琥珀色の戯言

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【読書感想】テレビじゃ言えない ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
最近テレビじゃ「本当に言いたいこと」が何も言えなくてイライラしてるんだ―ビートたけしの呟きからこの本は生まれた。コンプライアンス、CMスポンサーへの配慮、そんな建前のもとエスカレートするテレビの自主規制。そんなもの、クソ食らえだ。放送コードを無視したこの男の毒舌は、ツービートの頃より切れ味を増している。政治・犯罪、ネット社会…偽善と矛盾だらけの現代ニッポンをぶった切る危ない現代評論。


 ビートたけしさんが『週刊ポスト』に連載している「ビートたけしの21世紀毒談」から反響が大きかったエピソードをまとめたもの、だそうです。
 最近の人気タレントが著者になっている新書のなかには、過去に出た本を新書化しただけのものが少なからずあるので、ちょっと用心していたのですが、この本は扱われている話題も最近のものがほとんどです。
 それにしても、たけしさん、もう70歳なのか……


 たけしさんは、この新書の冒頭で、「テレビの自主規制が年々ひどくなっていて、以前のような言いたい放題、やりたい放題がドンドンできなくなってきている」と仰っています。

 だからなのか、このところ、こんなことを言われるようになっちまった。
「近頃、たけしはテレビで毒舌をちっとも出さない。そもそもあまりしゃべらなくなった」
 もっともなツッコミかもしれない。でも、反論したい気持ちは正直あるぜ。実は、収録でガンガンしゃべってたって、放送ではオイラのコメントがスパッとカットされちまうんだよ。テレビでやるには、話す内容が危なっかしすぎるってことなんだよな。


(中略)


 それでも業界じゃ、まだまだ「たけしルール」ってのが存在するって言われてるんだぜ。他のタレントじゃ「完全アウト」で大問題になっちまいかねない内容でも、オイラの発言ならなぜかセーフになっちまうってことでね。まァ、そりゃ当たり前だよ。ここ何年かで芸能界で顔が売れてきたくらいのヤツと、40年以上この世界で生きてるオイラじゃ年季がまるで違う。「掟破り」ってのは、一朝一夕にはできない芸のひとつなんだよ。3年ほど前には『ヒンシュクの達人』なんてタイトルの本を出したくらいで、これまでサンザン事件を起こしてきた分、オイラも「ヒンシュクの買い方」については心得ているつもりだ。バカなキャスターが人工透析の患者をネットで誹謗中傷して全番組を降板したなんて話もこあいだあったけど、そんな低レベルなものと一緒にされちゃ困るんだよな。


 やっぱり、「たけしさんだから、しょうがないな」っていうのは、あると思うんですよ。それはもう、年季というか、人望の積み重ねだから仕方が無い。
 ただ、「人によって、セーフとアウトのラインが違う」というのが正しいことなのか、僕はちょっと納得できない感じもするんですよね。
 というか、たけしさんだからセーフ、というよりは、たけしさんは、ネタにする相手とか、言葉の選び方とかに気をつけているというのもあるんじゃないかなあ。

「昔の話」のついでに話しておきたいのが、最近の「田中角栄」ブームだよ。石原慎太郎が書いた、田中角栄を主役にした小説の『天才』も、『田中角栄 100の言葉』って名言集もムチャクチャ売れているらしい。
 こんなこと言うとまた怒られそうだけど、なんでこんなモノをみんなありがたがるんだろう。田中角栄なんて冷静に考えれば、けっこうな「ワル」だぜ。清廉潔白な人間が、一代で目白の一等地に大御殿なんて作れるわけがないんでさ。そういうのを偉人扱いしちゃうニッポン人ってのは、本当にお人好しの集まりなんだよな。だから権力やカネをもった人間に「庶民はバカだから扱いやすい」なんて思われちまうんだよ。スマホに夢中になって、賢いヤツラに搾取されてる庶民も、こういう名言集を買って感動している庶民も、結局のところは似たようなもんだってね。


