琥珀色の戯言

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【読書感想】いちまいの絵 生きているうちに見るべき名画 ☆☆☆☆

内容(「BOOK」データベースより)
アート小説の旗手として圧倒的人気を誇る原田マハが、自身の作家人生に強い影響を与えた絵画はもちろん、美術史のなかで大きな転換となった絵画や後世の芸術家に影響を与えた革新的な絵画などを厳選。画家の思い、メッセージ、愛や苦脳を、作家ならではの視点で綴る。『楽園のカンヴァス』でモチーフとなったルソー、『ジヴェルニーの食卓』で描かれたモネ、『暗幕のゲルニカ』のピカソといった、原田作品ではおなじみの絵画はもちろん、古典、日本画現代アートを含む全二六点を掲載。豪華カラー図版収録。

 この新書を読みながら、僕は、もうちょっと人生の早い時期から、「絵画を見る」ということの面白さに気づいていたらよかったのになあ、と考えていました。
 原田マハさんが、26の作品とその作家、自身とのかかわりなどについて語っておられるのですが、僕が「本物」を見たことがあるのは、そのうち5作品です。オルセー美術館ニューヨーク近代美術館に行っていれば、けっこう数は稼げそうなラインナップなのですが(それらの美術館のコレクションの傾向が原田さんの好み、ということもあるのでしょう)、どの作品も、見たときのことを、けっこうクリアに思い出せるんですよね。
 ちなみに、現地で見たのは2作品(ボッティチェリの『春』とレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』のみで、あとの3作品は、来日したときに見ています。
 人生でのさまざまな体験って、鮮明に覚えていないものがほとんどなのですが、名画というのは、近場の美術館で鑑賞すれば、交通費を合わせても数千円、ちょっと遠出しても数万円くらいで見られるのです。
 その気になりさえすれば、1週間の休みと30万円くらいあれば、日本から出発して見ることが不可能な絵画って、世界中にほとんど存在しないんですよね。
 それなのに、自分はたぶん、「本物」に触れないまま死んでいくのかもしれません。
 
 とはいえ、それが大変な場合には、徳島県の鳴門にある大塚国際美術館で陶板にコピーされた名画の数々を「一気見」してみるのも悪くないかもしれません。


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 この美術館に行くと、絵の「サイズ」って、作品の印象のけっこう大きな要素を占めているということがわかるのです。
 原田さんは、ギュスターヴ・クールベの『オルナンの埋葬』という作品について、こう述べています。

 本の中の小さな図版で観ると、この作品はいかにも地味である。ロココ時代の華やかさもなければ、ロマン主義的なドラマもない。歴史画の壮麗さも、印象派の軽やかさもない。つまり、本作が制作された十九世紀中頃にフランス画壇で主流となったどんな作品にもない「現実的な暗さ」があるのだ。
 なぜこんな地味な作品が美術史の流れを変えるほどまでに影響力を持ったのか、正直、画集で観る限りはぴんとこなかった。確かに構図は巧みに決まっているし、描写力もあるが、さほどの迫力は感じられなかった。
 ところが、オルセー美術館で本物を前にしたとき、私は、作品に釘づけになって動けなくなってしまった。
 実物の「オルナンの埋葬」は、驚くべき大きさだった。縦約三メートル、横約七メートル。まるで実際の埋葬の風景が目の前で繰り広げられているかのような錯覚に陥ってしまう。そして、描写のリアリティ。これが圧倒的だった。埋葬に参列して嘆き悲しむ人々の嗚咽が聞こえてくるようである。そして、自分もその輪の中に加わって、親しい誰かとの永遠の別れを悲しんでいるような気分に陥った。絵を観て鳥肌が立つ体験をしたのは、このときが初めてだった。


 この新書の巻頭で、26作品の絵画がカラーで収録されています。
 しかしながら、たしかに、写真でみても、『オルナンの埋葬』がなぜ、この「見るべきリスト」に加えられたのか、僕にはわからなかったのです。
 でも、この原田さんの「本物を前にしたときの驚き」を読むと、その理由がわかります。
 「複製」であっても、その絵の大きさが再現されているだけでも、画集でみるのとは、だいぶ印象が違うんですよね。
 画集をいくらみても「埋葬の輪の中に加わっている気分」にはなれないだろうから。


