琥珀色の戯言

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【読書感想】失われた感覚を求めて ☆☆☆☆

失われた感覚を求めて 地方で出版社をするということ

失われた感覚を求めて 地方で出版社をするということ


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
2006年に自由が丘で単身立ち上げた出版社「ミシマ社」。数々の話題書をつくりながら、東日本大震災を機に京都・城陽市にも拠点を開設。二拠点体制が始まる。はたして、その活動は、東京一極集中の限界を打ち破るのか?「衰退」と言われる出版産業を救う可能性はあるのか?3年間、実際に、「地方」で活動しつづけている著者による最新レポートであり、日本が抱える現実と「未来」の両方が浮き彫りになる体験記。


 出版社って、ひとりでも作れるのだなあ、なんて感心しながら読みました。
 僕は「ミシマ社」の本を何冊か読んだことがあり、小規模だけど良心的な仕事をしている出版社だと認識していたのですが、そうか、三島邦弘さんが、たったひとりで立ち上げたのか。

 このひと月ずっと考えていたことがある。
 出版社はこれからどうしていけばいいのか。
 今、出版社にとって、一番の問題は何か。
 考え抜いた末に、明確な結論が出た、というわけではない。
 ただ、きっとこういう方向性でいけないい、というものは見つかった。結論からはじめよう。
「日本全国に出版社を」


 三島さんは、1999年に大学を卒業したあと、2つの出版社で働いています。
 そこで「出版とは日本一楽しい仕事だ」と思いつつも、勤めていた出版の現場での「本が売れない」「出版不況だから……」という閉塞感に耐えられなくなり、2006年に東京・自由が丘で『ミシマ社』を立ち上げたそうです。

 2011年4月1日、ミシマ社は正式に、京都府城陽市にもオフィスを開いた。
 そこへの移動はまったくの偶然というほかない。思い入れがあったわけでも、誰かに頼まれたわけでもない。実際のところ、自分にとって未踏の地だった。
 東日本大震災の直後からどこか仕事に集中できる場所がないか、と考えていた。震災から三日後の三月十四日、月曜日の朝ミーティングでぼくは言った。
「東京は被災地じゃない。被災した方々は働きたくても働けない。ぼくたちが今できることは、ふだん通りに働くことだと思う。不安に加担することだけはやめよう」。しかし、それからまもなく福島で第一原発の事故が起きた。不安がいっきに拡散した。そのときふつうに働くためにも、いったん「不安」の空気から離れるほうが、賢明だろう。そう判断した。その日の夕方、たまたま知り合いが空き家をもっているのを知った。訊けば使っていいという。それだけを頼りに、その日の夜のうちに東京を出発し、来た場所だった。
 突拍子もない行動と判断。
 これぞ、社の原点。

 この本では、三島さんが、東日本大震災を機に、東京を離れて、京都の田舎を中心にしての活動を試みて体験したことが、赤裸々に綴られています。
 地方の良さ、も伝わってくるけれど、地方で出版社をやっていくことの難しさ、というか、いまの時代に出版を仕事にすることそのものの難しさも伝わってくるのです。


 城陽市では、小さな書店を併設し、そこで、実際に読者とふれあいながら、本をつくり、売る、という試みもされていました。
 都会の大型書店では、ひたすら配達されてくる本の整理とレジ打ちに追われてしまうけれど、お互いの顔がみえる書店、というのは、作る側にとってもすごく刺激になったようです。
 ただ、採算がとれるようなものではないし、それを目的としていなかったのも事実。


 ミシマ社は「絶版本をつくらない」というポリシーで運営されてきました。
 読者が必要としている本が、出版社の都合で読めなくなるなんておかしいし、自分たちは、時代を経ても価値のある本とつくっていきたいから、と。
 しかし、それを実際にやってみると、やはり「問題」は生じてくるのです。

 絶版が生じる最大の理由は、採算面にある。おおざっぱにいえば、1500部増刷しても、500部しか売れないだろうと判断すれば、その本を欲する500人よりも、1000部の不良在庫が生じることを避ける。結果、増刷をあきらめ絶版扱いにする。しかし、これはあくまでも目先の損得の話にすぎず、読者に向いた判断であるとはいいがたい。本は生鮮食材ではない。置いておいたからといって、腐るものではない。いやむしろ、いい本であれば内容的には時の経過とともに熟成していき、時代を超えて届く言葉になる。その意味で、発酵はする。がモノとしての原形をとどめないほどにドロドロになることはない。とすれば、読者が欲しいと思ったときに手に入るという状態をつくるのが、出版社の役割ではないか。
 そう思い、実践すれば、なんのことはない。目先の損得勘定さえ捨てれば、むずかしいことではなかった。
 ところが、各出版社はそうしない。読者よりも自分たちのほうを優先にする。
 と考えていたのだが、7年経ってよくやく身にしみてわかってきたことがある。目先の損得勘定というふうに割り切れないものがあったのだ。むしろ、長期の活動を維持するために、目先の損得をある程度、許容していかなければいけないともいえる。
 どういうことかといえば、年数を経るごとに、在庫が増えていく。子どもの身長が年々伸びていくように。
 仮に1年に10冊の新刊を出す出版社であれば、7年後には70冊の既刊本が出ることになる。1冊も絶版はしないという方針で、平均800冊の在庫があるとしよう。創業半年後には4000冊の在庫が倉庫にある状態になる。初版1冊分ほどにそうとうするが、まだ社としても大きな負担ではない。だがそのペースでいくと、7年後には、倉庫には常時、5万6000部ほどの在庫が山高く積まれることになる。この部数はちょっとしたベストセラー並みだ。もちろん、置いておくだけで、保管料、管理費などといった費用がかかる。1年目、2年目は、「むずかしいことではない」と思えたものが、実際には、大きな重荷になっていく。そのことに、会社が行き詰まったタイミングではじめて意識がおよんだ。


 「1年に10冊の新刊を出す出版社」で、こうなってしまうのですから、大きな出版社となると、在庫の負担は、非常に大きなものであろうことが推察されます。
 紙の本には、「物質としての重みとか、豊かさ」があるのだけれど、その一方で、このような「物理的な制約」が生まれてしまうのも、まぎれも無い事実なんですよね。
 電子書籍であれば、「在庫の置き場所に困る」ということはないのですから。
 「絶版」というのは、読者側からすれば、納得いかないというか、好ましくないシステムなのですが、やむをえない面もあるのだなあ、と、これを読んで思い知らされました。


 「ミシマ社」は、2013年の3月末に、城陽市から京都市内にオフィスを移すことになります。
 「地方」での活動を目指した三島さんにとっては、挫折でもあり、「ミシマ社」と続けていくための決断でもあったようです。
 しかし、これほどIT化が進んでも、出版社にとっては、心の活性みたいな面で、やはり、都会のメリットは大きいのかな、とは感じました。
 のどかな環境で、刺激的な本をつくるというのは、けっこう、難しい。
 著者との物理的な距離、というのもありますし。
 

 「城陽プロジェクト」は、成功だったのか、それとも、失敗だったのか。
 そして、「ひとりで作った出版社」は、これから、どうなっていくのか。


 こういう人、こういう出版社があるというのは、間違いなく、本の世界を豊かにしていると思うのです。
 「ミシマ社」は面白い本を少数精鋭で出しており、僕も応援しています。

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