琥珀色の戯言

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【読書感想】ギリシア人の物語II 民主政の成熟と崩壊 ☆☆☆☆☆

ギリシア人の物語II 民主政の成熟と崩壊

ギリシア人の物語II 民主政の成熟と崩壊

内容紹介
アテネに栄光をもたらした民主政の最大の敵は〝ポピュリズム〟だった――
国内の力を結集することで大国ペルシアを打破した民主政アテネ。不世出の指導者ペリクレスの手腕により、エーゲ海の盟主として君臨し、その栄光は絶頂をむかえた。しかし、デマゴーグが煽動するポピュリズムが台頭すると、アテネはスパルタとの不毛きわまる泥沼の戦争へと突き進んでしまうのだった――。なぜ、かつてできたことができなくなってしまうのか。なぜ、輝かしい栄光はまたたくまに霧散してしまったのか。民主主義の本質をえぐりだす歴史大作。


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 この巻のサブタイトル「民主制の成熟と崩壊」というのをみて、なんてタイムリーなんだろう、と感心してしまいました。
 トランプ大統領誕生などで、「ポピュリズム」という言葉が氾濫している今だからこそ、ペリクレス時代に頂点を極め、その後、衆愚政治に陥っていったという「民主主義のふるさと」ギリシアの歴史をあらためて検証するというのは、大変興味深くもあるのです。
 この『ギリシア人の物語』、全3巻というのを聞いていたのですが、最初の巻で「ペルシア戦争」でのレオニダスやテミストクレスの活躍が描かれてしまったので、ちょっと拍子抜けしてしまったんですよね。えっ、これがクライマックスじゃないの?って。
 この2巻目も、主役のひとり、ペリクレスが活躍するのは前半部分のみです。
 後半はアテネを中心としたデロス同盟とスパルタを盟主としたペロポネソス同盟による長い戦い「ペロポネソス戦役」が描かれています。


 ペリクレスは、「ギリシア民主主義の象徴」であったのと同時に、けっして「みんなの決定に任せる」という人物ではなくて、「自分が考えている『正しい方向』に、民衆が自分たちで選択したように思わせつつ誘導していく」というところもあったのです。

 ある年、紀元前445年前後となればペリクレスも50歳になっていた年のことになるが、始まっていたパルテノン神殿の建築工事に莫大な国費が投入されている事実をあげて、反対派がそれを理由にペリクレスの失脚をはかったことがあった。
 これに対してペリクレスは、並の政治家ならばやったにちがいない、パルテノン建造が、莫大な額になろうとも国費を投入する価値のある公共事業であることを、言葉をつくして説くようなことはしなかった。その代わりに言った。
「国費を投入する価値はないというのなら、費用は全部わたしが負担する。だがその場合は、完成した神殿の前に、「これはペリクレスが私費で完成した」と刻んだ石碑を立てることを条件にしたい。
 ゆえに市民諸君に求められているのは、これまでのように国費で工事をつづけるか、それとも、これ以後はわたしの負担でつづけるか、のどちらかを決めることである」


 ペリクレスが名門出身で資産家だったから、とはいえ、すごい発言だなあ、と。
 これって、「建造を止める」という選択肢は最初から潰してしまっていますし。
 こう言われては、「じゃあ、ペリクレスに任せた」というわけにもいかないでしょうし。


 構成からは偉大な政治家とみなされているペリクレスが亡くなったときのアテネ市民の反応も興味深いものでした。

 ペリクレスの死の報は、アテネ市民にはさほどの感慨もなく受けとられた。正義の人とされて死ぬまで賞賛を浴びていたアリステイデスのときのように、国葬にしてその死を弔おうと言い出す者もいなかった。
 戦没者でもないので、アテネ城塞外の墓地内の一等地にある、国有の専用墓地に葬られることもなかった。
 ペリクレスの死を知っても、アテネ市民の多くには、追悼の想いはあまりなかったようでである。
 それどころか、諷刺喜劇作家のアリストファーネスが笑いの種にしたように、何ごとにつけても、国民に寄り添うとか国民の要望に耳を傾けるとかはいっさいせず、まるで主神ゼウスでもあるかのように叱りつけたりリードするだけであったペリクレスがようやく死んでくれて、やれやれ清々した、という想いのほうが強かったのかもしれない。


 ペリクレス以後のアテネの指導者たちのさまざまな死にざまをみていくと、ペリクレスは「畳の上で死ねた」だけでも幸運な人だったような気もしてくるのですが、政治家の評価というのは、その人の存命中や亡くなってすぐには難しい、ということなのでしょう。


