琥珀色の戯言

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【読書感想】たけし、さんま、所の「すごい」仕事現場 ☆☆☆☆

たけし、さんま、所の「すごい」仕事現場 (小学館新書)

たけし、さんま、所の「すごい」仕事現場 (小学館新書)


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
ビートたけし明石家さんま所ジョージの3人は、なぜいつまでもテレビバラエティの頂点に君臨できるのか―その秘密は驚くべきプロフェッショナリズムにあった。『世界まる見え!テレビ特捜部』『恋のから騒ぎ』など数々の大ヒット番組を立ち上げた日本テレビの名物プロデューサーが、「テレビの3大天才」の知られざる仕事現場を明かす。これは胸が熱くなる「テレビ黄金時代」の記録である。


 『世界まる見え!テレビ特捜部』『恋のから騒ぎ』『特命リサーチ200X』などの人気番組を日本テレビで手がけ、現在はドワンゴに出向されている吉川圭一さんの笑いの巨人たちや人気番組の思い出と今のテレビ業界への提言。

 テレビが最も妖しい魅力を放つのは、
「狂気を孕んだとき」
公序良俗に反することやタブーが暗喩として上手に表現出来たとき」
「予測不能な展開が起こったとき」
 である。


 ビートたけしさんや明石家さんまさんは、まさにこの「狂気」や「予測不能な展開」をテレビにもたらしてきたわけですが、著者は彼らの「狂気」の魅力にとりつかれている一方で、とことんリサーチをし、考え抜いた番組をつくってきてもいるのです。
 どんなに才能のある演者に対しても「あとはアドリブで」みたいなことはなく、全力で下準備をした上で、彼らが「全然台本とは違うのに、もっと面白いことをやってしまう」のを目の当たりにしてきています。
 そういう「準備」があるからこそ、それを壊すアドリブが活きてくるんですよね。


 この本のなかでとくに虚観深かったのは、所ジョージさんのさまざまなエピソードでした。
 ビートたけしさんは「軍団」をはじめ、たけしさんの魅力を語ってくれる人が少なからずいますし、タモリさんも『笑っていいとも』終了前後は、「タモリ論ブーム」が起こりました。明石家さんまさんが、「24時間明石家さんまでありつづけていること」は、かなり知られています。
 それに比べると、所さんというのは、これだけ長年テレビで活躍しているにもかかわらず、あまり「色」がついていないようにも感じるのです。

 所ジョージの司会としての姿勢は、一見すると「いい加減」で「気楽」なものと感じられる。所ジョージと私の30年にわたる仕事の履歴を振り返ってもそういう印象である。
 しかしそれは、所ジョージがあえてそう振る舞っている部分も大きいのではないかと考える。
 たとえば所ジョージは、どんな感動的なVTRでも決して涙を流さない。少なくとも筆者は、一度も見たことがない。
 これは、所ジョージが冷たいとか、そういう話ではない。VTRが終わってスタジオが司会者、ゲストも含めて涙の嵐になってしまうと、まず番組の品格がなくなる。さらに言えば「自作自演な感じ」がみなぎってしまう。すると視聴者は置いてけぼりを食らい、冷めてしまう。「勝手にやってろよ」と思ってしまう可能性が大だ。
 ゲストのひとりがハンカチを少し使うくらいでちょうど良い。感動するのは、本来、「お茶の間」「視聴者」であるべきだ。
 バラエティ番組では、重厚な内容から、笑いや涙ありの内容まで、硬軟問わず様々な話題が展開される。しかし、「戻るべき番組の基準点」があるから、色々な方向に逸脱できるのである。それを所ジョージは本質的に理解しているのだ。私はそう考えている。


 30年一緒に仕事をしていても、「感動的なVTRで涙を流しているのを観たことがない」というのは、逆に、すごいことですよね。
 どんなに感情が表に出ない人でも、選りすぐりの感動エピソードばかりをみていれば、年に1回くらい、涙をこらえきれないこともありそうなのに。
 そして、どんなに感動的な内容でも、出演者たちがみんな号泣していると、観ている側がちょっと引いてしまうというのは、たしかにあるのです。
 他人が泣いているのをみると、引きずられることもあれば、自分はかえって冷静になることもあるじゃないですか。


