琥珀色の戯言

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【読書感想】戦争と検閲――石川達三を読み直す ☆☆☆

戦争と検閲――石川達三を読み直す (岩波新書)

戦争と検閲――石川達三を読み直す (岩波新書)

内容紹介
「生きてゐる兵隊」で発禁処分を受けた達三。その裁判では何が問われたのか。また、戦後のGHQの検閲で問われたこととは? 公判資料や本人の日記、幻の原稿など未公開資料も多数駆使して、言論統制の時代の実像に迫る。取材し報道することの意味を厳しく問い続けて来た著者が抑えがたい自らの問いを発しながら綴る入魂の一冊。


 『蒼氓』で、第1回の芥川賞を受賞した石川達三さん。
 この新書は、その石川さんが日中戦争を取材して書いた『生きてゐる兵隊』が発禁処分となった経緯と、当時の「検閲」の実状、そして、なんとか執行猶予がついた石川さんが、その後、どんな作家人生をおくったのかが描かれています。

 調べ始めて私は思ったが、石川達三は一筋縄ではいかない。
「戦後、達三は自由主義者としてメディアに取り上げられたようですが、自由主義者というわけじゃあない」。そう旺さん(石川達三の長男)は話していたし、私もその通りだと思う。
 何らかの主義や党派性ゆえに弾圧されたわけではない。冤罪、というわけでもなかった。戦争のある種の真実を小説の形で伝えようとしたことは確かだが、日本軍の非道を暴こうと意図したわけではなかったようだ。

 
 戦争を描いた小説で発禁処分、なんていうのを聞くと、石川さんというのは「反戦作家」であり、気骨のある人だったのだなあ、と想像するのですが、この新書を読むと、石川さんは、「反戦小説」を書こうとしたわけではないのだろうな、と思われます。
 戦地に赴き、現場で見聞きしたことを、そのまま小説にして発表しようとしたところ、そのあまりの生々しさに、当局に睨まれてしまったのです。
 石川さん自身は「戦争というものを、ありのままを書いた」だけだった。
 逆に「先入観を持たない、反戦主義者ではない作家」が書いたからこそ、この『生きてゐる兵隊』は、危険だと判断されたのかもしれません。

 原稿そのまま印刷した初校刷。
 編集部で○○などの伏字や削除をほどこして、いったんはこれでおしまいとした校了刷。
 校了刷をもとに、大量印刷のための鉛版をつくり、刷り始めたわけだが、ここからさらに鉛版を削るという荒技を加えた。削られた部分は   と空白になる。
 その結果、”完成品”は、たとえばこんなふうになった。


 「   居たら俺だぞ」
 「馬鹿、じゃんけんだ」


 空白三文字は「姑嫁(クーニャ)が」。
 先に編集部が加えた伏字と、最後の削りの空白が混在しているところもある。


 「ああ、帰りてえなあ」
 「帰りてえなあ。俺の嬶(かかあ)どうしてるだろなあ」
 「馬鹿、心配するな、(以下空白)」
 「何をぬかす、・・・・・・・・・・・・・」
 「馬鹿、のろま、すッとぼけ。今頃お前なんかちゃんと仏壇の隅っこに押しこめられてらあ。あはははは。その証拠には見ろ、手紙が来ねえだろう」


 空白部分は、「ちゃんと色男こさえてらあ」。
 先に・・・・で伏字にされたのは、「俺の嬶は朝に晩に俺の帰りを待ちくらしてるよ。


 もっと残酷な描写で、削除された部分も紹介されているのですが、印象としては、「このくらいでも『削除』なのか……」という感じです。
 後のほうの文章など、どちらかというと、実際に削除された部分より、「仏壇の隅っこに押しこめられてらあ」のほうが「削除対象」になりそうなものですけど。
 これらの「応急手当」も功を奏さず、この『生きてゐる兵隊』は発禁となり、石川さんだけでなく、掲載されていた『中央公論』の編集者たちも罪を問われました。
 石川さん自身も、なんとか執行猶予はついたものの、かなり危険な状況に陥っていたようです。