 著者は「なぜアテネは衆愚政に陥ってしまったのか?という問いに、ついて、こう答えています。

 都市国家アテネの主権者は、「市民」という名の民衆である。だからこそ、主権在民になる。最高決定権は「民」(demos)にあるという点では、民主政治も衆愚政治もまったく変わらない。
 つまり、悪い政治の見本とされている衆愚政治といえども、民主政治が存在しなかった国では生れようがないということになる。
「デモクラシー」が銀貨の表面ならば、
デマゴギー」は裏面なのだ。
 ひっくり返しただけで様相が一変してしまう.裏面なのである。
「民主政」も「衆愚政」も、銀で鋳造されているということならば同じの、銀貨の表裏でしかない。
 ペリクレスが生きていた時代のアテネ人は賢かったが、彼が死んだとたんにバカに一変した、などということはありえないのだから。


 しかし、ペリクレス以後のアテネが衆愚政に突入したのは、歴史上の事実である。
 なぜそのようになってしまったのか、の疑問の解明には、もう一つの要因があるように思う。
 政体がどう変わろうと、王政、貴族政、民主政、共産政と変わろうと、今日に至るまで人類は、指導者を必要としない政体を発明していない。
 この事実が示すように、民主政でも衆愚政でも、リーダーは存在する。ただし、性質はちがう。
 民主政のリーダー:民衆に自信を持たせることができる人
 衆愚政のリーダー:民衆が心の奥底に持っている漠とした将来への不安を、煽るのが実に巧みな人。
 前者が「誘導する人」ならば、後者は「煽動する人」になる。
 前者は、プラス面に光を当てながらリードしていくタイプだが、後者となると、マイナス面をあばき出すことで不安を煽るタイプのリーダーになる。ゆえに扇動者とは何も、政治家とはかぎらない。
 今日ならば、デモの指導者もマスコミもウェブも、自覚していようがいまいがには関係なく、立派に「デマゴーグ」(扇動者)になりうる。


 これを読みながら、僕はいままで、「民主政のリーダー」を見たことがあっただろうか、と考えていました。
 アメリカのオバマ前大統領は、大統領選に当選した時点では、前者だったと思うし、大統領としても、少なくとも有能で善良なほうだったという気はするけれど……


 アテネの歴史を追っていくと、アテネが没落していった転機は、デロス同盟の中心として繁栄を誇っていた際に、目先の利益に釣られ、遠いシラクサに大軍で遠征をして大敗したことでした。
 それでも、多くの人的資源や船を失いながらも、アテネは急速に「再生」するんですよね、一度は。
 ところが、せっかく再生した海軍が、今度はちょっとした油断から「アイゴスポタモイの海戦」で、スパルタ海軍に敗れ、ついにスパルタに降伏することになってしまうのです。


 慢心や油断、敗勢濃厚な戦いに「これまで費やしてきたものをムダにはできない」ということで、より多くの資源を投入して、さらに傷を深めてしまったこと。
 そして、扇動者からの「告発」が横行し、失敗した指揮官にも過酷な処置がとられ、人材が払底してしまったこと。
 他国の捕虜に対しても、これまでの寛容な扱いがなされないようになったこと。


 政治的にも経済的にも文化的にも繁栄をきわめていたはずのアテネは、どんどん悪循環に陥っていったのです。
 個々のアテネ市民が、ペリクレス時代より「愚か」になったわけではないし、シチリア遠征での大敗後に一度は態勢を建て直す底力もみせています。
 にもかかわらず、アテネは、あっという間に「落ちていった」のです。


 高額の報酬と経費の負担を約束されて、それまではほとんど利害関係がなかったシチリアへの遠征を支持したアテネ市民たち。
 アテネの軍の指揮官の際に告発され、一度はスパルタに亡命し、アテネに不利な献策をしていたにもかかわらず、熱狂的な支持を受けたイケメン、アルキビアデス。
 歴史で「衆愚」と罵られている人たちは、現在の人間もやりそうなこと、あるいは、やっていることを、あの時代に実行していただけ、なんですよね。
 むしろ、ほとんどの民主政というのは、衆愚政治ではないのか。
 そのほうが、「ふつう」ではないのか。

 他者より自分のほうが優れていると思ってはならない、とソクラテスは教えた。天才であるとか万能であるとか過信してはならないというのが、ソクラテスの教えであった。
 しかし、そう思ってこそ、できることもあるのだ。
 他者より秀でていると自負するからこそ、他者たちをリードしていく気概を持てるのである。組織や国家という名の共同体を率いていく想いを持つのも、自負心による。
 自分のやりたいことしか考えていないように見える創作者や科学者が、たいした報酬もないのにその仕事に一生を捧げるのも、自負心や自尊心から発している。
 後世はこの種の精神を「ノーブレス・オブリージェ」(優れたる者の他者への責務)と呼ぶようになる。
 無知を知ることは、重要きわまりない心の持ちようであることは確かだ。
 だが、「羊」であると思う人ばかりでは、誰が羊の群れを導いて行くのか。


 ペルシア戦争を描いた1巻に比べると「面白くない」のではないか、と思っていたのですが、この2巻のほうが、今、読んでおくべき時代なのかもしれません。
 これを読んでも、「正解」なんてあるのだろうか、と迷宮に取り残されたような気分になってしまうのですが。


ギリシア人の物語I 民主政のはじまり

ギリシア人の物語I 民主政のはじまり

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