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琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】国家の矛盾 ☆☆☆

国家の矛盾 (新潮新書)

国家の矛盾 (新潮新書)


Kindle版もあります。

国家の矛盾(新潮新書)

国家の矛盾(新潮新書)

内容紹介
自民党政権はなぜ集団的自衛権の行使容認に踏み切ったのか。日本外交は本当に「対米追従」なのか。外交・安保論議を一貫してリードしてきた自民党の重鎮が舞台裏を明かす。日米同盟と憲法9条に引き裂かれた戦後日本の安全保障論議に「不健全なもの」を感知する国際政治学者が、平和安全法制の「騒動」に見たものとは──。外交・安保の「現場」と「理論」が正面からぶつかり合った異色の対談。


 高村正彦自由民主党副総裁と国際政治学者・三浦瑠璃さんの対談を新書にまとめたものです。
 「集団的自衛権の行使容認」について、大きな議論となった「安全保障関連法」についての高村さんのスタンスや実際に現場で行われてきた議論については、「こういう話を政権内ではしていたのか」と、ちょっと「見直した」のですよね、これを読んで。
 僕は「いまの自民党の偉い人たちは、みんな日本の世界での『名誉』のためなら、戦争上等!とか思っているのではないか」と考えていたのですが、そうじゃないんだな、と。
 これまでは「安全保障関連法許すまじ!」という人たちの側から書かれていたものを読むことばかりだったのですが、実際に国を動かし、国益、国民の安全を考える側がみている「世界」というのは、こうなっているのか、と思ったのです。

高村正彦安全保障は確率のゲームです。「こうやっておけば絶対安全」とか「これをやったら絶対だめ」とかいうものではない。安全の確率を少しでも高めるように地道な努力を続けるしかない。「これで絶対安全と言えないんだったらすべては無駄な努力だ」というような、イチじゃなければゼロという発想は、安全保障の考え方に馴染みません。


三浦瑠璃:そのゼロイチの発想は、日米開戦前の日本にちょっと似ているかも知れませんね。国際秩序の理解を、「国際法はすべて守られるか無かのどちらかである」という二項対立の中に押し込んでしまい、国際政治はすべてグレーであるという認識がない点で。


高村:そういう共通点はあるかもしれませんね。


 この対談を読んでの率直な印象は、高村正彦さんというのは、すごく優秀で、現実をみている政治家なのだな、ということでした。
 三浦瑠璃さんについては、「なんで『国際政治学者』って、みんなこんなに国とか国民とかをゲームの駒のように語りたがるのかな」という不快感があったのですけど、それは、三浦さんが極めて頭が良い人であるのと同時に、国際政治学というのは、そういう学問である、ということなんでしょうね。
 舛添さんも、こういう、「ものすごく頭が良いのだけれど、他人を駒のように見ている人」だったような気がするので、これはもう、そういうふうになってしまう職業なのかもしれません。
 医者が「患者を診ずに、病気を見ている」とか言われがちなのと同じように。

三浦:論壇の中には、最近だと『永続敗戦論』をお書きになった白井聡さんとか、少し前だと『敗戦後論』の加藤典洋さんのように、「日本は戦後に新しいものを作り上げたと思っているが、内実は全然変わっていない。日本は敗戦し続けているんだ」と考える人たちがいます。そこには、敗戦を一つの「現在」として、善悪や倫理の問題として捉える発想があります。1980年代生れの私は、親の世代が既に戦争を知りません。私には、戦争を原罪としてウェットに位置づける発想が今ひとつピンとこないんです。
 日本のどの地方に講演に行っても、「日本はなぜ原爆を落とされたのか?」という質問が毎回必ず飛んできます。これまでも繰り返し指摘されてきたことですが、戦争に対する加害と被害の両面を持つというある世代までの日本人のアイデンティティーの根幹にある問題なのだろうと思います。すごく突き放した言い方になってしまいますが、アメリカのロジックに従えば、そちらから先制攻撃をしかけてきて総動員の戦争をやっているのだから、こちらが持っている兵器を全部使うのは当然だろ、となるはずです。だから、敗戦を「日本の原罪」として論じる必要なんてないし、日本人は「それはそういう不幸な時代だったね」と解釈しておけばいいと思います。
 敗戦を「日本の原罪」ととらえている限り、「9条の制約を取り払ったり、集団的自衛権を兼ね備えたりしたら、日本はとんでもない好戦的な国になる!」という思い込みや、逆に「もう1回原爆を落とされるような災禍が降りかかってくる」みたいな思い込みを払拭できない気がします。