 いまふりかえると、「生きている兵隊」事件は、日本の曲がり角で起きた、日中全面戦争を機に、さまざなま統制が一気に強められる渦中のことで、掲載誌『中央公論』三月号の発禁処分を伝える記事と、国会で激論になっていた国家総動員法の決着を伝える記事とが、同じ日の新聞に載っていたのは象徴的だ。
 日中全面戦争を機に、たとえば掲載禁止事項が一気に増えた。大学教授らが一斉に検挙され、そして一般の人々の目や口を覆う動きが広まり強まった。
 たとえば、日中戦争が広がった1937年8月、福島県の大田村役場発行の村報や、東洋拓殖株式会社の社報、兵庫県の久下尋常小学校の学校通信などが発禁になっている(『出版警察報』第百八号)。なぜか。誰が、いつどの部隊に招集されたかを掲載して<軍動員ヲ推知セシメ)たとみなされたり、中国東北部にいる村出身者の名前と部隊名をあげて武運長久を祈る記事を載せて、<軍事機密ヲ漏洩>したとみなされたりしたためである。これらの通信も定期刊行物であり、新聞紙法の対象であった。仲間の誰がいつどの部隊に行くのか。それは共同体の最大の関心事だったと思われるが、それを掲載すれば<軍事機密ノ漏洩>とされたのだ。


 明らかな政府・軍部批判のみならず、軍隊の移動経路や現地での生活ぶりについても「機密の保持」という理由で、かなり厳しく検閲されていました。
 なんと、「学校通信」まで。
 これを読みながら、今のSNS時代の「戦争」って、どうなるんだろうなあ、なんて、つい、考えてしまったのです。
 もちろん、兵士たちがTwitterをやりながら進軍する、なんてことはありえないでしょうけど、攻撃を受けている市民が内情をtweetしている例は、現在でもたくさんあります。
 それをすべて「検閲」なんてできないよなあ。


 これを読みながら、「ああ、『国家総動員法』の制定は、けっこう揉めたんだな」と感じました。
 戦後しか生きていない僕は、「当時の多くの人は、戦争をほぼ無条件に肯定し、協力していた」というイメージを持っているのですが、実際は、そうではなかった。
 当時も、反対していた人は、少なからずいたのです。
 それでも、戦争がはじまってしまうと、日本という国と国民は、あれだけの大きな被害を受けるまで、戦争をやめることができなかった。
 「ターニングポイント」って、そうと気づいたときには、過ぎてしまっているのではないか、とか、つい考えてしまいます。
 今の世の中の動きと、あてはめてみたりして。


 石川達三さんは、もともと「強硬な反戦主義者」というわけでもなかったので、その後ふたたび従軍して、「提灯記事」的なものを書いたりしています。
 ただし、「そういったものには、筆が乗らなかった」のも事実のようです。
 この事件後、奥様とのなれそめや、「『生きている兵隊』事件」のことも含めた生活ぶりなどを描いた『結婚の生態』がベストセラーになり、おかげで、戦中の厳しい時代も生き延びることができたそうです。


 この新書のなかで、石川さんとは直接の関係はないのですが、こんな話が出てきます。

 達三と同い年の作家伊藤整の日記にも、徴用の話が出てくる。
 十二月八日、伊藤も真珠湾攻撃のニュースに興奮する。だが、翌日、新聞やラジオから天気予報がなくなっていることに気がつく。気象情報も敵国に知られてはならない秘密なのだ。

 今朝から天気予報なし。新聞が間抜けだと思っていたが、さにあらず。自分が間抜けなり。
 今後何年間も天気予報はないであろう。         (伊藤整『太平洋戦争日記』(一))


 戦争というのは、「何年間も天気予報がない」ことを、受け入れなければならない世の中になるということ。
 もちろん、今の世界で戦争が起こっても、天気予報がなくなる、ということはないと思いますが、同じような「あたりまえのことが、あたりまえでなくなること」が起こるはずです。
 ネットとか、全面禁止になっても、おかしくない。
 この状況下で、「世界大戦」なんていうのが起こりうるのか?とも思いたいところではありますが、「自由」って、そんなに「あたりまえ」じゃないんですよね。

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