 所ジョージさんは、『ナカイの窓』という番組にゲスト出演していた際に、こんな発言をしていたそうです。

「意識しているとすれば茶の間。茶の間の人がどうやって楽しんでいたり、どんな心持ちで見ているか——を必ず意識している」

 この「自分たちがやっていることを客観視できる能力」こそが、所さんの強みなのでしょうね。
 適当にやっているようにみえるのも、「そう見せている」のです、たぶん。

 これは伝聞ではあるが、こんな所の人間性を表すエピソードもある。
 落語家・林屋正蔵が真打襲名披露の時に「渡したい物がある」と所ジョージに言われ、世田谷ベースに駆け付けた。すると正蔵は手のひらに収まる大きな桐の箱を渡された。開けて見ると、林家の家紋である花菱が刻まれた刀の鍔が入っている。
 しかもその鍔は銀色のラッカーで塗装されていた。
 正蔵が後に古美術商に見せると、その鍔は、元は100万円以上の価値があるという。しかし、所ジョージが銀色に塗装したことで価値がゼロになっていたそうである。
 所ジョージはなぜそんなことをしたのか。ふと桐の箱のふたの裏を見ると、こう書いてあった。


「伝説は壊さなければ意味がない」


 これを見た時、正蔵は軽い眩暈がしたそうである。


 人気長寿番組となった『恋のから騒ぎ』の話も、ああ、懐かしいなあ、と思いながら読みました。

 始めてみると、爆発的に面白いエピソードの数々に、企画したこちらが驚くほどだった。
 当時は、バブルの後期である。とんでもない話がワンサカ出てきた。
「オッサンに西麻布の億ションを買ってもらった」
「明日は自家用飛行機で大分にゴルフへ行く」
ベンチャー企業社長の彼氏が『BMWアルファロメオとどっちがいい?』と聞くからメルセデスを買わせた」……などなど。
 普通のタレント番組では絶対お目にかかれない、さんま激怒のエピソードのオンパレードだった。
 中には突然の前振りもなく「昨日、5年付き合っていた彼氏と別れた」とスタジオでさんまに告白し号泣する娘もいた。それにデリケートに対応する明石家さんまという構図も新鮮でった。
「これがテレビだ!」と心から思ったものである。
隔週土曜日の収録が終わると、主な男性スタッフは連れだって西麻布に繰り出し、明石家さんまのご馳走で焼肉を食べ、酒を飲んだ。「オンナのはらわた」と見て傷ついてしまった男たちは、そうやって心を僅かながら癒すのだった。


 ちなみにスタートから17年後、2011年に放送された最終回で「男に傷つけられた時」という質問に対するフリーターの女の子の回答は、「彼氏のメールに絵文字がなかった」だった。リーマンショックの影響が色濃く遺り、東日本大震災もあったこの年。女性の関心は、「億ション」から「絵文字」へ変わったのである。社会の趨勢をも、この番組は反映していた。


 言われてみれば、たしかにそうだよなあ、って。
 1990年代半ば、バブルの時代とは、男女の駆け引きの道具も、だいぶ様変わりしてきたのです。
 どちらかといえば、バブルの時代が異常だったのだろうとは思うけれど。
 「芸能人ではない女性の生態」を見せる番組は、時代の鏡でもありました。
 個人的には「よく毎年、こんなムカつく女性ばっかり探してくるよなあ!」とか、思っていたんですけどね。


 タイトルに出てくる、ビートたけしさん、明石家さんまさん、所ジョージさんの興味深いエピソード満載の、バラエティ番組好きにはたまらない本だと思います。
 しかし、テレビ番組の制作っていうのは、ブラックというか、キツい仕事ですね。
 笑ってもらうための番組は、自分が笑いながらでは作れない。

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