琥珀色の戯言

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【読書感想】ミュシャのすべて ☆☆☆☆

ミュシャのすべて (角川新書)

ミュシャのすべて (角川新書)

内容(「BOOK」データベースより)
近代アール・ヌーヴォーの巨匠アルフォンス・ミュシャの代表作である“スラヴ叙事詩”や、人気の商業ポスター、装飾パネルから、挿絵、工芸デザイン、油彩画まで、ミュシャの魅力あふれる作品180点をオールカラーで紹介。


 2017年3月8日から、6月5日まで、東京・六本木の国立新美術館で『ミュシャ展』が開催されます。
 ミュシャの後半生の大作『スラヴ叙事詩』の20作すべてが日本で公開される(チェコ国外初公開だそうです)、ということもあって、大きな話題になっています。
 この『スラヴ叙事詩』縦6m×横8mというかなり大きな作品で、よく日本まで運んでくることになったなあ、と思いますし、もしかしたら、もう二度と日本で観ることはできないかもしれません。


 アルフォンス・ミュシャという画家について、この本のなかで、東京ステーションギャラリー館長の冨田章さんは、こう「総括」されています。

 ミュシャには二つの顔がある。
 一つ目は、世紀転換期のパリで、アール・ヌーヴォーの寵児として活躍した華やかなデザイナーとしての顔。流麗な曲線を図案化したポスターは、貼り出す端から剥がされるほどの人気を誇り、クライアントも消費者も皆がミュシャを求めた。
 そして二つ目は、故国に戻り、スラヴ民族の歴史と精神を描き続けた愛国的な画家としての顔。最終的には壮大な歴史画の連作《スラヴ叙事詩》を、二十年近い時間をかけて制作し故国に贈った。
 そのいずれもがミュシャの真実の顔であり、どちらかを無視してミュシャを語ることはできない。後世の評価が、圧倒的にポスター作家あるいはデザイナーとしてのミュシャに偏っており、画家としての業績が、長い間ほとんど忘れていたと言ってもいいような状態だったにもかかわらず。


 この新書では、ミュシャのポスターから挿し絵、アクセサリーのデザイン、そして『スラヴ叙事詩』までの代表作がカラーで紹介されているのです。
 大女優、サラ・ベルナールを描いたミュシャのポスターは、見れば多くの人が「あっ、これ(あるいは「こういうの」)知ってる!」って思うはずです。ミュシャの名前を知らなくても「ミュシャ風」のデザインというのは、流行り廃りがありながらも、影響を与え続けているのです。
 僕は、『夜は短し歩けよ乙女』など、多くの本の装丁に使用されている中村祐介さんの絵をみると、「なんかミュシャっぽい」と感じてしまいます。
 これを書くにあたって、見比べてみたら、そんなに似ている、というわけでもないんですけどね。


 この本を読んでいて、あらためて考えさせられるのは、ミュシャの人生において、口に糊するための仕事だったポスターのデザインが高く評価された一方で、晩年に「画家生命をかけて」描いた『スラヴ叙事詩』は、あまり省みられることがなかった、ということなんですよね。
 チェコ民族意識高揚、という意識を持っていたミュシャは、晩年、ナチスによる迫害を受けたのですが、この本でみる『スラブ叙事詩』は、なんだか宗教画のような普通の絵で、若い頃のポスターのような瑞々しさや楽しさが感じられないのです。
 本人が命を削って絵画に取り組めば取り組むほど、周囲からはの評価は「微妙」になってしまっていたというのは皮肉なことだよなあ。

 サラ・ベルナールの名は、ミュシャの絵のモデルとして、あるいは無名の画家だった彼の才能を見出した女優として記憶されることが多いだろ鵜.彼女とミュシャの出逢いは、この画家自身の回想をもとにした《ジスモンダ》の誕生伝説として幾度も取り上げられてきた。それは、1894年のクリスマス翌日にルメルシエの印刷所に飛び込んできたサラからの劇場用のポスターの仕事が、たまたまクリスマス休暇中に工房に居残っていたミュシャに回ってきたという話だ。このポスターが大晦日の夜から新年の朝にかけてパリの町中に貼り出され、大きな反響を呼んだことで、ミュシャはたちまち売れっ子となった。実際はミュシャの語った話とは違い、サラのための仕事がもっと早い時期からなされていたことや、それ以前のミュシャが俗に言われるほど無名でもなかったことは、彼の息子であるイジー・ムハが著書『アルフォンス・マリア・ミュシャ−生涯と芸術−』の中で指摘している。しかし、このチェコ出身の画家が今でも母国語のムハよりもミュシャというフランス式の読み方で知られているのは、彼が当時「世界の首都」とも呼ばれた花の都パリで成功したからで、そのきっかけがサラのポスターだったことは確かだ。
 この話が繰り返し引用されるのは、ミュシャの絵が醸し出すロマンティックな雰囲気に合っているからだろう。

 1904年のミュシャの初渡米は、現地の新聞で大きく報じられた。『ニューヨーク・デイリー・ニューズ』は、「ミュシャ、世界で最も偉大な装飾芸術家の人生と作品」と、また『ニューヨーク・ヘラルド』は「ミュシャ・ポスター芸術の王子」と見出しで告げるなど、彼の知名度がいかに高く、また歓迎されたかが伝わってくる。


 それでも、ミュシャは「画家」として、『スラブ叙事詩』という大作に、故郷で挑むことを選んだのです。
 しかしながら、この晩年の大作は、あまり評価されないままになっています。


 僕もこの『ミュシャ展』観に行くつもりです。
 どんな天才的なアーティストでも、「自分が描きたいもの」と「他人が描いてほしいもの」の折り合いをつけるのは難しいし、懸命に取り組んだ作品が、必ずしも「傑作」と呼ばれるわけでもないのだな、と考えずにはいられないんですよね、ミュシャの生涯を追っていくと。