琥珀色の戯言

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【読書感想】コックリさんの父 中岡俊哉のオカルト人生 ☆☆☆☆

コックリさんの父 中岡俊哉のオカルト人生

コックリさんの父 中岡俊哉のオカルト人生


Kindle版もあります。

コックリさんの父 中岡俊哉のオカルト人生

コックリさんの父 中岡俊哉のオカルト人生

内容紹介
三度の臨死体験を経て辿り着いた、ユリ・ゲラーやJ少年の「スプーン曲げ」、地縛霊と背後霊の「心霊写真」、行方不明者捜索の「透視予知」、そして全国の学校教室を席捲した「コックリさん」――超常現象研究家・中岡俊哉の知られざる素顔を、息子と“最後の弟子”が描く超常評伝、ここに降臨!


 スプーン曲げ、コックリさん、超能力捜査、心霊写真、ピラミッドパワー……
 これらの僕の子ども時代を彩っていた「オカルト」に、ことごとく関わっていた人がいました。
 それが、中岡俊哉さんだったのです。
 僕は、これらのオカルトについては、「信じてはいないし、どちらかというと否定的な立場なのだけれど、全部嘘だと言い切るのはためらわれる」のですよね。
 小学校時代に、コックリさんで本当に文字盤をコインが動いていって驚いたり、大学時代に行った某所の「超能力喫茶店」で、どう考えてもサクラだとは思えない先輩の両親の名前をいきなり言い当てられたり、友人が目の前でスプーン曲げをやって見せてくれたり……


 その一方で、トリックを公開する人もいたし、偽超能力で商売をしていた人もいました。
 この本でも、「グレーゾーンの例」が、かなりたくさん紹介されています。
 「超能力は術者のコンディションによってうまくいかないこともあって、そういうときに、期待に応えようとして、つい、不正をしてしまったんだ」
 そう言われたとき、「人間がやることだから、そういうこともありうる」と思うのか、「100%の再現性がなかったり、不正をした実績があるものは、もう信じられない」と断じるのか。
 「これは不正だ」と指摘できる事例はあるけれど、すべてがそうとも言い切れない。
 でも、「絶対にこれは超能力だ」と証明できるような事例もない。
 個人的には、かなり懐疑的ながらも、「ものすごく視力が良かったり、人間の感情を読み取ることがうまい人がいるように、僕からすればありえないような能力を持っている人がいても、おかしくはないのかな」とも感じてはいるのです。


 ただし、この本は、あくまでも、中岡俊哉さんという「オカルト研究家」の伝記であり、超常現象が本当にあるのかどうかを判じているものではありません。
 僕はこの本のタイトルと内容を知ったとき、「中岡さんというのは、いろんな超常現象に首を突っ込んでいるみたいだし、自分が信じてもいないオカルトを商売として扱っていた人なんだろうな」と思い込んでいました。
 でも、そうじゃなかった。
 中岡さんは、本気で信じていたし、世間に流布されているオカルトにも虚実があると考えていて、それをなるべく科学的に分析しようとしていた人なんですね。

 身上として中岡は、自身が準備した環境のなかで、自身が設定した実験にパスしない限り、被験者を「本物」とは認めないという、厳格な研究態度を貫いていた。自著の売り上げや視聴率を上げるために、「ない」ものを「ある」と主張したり、事実を捏造したりデフォルメすることは一切なかった。この分野において、中岡が多年にわたって視聴者や読者の信頼をかちえた理由もそこにあったのだろう。七疑三信。「七つ疑って、三つだけ信じろ!」とは、中岡の終生変わらぬ口ぐせだった。

 超能力者と称する者を対象におこなう中岡の諸実験には、きわめて厳しい基準が設けられていた。それは「伝聞ではなく、すべて自分の眼で見ることはもちろんだが、一人の人物に対し、二年間にわたって実験を繰り返す。その結果、50パーセント以上の再現性を維持できない者は、私の能力者名簿には入れない」というものだった。