(中略)


 しかし舛添さんはセコかった。それに、賢いのがウリのはずなのに、言い訳がことごとくバカ丸出しだからね。正月のホテル三日月で、しかも家族がいる部屋で会議をしてたって言い出したのにもビックリしたけどさ。で、政治資金でチャイナ服を買ってたことを指摘されたら、言い訳は「自分は柔道をやってて体がゴツいんで、普通の服だと書道をするときに腕が引っかかるから中国服が便利だった」だって、何言ってんだ、オイラの『ニュースキャスター』で書道の先生にチャイナ服を着てもらって検証したら、「袖に墨汁がついちゃいます。すごく書きにくいです」だって、大笑いだよ。
 まァ、舛添さんて人にとって、一番難しいのは「すぐに謝ること」だったんだと思うよ。こういうエリート中のエリートで、プライドが高くて、周りからも「賢い」と思われ続けてきた人間ってのは、なかなか素直に自分のミスを認められないことが多いんだよ。こんな話、「すぐに謝る」か「完全に無視する」のどちらかしかないのにさ。いずれにしても、スケールの小さい話だよ。


 「スケールが小さい」というのは、「ものすごく悪いことをしたわけではない」ということでもあるんですよね。
 舛添さんがやっていたことって、たしかに「すぐに謝る」か、「完全に無視する」ことができていたら、時間とともに批判の声は鎮静化していた可能性が高いと思います。
 すぐに謝って、お金を返していれば、辞職にまでは至らなかったかもしれません。
 世の中には「謝れない人」というのがけっこういるし、大概のことは、言い訳を重ねるほど問題が大きくなっていき、さらに謝りづらくなるのです。
 この「書道の先生にチャイナ服を着てもらって検証した」回、僕も観たのですが、大笑いしてしまいました。
 ただし、この本のなかで、たけしさんは、ベッキーさんやショーンKさんのことにも触れていて、「世の中が『たった1回の失敗も許されない社会』になっているのは本当に怖い」と仰っています。
 たけしさん自身も「フライデー襲撃事件」で謹慎していたことがあるんですよね。
 あれは、たけしさんにとっては、行為の善悪にかかわらず、「信念に基づいての行動」ではあったのでしょうけど、今の時代に誰かが同じようなことをしたら、果たして「復帰」できるのだろうか。


 立川談志さんや高倉健さん、大島渚さんの思い出話もすごく面白かった。
 なかでも、『世界まるごとHOWマッチ』『ギミア・ぶれいく』などで共演し、プライベートでも親交があった大橋巨泉さんのこんな話には、移動中に読んでいたにもかかわらず、思わず声をあげて笑ってしまいました。

 まずはゴルフだよ。芸能広しといえど、この人ほどの負けず嫌いはいないからね。そもそもゴルフはすごく上手いんだけど、そのうえ負けは絶対認めないんだよな。
 序盤のホールでOBなんか打とうもんなら、「メガネの調子が悪い。ということで、たけし、もう1回最初からやり直しな」とかわけわからないことになっちゃう。あの人伊達メガネだったのにさ。往年の名プロゴルファーの中村寅吉さんと回った時も、同じことやって寅吉さんを怒らせちまったらしいからね。
 いつだったか、巨泉さんがタコツボみたいな深いバンカーにハマってなかなか出てこないから、上から覗いたら、手でボールを握ってブン投げてた(笑)。
 だから巨泉さんが「たけし、俺はエージシュートをやったぞ」っていっても耳半分。「証人を出せバカヤロー」なんて言ってそんなに信じちゃいないんだよ。
 いつだったか、カナダのゴルフ場に一緒に行ったとき、巨泉さんが「たけし、ここの17番のショートはな、巨泉ホールって呼ばれてるんだよ。オレの似顔絵がデカデカ飾ってあって、ホールインワンすると経営しているOKギフトショップから景品が出るんだ。写真撮っとけよ」なんて言うんだよ。
 で、カメラを持ってそのホールまで行ったら、デッカイ巨泉さんの顔写真が間抜けな落書きされたり、アイアンでボコボコに殴られたり、もうムチャクチャにイタズラされてるんだよな。腹を抱えて笑ったぜっての。


