琥珀色の戯言

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【読書感想】ポピュリズムとは何か - 民主主義の敵か、改革の希望か ☆☆☆☆

内容紹介
いま世界中でポピュリズムが猛威を振るっています。
大衆迎合主義」とも訳され、民主主義を蝕む悪しき存在と見なされがちなポピュリズム。しかし、ラテンアメリカでは少数のエリートによる支配から人民を解放する力となりました。
またヨーロッパでは、ポピュリズム政党の躍進が既成政党に緊張感を与え、その改革を促す効果も指摘されています。現代のポピュリズム政党は、リベラルな価値、民主主義のルールを前提としたうえで、既成政治を批判し、イスラム移民の排除を訴えており、ポピュリズムの理解は一筋縄ではいきません。
本書は各国のポピュリズム政党・政治家の姿を描き、「デモクラシーの影」ともいわれるその本質に迫ります。


 「ポピュリズム」という言葉、トランプ大統領の誕生という大きな「事件」もあり、多くの人が聞いたことがあるはずです。
 僕は「ポピュリズム」=「衆愚政治」ということで、「扇動者が無知な大衆を操作して、好き勝手なことをやる『悪い政治』」だと思っていたのです。
 でも、この新書を読んでみると、「ポピュリズム」というのは、そんな単純なものではないし、「悪」とも決めつけられない、と感じました。
 この新書、「ポピュリズムは悪いこと」というのを「前提」にせずに、すごく誠実に「現在の民主主義が抱えている矛盾とポピュリズム」について検討しているのです。

ポピュリズムは、デモクラシーの後を影のようについてくる」(マーガレット・カノヴァン)


 近年、先進各国でポピュリズムと呼ばれる政党や政治運動が跋扈している。現代の日本では「大衆迎合主義」や「人気取り政治」とも説明されるポピュリズムであるが、特に民主主義の先進地域とされるヨーロッパで、ポピュリズム政党の伸長は顕著である。
 今や、地方議会も含めれば、ドイツ、オーストリア、スイス、イタリア、オランダ、ベルギー、デンマークノルウェースウェーデンなど各国でポピュリズム政党は多数の議席を獲得して話題をさらい、移民・難民政策をはじめ各国の政治に強い影響を与えている。


 なぜこんなにポピュリズム勢力が支持されているのか、人々は、どんどん「愚か」になってしまっているのか?
 ポピュリズムとデモクラシーの関係について、著者は以下のように述べています。

 先に述べたように、ポピュリズムをデモクラシーに敵対的な政治イデオロギーとし、ポピュリズム政党を反民主主義的な政党とする見方は今も強い。ポピュリズムは「民主主義の病理」「討議ではなく喝采を優先」「カリスマ指導者の独裁」などと理解されることが多く、いわゆるデモクラシー論でも、正面から検討の対象とされないのが普通である。またヨーロッパの文脈では、ポピュリズム政党は右派政党であることが多く、極右由来のポピュリズムもあることから、ポピュリズムはデモクラシーに対して否定的・批判的であると見られがちである。
 しかしポピュリズムの主張の多くは、実はデモクラシーの理念そのものと重なる点が多い。ポピュリズムの比較検討を行った政治学者のミュデとカルトワッセルは、少なくとも理論上は、人民主権と多数決制を擁護するポピュリズムは、「本質的に」民主主義であるとする。
 それはなぜか。ポピュリズム政党においては、国民投票や国民発案を積極的に主張する傾向がある。オーストリア自由党は、国民投票の広範な導入、首長の直接選挙などを主張し、フランスの国民戦線も、国民投票比例代表制導入を通じた国民の意思の反映を主張してきた。またスイス国民党は、国民投票の制度を積極的に活用し、しばしば成功を収めている。このような直接民主主義的諸制度は、まさにデモクラシーの本来のあり方に沿うものであり、「反民主主義」と一概にいうことはできないだろう。
 現在、西欧のポピュリズムでは、右派であっても民主主義や議会主義は基本的な前提とされており、暴力行動を是認する、いわゆる極右の過激主義とは明らかに異なる。ポピュリストの多くは、少なくとも主張においては、「真の民主主義者」を自任し、人民を代表する存在と自らを位置づけている。
 そのように見ると、各国のポピュリズム政党が標的とするのは、民主主義それ自体というよりは、代表者を通じた民主主義、すなわち代表制民主主義(間接民主主義)である、ともいえる。ポピュリズム研究で名高いタガートが述べるように、代表制の枠内で議論するよりも、代表制そのものに対する反発が、ポピュリズムの根底にある。


