でアップデートされているにもかかわらず、更新されていない偉人たちの実像を紹介している本、という感じです。
 「ブッタ斬る」というよりは、ちょっとツッコミを入れている、くらいの印象なんですよね。
 ただ、突然、著者の小谷野敦さんの東大の知り合いの情報とかが出てくるので、それを「小谷野敦らしさ」と受け止められるか、それとも、「急にプライベートな話を書いて脱線しやがって」と思うか。
 後者の人は、たぶん、この本、というか、この著者にはあまり向いていないような気がします。
 向いていたら偉いとか、そういう話じゃなくて、これはもう、好みの問題です。


 読んでいると、たしかにそうだよなあ、という指摘も多いのですけどね。

 かつて、子供向け偉人伝というのがあった。戦前と戦後では、偉人の基準も少し変わり、戦前は天皇のために戦った楠木正成や、忠義の士大石内蔵助などが多く、戦後はヘレン・ケラーキュリー夫人など、女性や科学者が多くなり、最近では「命のヴィザ」の杉原千畝などが取り上げられ、子供向けには漫画偉人伝なども多くなった。
 だが、漱石もそうだったが、本当に偉いのか、という疑問が私にはあって、そのうち、「明治の偉人は上げ底されている」と思うようになった。
 司馬遼太郎のように、明治の日本人は偉かった、日露戦争以後ダメになった、というのを「司馬史観」と言うらしいが、それは別に「史観」と言うほどのものではあるまい。さるにても、「明治の」と言うだけで、一段偉いように思われるということがあるのは確かである。明治の、といっても世代的にはさまざまで、徳川時代に生まれた福沢諭吉坪内逍遥もいれば、柳田國男のように明治生まれには相違ないが私が生まれた1962年まで生きてきた人もいる。
 それならいっそ、「この人は本当に偉いのか?」を列伝体で書いてみようと思った次第である。はじめは「明治の偉人」にするつもりだったが、範囲を広げて、だいたい物故者中心に、また明治以前、海外も含めて並べることにした。
 しかしそれだけだと嫌な感じの本になるので、「さほど偉いとは思われていないが実はけっこう偉いんではないか」という人も加えることにした。さらに、誤解されている偉人というのもいるので、これも入れることにした。


 夏目漱石の項には、こんなふうに書かれています。

 漱石が持ち上げられていったのには、消去法のようなところがあって、まず性的なことを書かないということ、ついで、政治的左翼ではない、私小説作家ではないということがある。戦前はもちろん、戦後でも、保守的な中産階級にとって、左翼作家というのは文豪扱いしづらい。宮本百合子大江健三郎ではダメなのである。また私小説も、赤裸々に自身の生活を暴露するといったものは、穏健な市民にとっては受け入れがたい。戦後、長く漱石の権威だったのは江藤惇で、江藤は園遊会昭和天皇に「夏目漱石の研究をしております」と言ったくらいで、これは政治的に危険な作家であるはずがない。


 ノーベル文学賞は、極右や共産主義者には授賞されない、といわれているというのを最近知りました。
 どんなにすぐれた作品、インパクトのある小説を書いていても、作家自身の思想が極端だったり、犯罪歴があったりすれば、ノーベル賞にはふさわしくない、と除外されてしまうそうです。
 まあ、それは致し方ないこと、でもあるのでしょうけど。
 そういう意味では、夏目漱石という人は、作品の質でけではなく、作家自身の人生にも「マイナスになる行状が少ない」というのは頷けます。
 そういう生きざまと作品の潜在的な「あやうさ」みたいなものが、漱石の魅力なのかもしれません。


 基本的に、この新書での著者の「あまのじゃく」っぷりって、こういう感じで、「こんなひどいことをしたから、全然偉くなんてない!」という罵倒ではないんですよね。
 だから、読んでいても、「たしかにそういう見かたもあるなあ」って、受け入れやすい。


 ラフカディオ・ハーン中島敦についても、「もともとあった話をまとめたり、ちょっと改変して『作品』にしただけなのに、評価が高すぎるのではないか」と書かれていて、言われてみれば、それもそうか、と。
 まあでも、こういうのって、「誰が、どんなふうに紹介するか」が大事でもあるんですよね。
 現代美術みたいに。


 京都が太平洋戦争で空襲を受けなかったのは、日本の文化財を守ろうとしたからだ、と僕も信じていたのですが、それに対して、「実際は、新型爆弾(原爆)の効果判定のために、無傷の状態で街を残しておいた」という資料があることが紹介されていたり、西郷隆盛江戸城攻めを中止したのは、勝海舟に説得されたわけではなく、(イギリスの公使)パークスに反対されたから、だと書かれていたり、筒井康隆さんの話が出てきたり(ちなみに筒井さんは、この本のなかではけっこう高めに評価されているようです)、散りばめられた「小ネタ」がけっこう楽しいんですよね。


 これを読みながら、僕は「西郷隆盛って、結局、何をやった人なんだろうなあ」って、考え込んでしまいました。
 もちろん、西郷さんだけの話じゃないのですが。
 西郷さんが後世に名を遺したのは、西南戦争で新政府軍に戦いを挑んで敗れたという悲しい結末が大きかったのではないかと思うんですよ。ある意味、反乱を起こしたことが、名を上げたのかもしれない。
 坂本龍馬さんだって、あのタイミングで暗殺されなかったら、維新後は事業に大失敗したり、単なる政府の一役人として生涯を閉じていた可能性はあります。
 結局のところ、その時代で信じられているものによって、「偉人かどうか」の評価なんて、変わってしまうものですし。
 戦時中、爆弾を抱えて敵陣に突っ込んでいき、「軍神」と呼ばれ、祀られた兵士たちやその家族が、太平洋戦争後、周囲(の日本人)から、バカなことをした、と掌を返したように嘲られた、という話をきいて、なんだかとても悲しくなったことを思い出します。


「偉い」って、どういうことなのだろう?
 そんなことも、つい考えてしまうのです。
 明治時代にだけ、すぐれた日本人がたくさん出てきたというよりは、「歴史における、日本人のバブル期」みたいなものだったのかな、という気もするんですよね、これを読むと。