琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】ローマ帝国 人物列伝 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
ローマの歴史には、独裁も革命もクーデターもあり、「パクス・ロマーナ」と呼ばれた平和な時代もあった。君主政も共和政も貴族政もポピュリズムもあり、多神教一神教もあった。まさに「歴史の実験場」であり、教訓を得るのに、これほどの素材はない。歴史を学ぶには制度や組織は無視できないが、そこに人間が存在したことを忘れてはならないだろう。本書は、一〇〇〇年を超えるローマ史を五つの時代に分け、三二人の生涯と共に追うものである。賢帝あり、愚帝あり、英雄から気丈な女性、医学者、宗教家まで。壮大な歴史叙事詩であり、歴史は人なり―を実感する一冊。


 1000年を超えるローマ史のなかから、32人。
 「1000年を超えるローマ史」と言われると、建国から、東ローマ帝国の滅亡(コンスタンティノープル陥落)までなのかな、と思ってしまうのですが、この本で採りあげられている人物のなかでいちばん遅い時代まで生きていたのはキリスト教の教父・アウグスティヌス(『告白』で知られています)で、西暦430年に亡くなった人なので、「建国から、ローマが東西に分裂した少し後の時代までの人物」の列伝です。


 カエサルアウグストゥス大スキピオといった「英雄」から、ネロやユリアヌスといった、ひと癖ある人物まで、多彩な顔ぶれではあるのですが、この本でローマ史を一から学ぼう、というのは、ちょっと無理があると思います。
 こういう「人物伝」の常として、少なくともその時代の大まかな知識はもっていて、ちょっと違った角度から、歴史を眺めてみたい、というとき、あるいは、歴史好きにとっては、ちょっと忘れかけていた知識を再確認するための気軽な読み物が欲しいとき、に向いているのではないかと。


 歴史上の「英雄たちの駆け引き」というのは、何度読んでもワクワクさせられるのです。
 第二次ポエニ戦争で、イタリア半島に侵入してきたカルタゴの名将・ハンニバルと「ローマの盾」と呼ばれたファビウスのエピソード。

 ファビウスは、ハンニバルとまともに対決するのは愚かだと気づいていた。正面きっての合戦を避け、付かず離れず、ひたすらハンニバルの尻を追いかけるだけ。この遅延作戦のために「ぐず(コンクタトール)」のあだ名で揶揄される。
 だが、ファビウスは臆病だったわけではない。大軍を率いれば、それなりに物資や兵力がいる。軍事行動の背後には、必ずそれらの補充のための人と物の流れ(兵站)がある。それを妨げ、カルタゴ軍が消耗するのを待つ。それがファビウスの狙いであった。
 このファビウスのもくろみは、ローマ人には評判が悪かった。だが、さすがにハンニバルは、戦術家ファビウスの才覚を見抜いていた。人望のある統率者が評判を落としているなら、それに上塗りしてやるのも戦術のうちではないか。
 ハンニバル軍は各地の領地を荒らし、略奪を繰り返したが、ファビウスの領地だけは手をつけなかった。あたかもファビウスハンニバルと意を通じているかのように。
 ローマの民衆は怒り狂った。だが、ファビウスハンニバルの策略に乗せられてばかりではない。さっさと自分の土地を国家に寄進してしまう。この潔さがファビウスを疑惑の目から救った。高潔な人物として、ファビウスはますます信頼を集めたのだ。


 歴史に遺る名将ふたりが、「民衆の心」をめぐって、無言で対局していたんですね。
 こんな高度な心理戦をやっていたのか……
 しかしながら、このファビウスも、のちにハンニバルをザマの戦いで撃破する大スキピオの積極的な戦略に対しては、何かにつけて反対していたそうです。
 それは「老い」とか「嫉妬」だけではなく、ファビウスが徹頭徹尾、慎重な人物だったから、なのかもしれませんが、歴史が示した「結果」をみると、ファビウスという名将の「汚点」にはみえるのです。
 

 カエサルについては、こんなエピソードが紹介されています。

 ポンペイウスは「自分についてこない者は敵と見なす」と脅した。大雄弁家キケロも、しぶしぶポンペイウスに従った。だが、カエサルは「誰にも与しない者なら味方と見なす」と言ったのである。国賊ゆえに、低姿勢でいなければならなかったにしても、役者が一枚上だった。


 カエサルという人の言動をたどってみると、本当に「役者が一枚上」だとしか言いようがない、と感じてしまうのです。
 普通の人なら、「ピンチ」のはずの状況を「チャンス」に変えてしまう人なんですよね、カエサルって。


 また、暴虐な皇帝として知られるネロは、当時の民衆からは、こんなふうに評価されていたそうです。

 実のところ、側近や元老院議員には、反感と憎悪が煮えたぎっていた。しかし、ネロ帝は民衆には好まれ、人気があった。凝った衣装で民衆の前に登場し、大盤振る舞いをする、芸術家気取りで目立ちたがりやの元首に、民衆は喝采を惜しまなかった。
 そのせいで乱費に乱費が重なり、財政は破綻寸前になる。その穴埋めに、富裕層を追放したり処刑したりして、財産を没収する。そして、また気前よく散在するのだから、退屈した民衆にはたまらなかっただろう。


 同時代の民衆には、けっこう好かれていたみたいです、皇帝ネロ。
 でも、こんなふうに「バラマキ政治」をやったり、目をつけた人を「見せしめ」にしたり、といった政治的な手法って、最近もどこかで見た、あるいは見ているような気がするんですよね。
 結局、人間の本質って、1000年くらいでは、そうそう変わらないのかもしれません。
 権力者も、民衆も。


 歴史についての本を読んでいると、ときどき、「自分の『常識』が、誤解とか思い込みだったこと」に気づかされることがあるのです。

 しばしば「ローマの平和」を表す言葉として、「パンとサーカス」が挙げられる。パンは小麦などの穀物であり、サーカスは見世物である。ただし、ここで言うサーカスは、曲芸を指すのではない。戦車競争の楕円形コースを意味する「キルクス(circus)」を英語読みしたにすぎない。

 サーカスって、あのピエロとかが出てくるボリショイサーカスみたいなもの……じゃないんですね。
 この話、前にもどこかで聞いたことがあるような気がするのだけれど、すっかり忘れていました。


 歴史好きにとっては、「知っているつもりで、けっこう忘れてしまっているローマ史」を楽しみながら復習できる好著だと思います。

アクセスカウンター