 どこまで本当の話なんだろう、と思うところもあるのですが、ひどいことを言っているようで、言われている本人もその場にいたら一緒に笑ってしまうのではないか、というのが、たけしさんの「毒舌」なんですよね。
 やっぱり、こういうのは「芸」なんだろうな。


 現在70歳のたけしさんは、「今の総じてマジメな中高年」に、こんな言葉をかけています。

 だからすべての中高年に言いたいんだけど、家の中でも、職場でも、近所のコミュニティでも「いいジジイになろう」なんて考える必要はない。自分の思うように生きて、その結果として若者には目障りで迷惑な存在になって、「お前なんて早く死んじまえ」と思われるぐらいのほうがよっぽど健全だろうってね。理想は葬式で「よくぞ死んでくれた」って拍手喝采が起きることだな。それこそ「思いっきり生きた最高の老後」なんじゃないか。
 これは老人だけでなく、若いヤツラにだって言えることだよ。老人に「おじいちゃん、大丈夫?」なんて優しい言葉をかけてやる必要はない。「なんだ、このジジイ!」でいいんだよ。
 オイラに言わせりゃ、中高年と若者の利害なんて常に相反するもので、世代が違うヤツ同士は戦っているのが当たり前。「理解しあいましょう」とか「手と手を取り合いましょう」なんてキレイゴトばかり言うから、世の中がおかしなことになっちまうんだよ。
 こんな話をすると、「若い頃にジジイ・ババアいじめのネタでさんざん老人をからかってたビートたけしが自己弁護してるだけじゃねェか」って笑われちまうのかもしれない。でも、オイラはそのほうが「お年寄りを大切にしよう」みたいなうさん臭い建前ばかりの今の世の中よりよっぽどマシだと思うんだ。
 常々言ってるんだけど、「未来の子供たちのために」とか「子孫にツケを残すな」なんてキレイゴトを並べるヤツは、とにかく疑ってかかったほうがいい。そういうセリフを吐くヤツには「それじゃあ、お前は自分のひいじいさんの顔や名前を知ってるのか」って聞いてみたくなる。オイラなんて自分のじいさんの顔すら知らない。自分たちが先祖のことなんて微塵も考えたこともないのに、自分たちが後の世代のことを親身に考えるなんて、まったくリアリティがないだろってね。
 気になってるのは自分の生きてる間の生活だけなのに、いかにもひ孫やらに気を遣っているような大ウソをつくんじゃねェって思っちまうんだよな。


 これは確かに、そのとおりだよなあ。
 僕は歴史が好きなので、いろんな時代の史料をみてきたのですが、最も「後の世代のこと」を真剣に考え、そこに希望を見いだしていたのは、太平洋戦争に従軍していた人々ではないか、と思うのです。
 逆にいえば、そういう、自分が生き残ることが期待できないような「極限状態」でなれれば、人は「後の世代」のことを現在の自分より優先することはない。
 もちろん、自分自身の子供のことは、別ではあるのでしょうけど。
 「後の世代」に希望を託さずにすむ時代というのは、まだ「良い時代」なのかもしれません。


 70歳でも「自立」していて、人々に必要とされているから、そんなこと言えるんだ、と思うところもあるのですが、たぶん、そういう反発があることも承知の上で、たけしさんは話すことをやめない。嫌われることから逃げない。
 これから、どんどん「年寄り」になっている僕は、読んでいて、なんだかけっこう勇気づけられました。
 嫌われるのが、あたりまえ、なんだよね。