 トランプ大統領誕生の背景としてよく言われるように、「一部のエリート層に、政治が独占されており、自分たちの声が届いていない」という不満が多くの国民にあって、彼らは「既成の政党」に不信感を抱いてきたのです。
 この新書のなかで、オランダの事例として、1994年に、それまで対立していた左右の有力政党(自由民主人民党と労働党)が大連立政権を発足させたのですが、有権者に「選択肢が奪われた」と見なされ、ポピュリズム政党が急速に支持を集める原因となったと紹介されています。
 既成の政党が、みんな同じにみえる、というのは、社会党自民党と連立政権を組み、退潮してからの日本にも言えるのではないでしょうか。
 民主党って、「ちょっと出来が悪い自民党」のようにしか、僕には感じられませんし。
 政治家という特権階級が、所属政党云々はさておき、みんなで仲良く、甘い汁を吸っている、というイメージをみんなが持つようになり、とにかく「既成の政治家たちを困らせてくれる人」が支持される。
 ただ、それは「決定権をエリートから大衆に取り戻す活動」であるとも言えるし、民主主義の大元に立ち返ろうとしているのです。
 その政策が不公正であったり、差別的であったとしても、それを決めるプロセスは、「国民投票」などを利用する、「きわめて民主主義的なもの」なんですよね。
 ただ、それは「多数派がなんでも好きに決めてしまう世界」につながるリスクもあるのです。


 著者は「ポピュリズムの3つの問題点」を挙げています。

 第一に、ポピュリズムは、「人民」の意思を重視する一方、権力分立、抑制を均衡といった立憲主義の原則を軽視する傾向がある。立憲主義において重要な手続きや制度は、人民の意志の実現を阻害するものとして批判される。特にそこで問題となるのは、多数派原則を重視するあまり、弱者やマイノリティの権利が無視されることである。
 第二に、ポピュリズムには敵と味方を峻別する発想が強いことから、政治的な対立や紛争が急進化する危険がある。ポピュリズム対アンチ・ポピュリズムといった新たな亀裂が生まれたり、絶えざる政治闘争のなかで、妥協や合意が困難となるおそれがある。
 第三に、ポピュリズムは人民の意思の発露、特に投票によって一挙に決することを重視するあまり、政党や議会といった団体・制度や、司法機関などの非政治的期間の権限を制約し、「良き統治」を妨げる危険がある。
 このようにポピュリズムは、人々の参加と包摂を促す一方、権限の集中を図ることで、制度や手続きを軽視し、少数派に抑圧的に作用する可能性がある。ポピュリズムとデモクラシーの関係は、両義的といわざるをえない。


 ポピュリズムそのものが悪というよりは、ポピュリズムによって決められることは、極端なものになりやすく、少数派を抑圧することが多い、というのが「問題点」なんですね。
 世界の多くの国では「民主主義」が信奉されているけれど、堅実的には「選良(エリート)」たちが、バランスをとって政治を動かしている。
 現代は、そのエリート層たちが、自分たちの利益のためにのみ動いているのではないか、と多くの人が感じているのです。
 著者は「野党としてのポピュリズム政党の存在は、排除されてきた社会集団の参加を促し、かつ既成政党に緊張感を与えることで、デモクラシーの質を高める方向に作用する、というミュデとカルトワッセルの説も紹介しています。
 たしかに、「そういう面」はあるのだと思います。


 「ポピュリズム」政党には、ナチズムの復活を企図しているような「極右」のイメージもあるのですが、現在はそういう「暴力行為を正当化するような極右政党」は淘汰されているそうです。

 現代のポピュリズムは、「リベラル」や「デモクラシー」といった現代デモクラシーの基本的な価値を承認し、むしろそれを援用して排除の論理を正当化する、という論法をとる。すなわち、政教分離や男女平等、個人の自立といった「リベラル」な価値に基づき、「政教一致を主張するイスラム」「男女平等を認めないイスラム」「個人の自由を認めないイスラム」を批判する。そしてエリート支配への批判、民衆の直接参加といった「デモクラシー」の論理に基づき、国投票や住民投票に訴え、既成政治の打破を訴えるのである。
 そうだとすれば、現代デモクラシーが依拠してきた、「リベラル」かつ「デモクラシー」の論理をもってポピュリズムに対抗することは、実はきわめて困難な作業ではないか。「リベラル」や「デモクラシー」の論理を突きつめれば突きつめるほど、「政教分離」「男女平等」に基づき反イスラムを訴えるポピュリズム、「真のデモクラシー」を訴えて国民投票住民投票で少数派排除やEU脱退を決しようとするポピュリズムの主張を、正統化することになるからである。


 「宗教による差別」は許されないというのが「守るべき理念」のはずです。
 しかしながら、「では、その宗教を信奉する人たちが、信仰に基づき、女性の服装を制限したり、斬首刑を行ったりすることを認めるのか?」と問われた場合、どう答えるべきなのか。
 「それは人権に反するから、やめてくれ」と言いたくても、相手にもそれを正しいこととしている「宗教上の理由」がある。
 「イスラム教を信じていても構わないから、政教一致をやめて、男女を平等にしてくれ」と言われても、「じゃあやめます」というわけには、いきませんよね……

 こういうふうに、「理論武装」されてしまうと、その考えは間違っている、と否定するのは難しいはずです。


 「ポピュリズム」をバカにして、まともに向き合おうとしない人たちこそ、もう一度、「なぜ、今こんなに世界中で『ポピュリズム政党』が支持を集めているのか?」と考えてみたほうが良いと思うのです。
 これは、もしかしたら、「民主主義の原点への回帰」なのかもしれません。
 しかし、そうであるならば、「より純粋な民主主義」というのは、人類を幸福にはしないのかもしれない、と考えずにはいられません。
 「ポピュリズムなんて、説明されなくても知ってるよ」という人にこそ、一度読んでみていただきたい新書です。

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