琥珀色の戯言

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【読書感想】フランクル『夜と霧』への旅 ☆☆☆☆

フランクル『夜と霧』への旅 (朝日文庫)

フランクル『夜と霧』への旅 (朝日文庫)

内容紹介
強制収容所の体験の記録『夜と霧』をはじめ、
精神科医フランクルの著作が、日本中で静かに読み継がれている。
苦しみを抱えながらフランクルの言葉を生きる支えにする人々と、
フランクル自身の人生をたどり、その思想の深奥を追う。
《解説・後藤正治》


 著者は朝日新聞の記者なのですが、以前から取材していた『夜と霧』の著者、ヴィクトール・エーミール・フランクルさんのことを『ニッポン人脈記』という連載記事で採りあげようとしていた矢先に、2011年の東日本大震災が起こります。
 このタイミングだからこそ、フランクルさんのことを書くべき、だと著者は思いませんでした。
 現実で起こっていることの圧倒的な大きさ、重さに、「こんなときに、生きる意味について書くなんて……」と、かなり逡巡したそうです。
 悩んだ末に、『ニッポン人脈記』は執筆・掲載され、そのなかで、著者は自分がフランクルさんについて、フランクルさんの強制収容所での体験について、いかに無知であったかを知り、その後も取材を続けて書き上げられたのが、この本なのです。


 僕も大学生時代、そして、2002年に池田香代子さんの新訳が出た際に『夜と霧』を読みました。
 大学時代に読んだときには、「収容所での非人道的な行為」に驚愕し、なんでこんなことをする人たちがいるのか、とナチスに憤りました。
 2002年に新訳を読んだ際には、「戦争の、収容所の悲惨さ」よりも「極限状態でも希望を失わない人間という存在の、そして、著者のフランクルさんの強さ」に圧倒されたのです。


 この本、フランクルさんの伝記ではないし、『夜と霧』の執筆の経緯を詳しく書いているものではありません。
 『夜と霧』、あるいはそれ意外の著書や講演活動を通じて、フランクルさんに惹かれ、集まってきた人々たちが、フランクルさんから受け取ったもの、あるいは、彼らからみた、フランクルさんの人となりについて、当事者の証言に忠実に紹介しています。
 それだけに、読んでいくと、「なんか、あんまりフランクルさん自身のことが書かれていないような気もする」のですが、それは、著者が、フランクルさんはこういう人だと決めつけることに抵抗があって、あえて「それぞれの人からみたフランクルさんや『夜と霧』のパズルのピース」を集めて、提示するにとどめたから、なのでしょう。


 『夜と霧』をドイツで見いだしたのが、この本を最初に日本で翻訳した霜山徳爾さんでした。

 1945年4月にアメリカ軍により、ドイツ南部の収容所から解放されて、夏にウィーンに辿り着く。しかし、再会を夢見て帰ったウィーンで、母はアウシュヴィッツガス室に送られてすぐ命を奪われ、妻は、アンネ・フランクのいたベルゲン=ベルゼン収容所に移されて、解放後に死亡していたことを知る。
 ようやく手にした自由と、深い失望のなかで、フランクルは『一心理学者の強制収容所体験』と九日間で口述筆記させたという。
『一心理学者の強制収容所体験』は、1946年にウィーンのユーゲント・ウント・フォルク社から刊行された。はじめに三千部を出して、フランクルのほかの本の売れ行きをにらんで二刷も出したのだが、売れなくて、絶版になった。
 それを、1953年から西ドイツに留学した霜山が、偶然、本屋で見つけたのだ。
<ボン大学に留学していたときに出会った『夜と霧』の原書は、戦場を見た私の「大いなる慰め」でした>と、霜山は晩年のインタビューに答えている(『いきいき』2003年8月号)。


 『一心理学者の強制収容所体験』を読んで感銘を受けた霜山さんは、ウィーンに直接フランクルさんを訪ねます。
 そのときのことが、『夜と霧』の訳者あとがきに書かれているそうです。

 彼は心から親切にこの東洋の一心理学者をもてなしてくれ、数日のウィーン滞在中あらゆる便宜を私のために計ってくれた。快活、率直な彼の魅力的な人となりにひかれ、私は彼と十年の知己の如く親密になった。しかし最も印象的だったのは、ウィーンの郊外の森の有名な旗亭アントン・カラスでワインの盃を傾けながら、彼からアウシュヴィッツの話をきいた時であった。謙虚で飾らない話の中で私を感動させたのはアウシュヴィッツの事実の話ではなくて……それは別なルポルタージュで私はよく知っていた……彼がこの地上の地獄ですら失わなかった良心であった。


