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琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに ☆☆☆

内容(「BOOK」データベースより)
サブカルほど、意味がわからないものはない。そして、そんなサブカルについて語る人はさらに意味不明。いちジャンルなのか?バカにした言葉なのか?ひとによってサブカルの意味がバラバラなのに、サブカル議論なんて成立するわけがない。そこでここらで一旦サブカルの意味を再定義しよう、というのが本書の狙いである。正しいサブカルの認識を持てば、サブカルおじさんがバカに見えてくる。これが新世代「サブカルのススメ」だ!


 この新書のオビに「NHK Eテレの『ニッポン戦後サブカルチャー史』よりわかりやすい!」って書いてあったのですが、確かに「わかりやすい」です。
 でもこれ、あの番組とは全然路線が違うというか、「サブカル・オタク関連の人々に対して、著者のロマン優光さんの個人的な評価や思いをぶつけまくる本」なんですよ。わかりやすいというか、読みやすいけど、系統的な解説とかではありません。
 僕にとっては「面白かったけど、これを読んでも、『サブカル』とは何か?はわからないよなあ。『サブカル人』に対して、著者がどう思っているのかはよくわかるけど……」という新書でした。
 ロフトプラスワンに、著者の「サブカル人を斬る!」というライブを観に行ったつもりで書籍代を払うかどうか、という感じです。
(と、偉そうに書いてますが、僕はロフトプラスワンの前を通ったことが一度あるだけで、中に入ったこともないです。すみません)

 そう、この本の中で語られるサブカルは私の個人史の中で体験的に習得した私的なサブカル観に「世間的にはあれもサブカルってことになっているよな。」という感じで多少世間にすり寄った部分を合わせて、わかりやすい形で定義してみることを試みたものなのです。


 私の考えるサブカルとは何か? 一言で言うならば「町山智浩が編集者として扱ってきたもの、そしてそこから派生したもの/その愛好者」です。


 なるほどねえ。僕はこの定義に深く頷いてしまったのですが、「町山智浩って、誰?」っていう人が「サブカルについての基礎知識」を得ようとしてこの本を読んだら、けっこう悲劇的な状況ではありますよね。
 その町山さんに対しても、著者は最後のほうでは(愛着や思い入れとともに)ちょっとした苦言も呈しています。
 町山さんが水道橋博士と映画祭で「暴走」してしまったエピソードについては、僕がその場にいても、けっこう苛立ったのではないかと思いますし(僕も町山さん大好きなんですけど)、「サブカル」を語る人の新陳代謝がなかなか起こらない、という問題はありそうです。
 実質的には、明石家さんまさん以外、ほとんど自分で「お笑い番組」を主導していないにもかかわらず、いつまでも、さんまさんとビートたけしさん、タモリさんが「お笑いBIG3」であり続けているみたいなものですよね。


 著者の中森明夫さんや岡田斗司夫さんに対する言及は、読んでいて痛快でした。

「ニワカのよそ者が上から目線で評したり、間違った知識をひけらかしたりしてくる。」
「オタクに対して非常に侮蔑的な態度をとってくる。」
「モテるためにやっている。」


 こういった一部の人間による悪質な行動を受け、オタク的な人の中で実体験に基づいた敵意が形成されていきます。そういった中、業界内での利権に絡む陣取りゲームのために岡田斗司夫がサブカルとオタクの分断工作を行います。自分の都合と好き嫌いにのっとって、サブカルとオタクの間にハッキリとした線引きを行い、サブカルを明白な他者として仮想敵と認定したのです。その際に「サブカルチャー好きな奴は全員がミーハーで底の浅いくせにスノッブな態度で上から目線でオタクをバカにしていて対象に愛情があくて女にモテるためにやっている不快な奴ら」であるかのようにとれる誘導をしたのです。
 ある集団に属する問題がある特定の人物を取り上げ、その集団自体がそういう問題がある風に認定するのは、まるっきりレイシストのやり方です。だいたいにおいて、そういう問題を抱えている人物は認定している側にもいるのです。そもそも、岡田斗司夫自体が「作品に対しては愛情がなく、自分が凄いと思われるためだけに作品を評している、金と女と権力にしか興味がない人間」ではないですか。それだったら、オタキングこそが、サブカルの悪を体現したサブカルの権化ではないのですか? まあ、岡田は「サブカルの奴らはみんなニット帽を被っている」と言っていたそうなので、サブカルではないでしょう。単なるイヤな奴ですね。


 僕は著者と同じ世代なので、あの宮﨑勤事件以来、「オタク」と呼ばれることの恐怖と付き合ってきたのです。
 中森明夫さんの「オタク」への悪意は、今読み返してみても「なんだかなあ」と思うし、この岡田斗司夫評は「ジャストミート!」って感じでした。
 「作品に対しては愛情がなく、自分が凄いと思われるためだけに作品を評している」たしかに、そんな感じがするんだよなあ……
 でも、僕自身にも「そういうところ」はあるし、ネットでの「評価」って、「うまく言ったもの勝ち」になりがちですよね。
 岡田斗司夫さんが、すごい分析をしているのに、何か違和感があるのは、こういうところなのか、と腑に落ちたような気がします。


 また、みうらじゅんさんについては、こう評しておられます。

 みうらさんは本質的にはメジャーの人です。本質的にマイナーなサブカルとは相容れない存在だと思います。みうらさんからは良くも悪くも80年代のセゾン文化の香りがします。それは現代にいたるサブカルの流れの中では断絶されている部分ではないかと思っているのですが、そんな小綺麗でお金ある感が漂いセゾン文化と『アイデン&ティティ』に見られる泥臭い70年代っぽさが同居しているのがみうらさんのおもしろいところだと思います。ただ、断じてサブカルではないのです!


 これは、半分わかるけど、みうらさん自身の本質云々よりも、みうらさん自身がメジャーになり、みうらさんが好むものもメジャーになってしまったがために、「サブカル」では無くなってしまったような気もするんですよね。
 それは、はたして、みうらさんの「責任」なのだろうか……


 「勉強になる本」ではありませんが、「オタク、サブカル界の大御所達に対する中堅からの率直な吊るし上げ」を読める、貴重な本ではあると思います。

 今後のサブカルの流れですか? 細かいことはわからないですけど、吉田豪の一人勝ち状態が継続していくんじゃないですかね。吉田さんのやり方は、自身が削られていくリスクは少ないし、効率がいいように見えるけど、他の人がマネできるものではないですからね。


 いちゃもんばっかりつけているようで、著者は、ちゃんと「見えている人」なのだろうな、と思います。
 ただ、この本は「入門書」「サブカルの概説書」ではないので、御注意ください。