 ジャクソン・ポロックも僕にとって、ずっと「なぜこの人の作品が高く評価されているのかわからない画家」だったんですよね。
 いや、絵そのものに対しては、正直、今でも「わかるようになった」とは言い難いのだけれど。
 ポロックの代表作のひとつ『Number 1A,1948』について。

 大型のカンヴァス一面を色彩で覆い尽くす、あるいは抽象的なかたちを画面に繰り広げる。壁画を思わせる巨大な画布、中心を成さずに絵具で覆い尽くす手法。それが抽象表現主義の特徴だった。ボロックもこの手法に与したが、それでもなお、「自分だけの表現」にこだわった。彼の苦悩はこんな言葉に残っている。「何か新しいことをやろうと思うと、必ずピカソがやってしまっている」。
 二十世紀美術の破壊者であり創造主であるピカソ。『ゲルニカ』を、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催されたピカソの回顧展で目にしたポロックにとって、この空前の大作を超えていくのはたやすいことではなかった。
 しかし、ついにポロックは独自の「視点」を手に入れる。カンヴァスを壁から引き剥がし、床に寝かせ、絵筆から絵の具を滴り落としながらその上を縦横無尽に動き回って、自分の「動き」そのものの軌跡を絵にしてしまったのだ。そうーーまさいく「真上からの視点」をポロックは見出したのだ。
 ピカソすらも思いつかなかったこの手法によって、ポロックはついに美の巨人を超え、世界のアートの中心をパリからニューヨークへと奪取する立役者となった。
 しかし彼の精神は落ち着くことがなかった。アルコール依存症に陥り、さらに新しい表現を求めてもがくうちに、1956年、自動車事故であっけなく他界した。44歳だった。


 そうか、ポロックの凄さは、その「視点」だったのか……
 この新書のなかでは、今では当たり前になっている表現方法の「ターニングポイント」となった作品が他にもたくさん紹介されています。


 プラド美術館所蔵のフランシスコ・デ・ゴヤの『マドリッド、1808年5月3日』について。

 1808年5月3日、マドリッドで起きた民衆の蜂起をフランス軍が鎮圧した。このとき、反乱軍とされた一般市民が問答無用で銃殺刑に処された。その数は400名に及んだという。名もない人々の命を奪い去る銃弾の音が、真夜中のマドリッドの街中に響き渡った。その音が、聴力を失くしたゴヤの耳に響くはずがない。しかしゴヤは、処刑の翌朝、処刑が行われた丘に出向いた。丘の斜面に累々と横たわる骸を目にして、画家の中で何かが変わった。--この惨劇を看過するわけにはいかない。描き留めなければ、戦争の悲惨さ、人間の愚かしさを後世に遺さなければ、そんな思いがよぎったに違いない。
 惨劇から6年後、ゴヤは、威厳溢れる王の肖像画でもなく、華麗な宮中の風景画でもなく、無抵抗の一般市民の命を容赦なく奪った戦争の一場面を描いた。古来、戦争を勝ち抜いた英雄たちの絵は、数多く描かれてきた。しかし、戦争を「惨劇」として描いたのは、まさしくゴヤが最初の画家であった。


 カメラマンの「戦場写真」に数多く接する時代を生きている人間にとっては実感がわきづらいのですが、戦争が「英雄の活躍の場」や「人間の業(ごう)」としてではなく、「惨劇」として描かれたのは、そんなに昔からではないのです。


 画家たちの伝記を読んでいると、こんなにも人の心を打つ「アート」というものが、必ずしも、「すばらしい人間、世間的に立派な人」から生まれてきたものではない、ということを思い知らされ、そして、考えさせられます。


 26作品についての著者のエッセイを読んでいくと、誰でも一つや二つは「心惹かれる絵」があると思います。
 生きているうちに見るべき名画があり、あの名画を見るまでは生きていこう、という人生もある、そんな気がするのです。


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