琥珀色の戯言

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【読書感想】旅をする木 ☆☆☆☆

旅をする木 (文春文庫)

旅をする木 (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
広大な大地と海に囲まれ、正確に季節がめぐるアラスカ。1978年に初めて降り立った時から、その美しくも厳しい自然と動物たちの生き様を写真に撮る日々。その中で出会ったアラスカ先住民族の人々や開拓時代にやってきた白人たちの生と死が隣り合わせの生活を、静かでかつ味わい深い言葉で綴る33篇を収録。


 僕は自然や探検について書いた文章が大好きで、よく手に取るのです。
 でも、僕自身は日頃から「Wi-Fiが繋がらないところでは生きられない」と痛感していますし、たまに山に出かけたときには「蛇とかに出くわしませんように……」と不安でいっぱいなんですよね。
 子どもの頃から大自然に興味と憧れを抱き続け、写真家としてアラスカに定住した著者は、別世界の人のような気もします。
 だからこそ、この本で描かれているアラスカの美しくて過酷な自然と、そこで繋がりあって生きる人たちに、心惹かれるのです。


 著者の星野道夫さんについて、「解説」で池澤夏樹さんが、こんなふうに仰っています。

 星野道夫はアラスカが好きで、わずか二十二歳の時にアラスカに行って暮らすという人生の方針を決め、そのために写真の修行をした。そして二十六歳で実際にアラスカに渡り、以後十八年間暮らした。人の住まない荒野に入っていって、風景や動物のいい写真をたくさん撮った。撮る前に、まずもってすばらしい光景をたくさん見た。厳しくて、公正で、恩恵に満ちた自然と、自然に拠って正しく暮らす人々を見た。そして、自分がそれを見られたこと、その人々に出会えたことの幸運を何度もくりかえし書いた。
 書物にできることはいろいろある。知識や情報を授け、一時の楽しみを与え、ことの道理を示し、見知らぬ土地に案内し、他人の人生を体験させ、時には怒りを煽る。しかし、結局のところ、書物というものの最高の機能は、幸福感を伝えることだ。
 幸福になるというのは人生の目的のはずなのに、実は幸福がどういうものか知らない人は多い。世の中にはこうすれば幸福になれると説く本はたくさんあっても、そう書いている人たちがみな幸福とは限らない。実例をもって示す本、つまり幸福そのものを伝える本は少ない。つまり、本当は誰もわかっていないのだ。
旅をする木』で星野が書いたのは、結局のところ、ゆく先々で一つの風景の中に立って、あるいは誰かに会って、いかによい時間、満ち足りた時間を過ごしたかという報告である。実際のはなし、この本にはそれ以外のことは書いてない。


 池澤さんのこの解説の文章は本当に素晴らしい。
 この本を読んでいると、星野さんは、厳しくみえるアラスカの暮らしと自然が好きで、ここで生活することで満たされているのだな、ということが伝わってくるのです。
 自然愛好家のなかには、都会や文明を批判することによって、相対的に自分を持ち上げようとする人もいるけれど、星野さんは、ただ、「自分がここにいて、幸せであること」を満足げに書き続けているのです。

 ある夜、友人とこんな話をしたことがある。私たちはアラスカの氷河の上で野営をしていて、空は降るような青空だった。オーロラを待っていたのだが、その気配はなく、雪の上に座って満天の星を眺めていた。月も消え、暗黒の世界に信じられぬ数の星がきらめいていた。時おり、その中を流れ星が長い線を引きながら落ちていった。
「これだけの星が毎晩東京で見られたらすごいだろうなあ……夜遅く、仕事に疲れた会社帰り、ふと見上げると、手が届きそうなところに宇宙がある。一日の終わりに、どんな奴だって、何かを考えるだろうな」
「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気落ちをどんなふうに伝えるかって?」
「写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンバスに描いて見せるか、いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな」
「その人たちはこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって……その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」


 ああ、僕も自然そのものに憧れるというよりは、自然とともに生きている魅力的な人に憧れるのだよなあ。
 「ファッションアウトドアの人」が、どんなに立派なことを言っていても今ひとつ響いてこない。

 日本からやって来た妻へは、誰もが励ましの言葉をかけていた。おそらく180度の生活の転換に、皆が少なからず心配をしているのだろう。この土地の冬のきびしさ、都会の華やかさは何もない人々の暮らし。ぼくにとっても、アラスカに暮らす人々にとってもあたりまえの多くのことが、彼女にとっては初めて飲む見ずだからであろう。友人のカメラマン、キムが、まだ英語がよく理解できない彼女に向かって、ゆっくりと、さとすように話しかけていた。
「いいか、ナオコ、これがぼくの短いアドバイスだよ。寒いことが、人の気持ちを暖めるんだ。離れていることが、人と人とを近づけるんだ」
 キムは、本当にゆっくりと、同じ言葉を二度繰り返した。じっと聞いていた妻が、ニコッと笑った。彼女はきっとアラスカでやってゆけるだろう。そんな気がした。


 本当に地味ではあるんですけど、まさに「地に足がついた本」だと思います。