 1970年代生まれで、子どもの頃、広島で「平和教育」を受けてきた僕にとっては、この三浦さんの話、理屈はわかるけれど、感情としては、「なんでそんなに客観視できるんだ、原爆資料館に行ったことがあるのか?」とか思わずにはいられないんですよね。
 これは世代や受けてきた教育の問題なのかもしれないけれど、僕はあの戦争を実際に体験してきた人たちが、「もう戦争はしたくない」と言い続けていることを、未体験の人間が「そういう不幸な時代だったね、と解釈する」ことに違和感があるのです。
 そういう点では、三浦さんよりも、高村さんのほうが、現場の人間として、「日本人が戦争に加わらないためには、国民の安全を守るためには、どうすればいいのか」を批判されながらも摸索し続けているように感じました。

高村:どんな状況に直面するにせよ、アメリカが世界一であることは当分変わらないんだけど……。ただ、圧倒的に強いアメリカなら、「日本はおんぶにだっこでいい。基地さえ提供してくれれば何でもやってあげる」と考えてくれた。しかし、経済も沈滞気味で軍事費も嵩む時には、おんぶはいいけどだっこは勘弁して、くらいな感じになる。


三浦:そうですね。


高村:我々のような現実的平和主義者は、そういう時にこそ、「じゃあ日本はそこまでやるか」ということを考えるわけです。「なんで日本がアメリカの肩代わりをしなきゃいけないんだ!」と怒る人がいるけれど、話は逆で、いままでアメリカが肩代わりしてくれていた部分をどれだけ自分たちでやるか、ということなんです。この議論、今の若い人たちはわりと分かってくれるんだけど。


 高村さんは、「SEALDsも嫌いじゃないし、共産党の幹部は『嘘をつかない人たち』だと評価している」のです。
 やっぱり、偉くなる人っていうのは、懐が深い。
 もちろん、こういう本って、偉い人の自己宣伝、みたいな要素は大きいと思うので鵜呑みにはできませんが、Twitterでけっこう見かける、安倍総理のやることなすことが嫌いで、病気のことまで悪口の材料にしている人などに比べると、役者が違うよなあ、って。


 「政治家は憲法を自分たちの都合の良いように解釈している」と批判する国民(もちろん僕も含めて)も、自分たちに利益がある場合には、「柔軟な解釈」を許容しているのです。

高村:日本国憲法の)9条2項を文言どおり読めば、「自衛隊違憲だ」と6割の憲法学者が言うのはもっともなところもある。何で6割しか言わないんだっていうところもありますが。
 例えば「私学助成」なんて文言どおり読んだら絶対憲法違反だと思いますが、自分が私学に勤めている憲法学者の先生方は絶対言わないですよね。9条2項だけは文言通りに読むのに。


三浦:そのあたりは結構、恣意的な判断が入っていますね。例えば、同性婚に関してはより革新的な方向で憲法を解釈してよいと言う一方で、安全保障環境の変化は認めなかったり。

 これはたしかに、その通りですよね。


 高村さんは、こう仰っています。

 多数決原理というのは常に正しいとは限らないが、長い期間で見ると比較的正しい。少数の人を長く騙すことはできる。多数の人を一時的に騙すこともできる。しかし、多数の人を長く騙し続けることはできない。だから、すべての先進国が多数決原理を基本とした民主主義をとっている。与党の政治家も野党の政治家も、長い時間で国民の目に耐えうる政治を目指して貰いたいし、国民にもデマに惑わされずに長い目で政治を見て欲しい。


 政治家って(というか、少なくとも高村さんは)、「きわめてまっとうな常識人」なのだな、と感じた対談でした。
 まあ、そうじゃない人も、やっぱりいるみたいなんですけどね。