 ちなみに、この『一心理学者の強制収容所体験』は、日本語訳がみすず書房から出版される際に、当時話題になっていた収容所を扱った映画のタイトルでもあった『夜と霧』と改題され、本文と同じくらい長い「解説」と収容所の遺体や遺留品などの「写真と図版」を加えられました。
 しかし、そういう「センセーショナルな売り方」は、本来、フランクルさんが意図したものとは異なっていたようです。

 印象的な書名と、インパクトを強めた中身。だからこそ日本でも、またたく間にベストセラーになったのだろう。けれども、後世の私は粗忽者ゆえ、『夜と霧』について、いくつかの思い込みをしていた——そのことに、ずいぶん後になって、気がついた。
 まず、私は、フランクルを「犠牲者」として見ていた。その構図は、彼が本当に伝えたかったことを理解するのを妨げていたことに、後で気づいた。
 もうひとつは、書名の由来となった映画の「夜と霧」にもかかわることだが、本も映画も、「アウシュヴィッツでのユダヤ人虐殺の話」なのだと思い込んでいた。どちらもアウシュヴィッツは確かに出てくる。しかし、すべてではない。


 多くの人が、フランクルさんの収容所での体験の凄まじさだけではなく、第二次世界大戦後にも、しなやかに生き続け、ユーモアを忘れなかったフランクルさんの「生きざま」に感銘を受けた、と語っています。


 著者は、1988年3月、オーストリアナチスドイツに併合されて50年の記念式典で行われた、フランクルさんの「もっとも知られた演説」を紹介しています。フランクルさんの全集第二巻より。

 ナチズムは人種的狂気をひろめました。けれども、本当に存在するのは二つの「人種」だけです——品格ある人たちと、そうでない人たちと。この「人種」の分け目は国際社会にも、また国内の政党の間にもあります。強制収容所のなでも、ときにはちゃんとした親衛隊員に出会うことがありましたし、またならず者の囚人もいたのです。ちゃんとした人たちが当時少数だったこと、またいつもそうだったこと、これからも少数派にとどまることを、私たちは受けいれるしかありません。事態が危険になるのは、政治体制が国民のなかからならず者を選んで上に行かせてしまうときです。


 ただし、著者は、フランクルの人間への信頼や希望に共感しつつも、フランクルさんが「ちゃんとした親衛隊員」として挙げた、解放前にいた収容所の所長(彼は、自分のお金で収容者たちに薬を買って提供したそうです)に対して、「彼が収容者たちに比較的寛容だったのは、ドイツの敗勢が濃くなってきたからではないか」とも書いているのです。
 フランクルさん自身も、ポジティブなメッセージを発し、ユーモアにあふれた人物でありながらも、書斎には「苦悩する人の像」や「棺の絵」を置いていたことが紹介されています。
 それらの像や絵への「解釈」が正しいのかどうか、フランクルさん本人は何も語ってはいないのですが。


 この本を読んでいると、とにかく、もう一度『夜と霧』を読み返してみたくなるのです。
 たぶん、読む年齢やタイミングによって、違ったことを感じる本だと思います。


 著者は、こう述べています。

 どう生きるか、人生からの問いかけに日々どう応答するかを考えるとき、「良心」はカギになる概念だ。フランクルによれば、「良心」は意味を感知する器官だから。人間は善も悪もあわせ持つ存在だが、このアンテナを働かせることによって、よりよく生きることができる——はずなのだ。
 では、善とは何か。一つの集団の価値観では、誰かを差別することが善とされることもある。もっと客観的、普遍的なもの……。
 では、善とは何か。一つの集団の価値観では、誰かを差別することが善とされることもある。もっと客観的、普遍的なもの……。
「何をすべきか、何をしてはならないか」という古い形の倫理で善悪を判断してはならない、とフランクル國學院大学で話した。意味の遂行を促進するものが善で、それを阻害するものが悪なのだ、と。
 私のアタマはぐるぐる回る。
 そんなときは、この言葉に立ち戻る。

 あたかも今が二度目の人生であるかのように、生きなさい。一度目は、今しようとしていることに、まちがって行動してしまったかのように!


 フランクルさん、これ、もう少し早く教えてくれればよかったのに……
 と、40代半ばの僕はこれまでの人生を振り返ります。
 フランクルさんの著書を読むことは、この「一度目の人生を追体験すること」でもあると思うのです。


fujipon.hatenadiary.com
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夜と霧 新版

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