 中岡さんは戦時中、中国で働いていて、中国語ができたことから、戦後もしばらく中国でアナウンサーとして働いていたことが紹介されています。
 そんななかで、中岡さんは、中国各地に伝承されている怪談や怪奇現象に強い興味を持ち、それらを集めていたそうです。
 日本に戻ってきてから、それをベースにオカルトに関するマンガの原作やテレビ番組の企画などに携わるようになりました。

 中岡俊哉の名で「少女フレンド」に掲載された連載は、6年半にも及んだ。当初は中国の怪談・奇談だったが、やがて「テープレコーダーは知っている」「クリスマスの奇跡」「少女を引き込んだ湖」「死を呼ぶ羽子板」などの恐怖ものや、写真で構成した「ゆうれい探検」など、後年、中岡のメインテーマとなる「霊」に関する読み物が、早くも登場している。挿絵は、巨匠・石原豪人をはじめ三人の画家が交代で描いた。
 やがて中岡は、読み物だけでなく、漫画の原作も依頼されるようになる。その一つに、楳図かずおの名作「へび少女」がある。原作者名を出さないという条件だったが、中岡は喜んで引き受けた。


 あの「へび少女」は、中岡さんの原作だったのか……
 海外には、透視や念写、テレパシーなどを科学的に研究している有名大学や施設も少なからずあるのです。
 中岡さんは、テレビや著書などの「メディア」を通じて一般の人々に発信しつづけていたのですが、そのことが逆に「俗っぽさ」「いかがわしさ」を感じさせていた面もありそうです。
 本人にとっては、「コックリさんや心霊写真の間違った知識が広まることによって、精神的に悪い影響を受けたり、悪徳(自称)霊能者に騙されたりしないように、正しい扱い方を教えたい」という意図もあったようなのですが。

 中岡は、その生涯に三万点におよぶ写真を鑑定したが、確信をもって心霊写真と認定できるものは五百点に満たなかったという。


 中岡さんは、真剣にオカルトと向き合っていたし、だからこそ、自分なりの厳しい基準で、偽物を排除しようとしていました。
 もちろん、そういう姿勢そのものが、「芝居」であった可能性も完全に否定はできないのだけれど。

 オウム事件の後、テレビ局は軒並み心霊や超能力、オカルト系番組の放送を自粛。これにも中岡は異を唱え、「さんざんオウムを報道してきたのに、責任の一端を問われ、形勢不利と見るや、こんどは超常現象番組はNGだろう。テレビ局の見識のなさには呆れてものもいえない」と声を荒らげた。
 一方、オウム事件のあおりを食ってテレビ出演の機会を奪われたある女性霊能者は、講演会やスピリチュアル相談に活路を見出したようだが、良からぬ風評が多く、中岡が耳にした情報では、「六時間も待たされた挙げ句、相談時間はほんの十分。おまけに相談料として十万円を請求」されるケースもあったという。
「霊能者にいちばん求められるのは、霊能力より高潔な人間力だ」と常々語っていた中岡は、どんなに優れた特異能力の持ち主だろうと、考え方が卑しかったり、テングになって相談者を見下したりするような人間をけっして許さなかった。

 中岡は、この世にほとんど何も遺さず彼岸へと旅立った。財産はもちろんだが、先述したように旧ソ連や東欧、南米で撮影した貴重なフィルム、各国から集めた膨大なデータなど、すべてが灰燼に帰してしまった。生涯に出版した二百冊余の自著だけを遺して、中岡は”あの世”へ行ってしまったのだ。


 中岡さんが、これらの資料を遺しておいてくれれば、後世の人間にとっては貴重な研究材料になったのではないかと思うんですよ。
 でも、中岡さんは、これらの資料の処分を関係者に指示していたのです。
 それを「怪しい」とみるか、「愛着のあった資料が、他人にあれこれいじられるのを許せなかった」と考えるべきか。


 正直、中岡さんが「ビジネスオカルト研究家」で、本当は信じていなかった、というのであれば、僕も長年の疑問に決着をつけやすかったのにな、と思うのです。
 しかしながら、中岡さんは、ずっと「本気」でした。
 自分でつくりだした妄想みたいなものに、とりつかれてしまっただけなのかもしれないけれど、それでも、こういう人の存在は、「超能力や心霊写真なんて、全部嘘だよ」と断言するのにためらう理由にはなるんですよね。


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