琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】高校図書館デイズ ──生徒と司書の本をめぐる語らい ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
北海道・札幌南高校の図書館。ここを訪れる生徒たちは、本を介して司書の先生に自分のことを語り出す。生徒たちの数だけある、彼らの青春と本にまつわるかけがえのない話。


 学校図書館か……
 そういえば、僕もけっこう図書館には出入りしていて、小学生・中学生時代は、校庭でボール遊びをしている同級生たちの仲間に入れなくて、その言い訳をするように、図書館にずっといた記憶があります。
 それはそれで、なかなか面白い本をたくさん見つけることもできたんですけどね。
 この本は、高校の図書館を舞台に、図書館の司書さんと本好きの高校生たちの交流が描かれるのと同時に、その高校生たちが自分の好きな本について語っています。というか、語り尽くしています。
 日頃、ブログで読書感想を書いている僕は、高校生たちの「熱気」に触れて、ああ、こんなふうに、本当に自分の好きな本について、一筆入魂、という文章を書ければいいのにな、と思ったんですよね。
 でも、思い返してみると、僕は本を読むのは好きだったのだけれど、「読書感想文」というのがすごく苦手だったのです。
 先生や周囲の大人が、どういう感想を好むか、というのが、なんとなくわかっているような気がしていて、だからこそ、そのレールに乗っかった文章を書くのは恥ずかしい、と思っていたんですよね。
 単に、めんどくさがりは昔から、ということでもあるのですけど。

 
 この本に収められている高校生たちの本に関する文章には、背伸びしているな、と微笑ましく感じるものもあれば、思わずハッとさせられるような、大人になって忘れてしまった記憶を呼び覚ますものもあるのです。

 詩人のアナトール・フランスの言葉に「私が人生を知ったのは、人と接したからではなく、本と接したからである」というのがある。本には知識がつまっている。自分たちに知識がなければ生きていけないわけで、たとえば、その知識というのは、このキノコには毒があるから食べてはいけない、とか、アルコールに火を近づけたら引火する、といった自然科学の知識とか、アメリカの初代大統領はワシントンである、といった歴史の知識(社会の常識)など、目で見えるものに限らない。そこには、人間の感情などのような、目には見えない、いわば形而上学的な知識も含まれる。こういった知識も自分たちにとってとても大切だと思うのだけれど、残念ながら学校ではあまり教えてくれない事柄で、いろいろな体験をすることや本を読むことなどによってしか得られないと思うのだ。


 僕は40数年を生きてきて、どんなに本を読んでも(って言うほど読んでませんが)、人間というのはわからないものだし、自分には、本を読むより他にやっておいたほうが良いことがあったのではないか、と思うことも多いんですよね。
 本をまったく読まないと「経験頼みの人間」になってしまうけれど、本ばかり読んでいて、身体性を軽視すると「頭でっかち」になってしまう。
 ただ、こういう高校生の文章を読んでみて考えると、本を読むことで、僕は自分の人生に起こっているさまざまなことに「これは、自分ひとりに起こることではないのだ」と、ある種の「客観性」を持てているんですよね。
 そのおかげで、自分の感情に引きずられやすい僕でも、落ち込みつつ、なんとか生きていけているような気がします。


 「高校生直木賞」という、直木賞候補作のなかで、高校生たちが自分たちの受賞作を選ぶ、という企画があったそうです。

 候補作の一つ『ナイルパーチの女子会』に議論が集まった。批判的な意見もたくさん出た。私もこの作品に対しては複雑な気持ちがあった。自分の心にぐさりと刺さったままだった。女同士の人間関係を描いたこの本はあまりに強烈で、痛いほどに正面から向かってきた。表現や描写を超えたエネルギーを感じる。久しぶりに、嫌だ、読みたくないと思った。前半はまだ耐えられるけど、後半は娯楽としての小説には入ってきてほしくない部分にずかずかと侵入してきて、じわりと痛みが広がるような感じがする。もうやめてくれと思うけど、物語は最悪の方向へ進む。女同士の媚態は気持ち悪い。でも、現実を省みずにはいられない。「ありがためいわく」という言葉が浮かんだ。それは善意に基づいた行為で、相手に良かれと思って尽くしたい気持ちなのだが、受け取る側にとっては余計なお世話になりかねない。「あなたのためを思って」は、ときに重たすぎる。


 高校生がこんなふうに書いていたら、僕も読まずにはいられないじゃないですか、『ナイルパーチの女子会』を。
 ネットでは、たくさんの読書感想文を読めるようになったけれど、「ビジネス感想文」がほとんどなんですよね。僕も自分が書いているものに、そういう性質があることを否定はできません。
 ある程度フォーマットみたいなものをつくらないと、一日一冊、本の感想を書くなんて、仕事をしながらできるとは思えない。そして、本当にそこまでして、高頻度に感想を書くのが正しいことなのか。本当に書きたい本、書くべき本だけ、書けば良いのではないか?
 いろいろ考えますよね。こういう「荒削りだけれど、真摯で熱い文章たち」に触れると。

 この本に登場する十三人の主人公は、図書局(新聞局・放送局に類する)員として活動する生徒、図書館活動に協力するサポーターの生徒、そして図書館を利用する生徒とさまざまで、仮名ですが実在する人たちです。執筆当時在校していた生徒も、卒業生もいます。それぞれの本の読み方、本との関わり方、本との思い出など、率直に、時には照れながら、懐かしそうに、しばしば熱く語られます。彼らから話を聴いたのは学校司書をしている私です。私は「司書の先生」としてところどころに出てきます。彼らとは日頃からあいさつを交わしたり、少しおしゃべりとをしたりする間柄です。「お勧めの本、ありますか?」と声をかけられたり、本を返しながら「この本、すごく良かった!」と感想を伝えてくれたり、「これって、どういう意味だと思いますか?」と本の内容に関する疑問から話しこんだり、とそれらに応えていくうちに、本にまつわるいろいろな話に発展していきました。


 ちなみに、この札幌南高校の卒業生には、芥川賞作家・円城塔さんがいらっしゃるそうです。
 そうか、こういう図書館がある学校で過ごすと、「円城塔」ができるんだな、なんだかわかるような気がする……ような本です。
 高校の図書館なんて、蔵書数も少ないし、などと考えてしまいがちなのですが、本のことが好きで、話し相手になってくれる司書さんがいるだけで、こんなに魅力的な場所になりうるのですね。
 図書館って、経営効率化やサービス向上が叫ばれて久しく、それは、開館時間の延長やコーヒーショップの併設などに反映されがちだけれど、「本当に本に詳しくて、本のことを相談できる人がいる場所」であることは、万人向けではないけれど、大事なサービスではないか、と思うのです。


ナイルパーチの女子会

ナイルパーチの女子会

ナイルパーチの女子会 (文春e-book)

ナイルパーチの女子会 (文春e-book)

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