琥珀色の戯言

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【読書感想】小倉昌男 祈りと経営: ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの ☆☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
ヤマト「宅急便の父」が胸に秘めていた思い


2005年6月に亡くなったヤマト運輸元社長・小倉昌男


「宅急便」の生みの親であり、ビジネス界不朽のロングセラー『小倉昌男 経営学』の著者として知られる名経営者は、現役引退後、私財46億円を投じて「ヤマト福祉財団」を創設、障害者福祉に晩年を捧げた。しかし、なぜ多額の私財を投じたのか、その理由は何も語られていなかった。取材を進めると、小倉は現役時代から「ある問題」で葛藤を抱え、それが福祉事業に乗り出した背景にあったことがわかってきた――。


著者は丹念な取材で、これまで全く描かれてこなかった伝説の経営者の人物像に迫った。驚きのラストまで、息をつかせない展開。第22回小学館ノンフィクション大賞で、賞の歴史上初めて選考委員全員が満点をつけた大賞受賞作。


 「個人相手の小規模な運送業なんて、商売になるはずがない」
 いまから思うと、そんなことは全くなかったのですが、ヤマト運輸が「宅急便」をはじめたときには、業界人たちはそう言っていたそうです。
 現在は、むしろ「荷物が多すぎる」ことが問題になっていることを思うと、小倉昌男さんは、本当に先見の明がある経営者でした。
 そして、儲かりさえすればいい、というわけではなくて、社会貢献や職場環境の改善にも熱心に取り組んでいました。
 東日本大震災の際、荷物1個あたり10円の義援金を出す、とヤマト運輸が決めたとき、当時の経営陣は「小倉さんが存命なら、きっと賛成してくれたはず」だと仰っていました。


 著者は、小倉さんが退任後、莫大な私財を投じて福祉の世界に入ったことについて、「どこかもやもやするところがあった」と書いています。

 小倉は1993年、自身が所有していたヤマト運輸の株300万株のうち時価24億円の200万株を原資にヤマト福祉財団を設立した。1995年からはその活動を障害者の就労支援に絞り、障害者が働けるパン屋「スワンベーカリー」の立ち上げなど、障害者が月給で10万円はもらえるような仕組みづくりの活動に取り組んだ。そして、2001年には保有していた、時価22億円の残りの100万株も財団にまるごと寄付した。
 小倉はこうした福祉への取り組みについて、自著でこう説明している。
<そもそも、私がなぜ福祉の財団をつくろうと思ったのかというと、実ははっきりした動機はありませんでした。ただ、ハンディキャップのある人たちになんとか手を差し伸べたい、そんな個人的な気持ちからスタートしたのです。>(『福祉を変える経営』)
 ただでさえ就労や生活が厳しく、多くの支援が必要な障害者福祉の世界に寄付をすることは、歓迎こそあれ、問われるべきことではないだろう。
 しかしながら、私財を投じてとなると、話はやや次元が異なる。しかも、財団まで設立し、私財46億円を投じて福祉の世界に入ったというのに、<はっきりした動機>がないというのはいささか奇異に思えた。


 アメリカでは、大成功した実業家が社会に還元するという「寄付の文化」があって、あのビル・ゲイツさんなどは、びっくりするような金額を寄付しています。
 2017年6月に、保有していたマイクロソフト株6400万株(時価5000億円!)を寄付した(寄付した先は明らかにされず)ことが話題になりました。
 だから、小倉さんの46億円くらい、たいした金額じゃない……というわけではなくて、稼ぐ額も寄付する額も、日本とアメリカの実業家では、ケタが違う、ということです。

 「サクセスストーリーを成し遂げたら、寄付するのが当たり前」ではない日本で、小倉さんが46億円も投じながら、「はっきりした動機がない」と公言していたことに、著者は違和感があったのです。


 小倉さん夫妻は、実の娘の真理さんに関しては甘かったというか、頭が上がらなかったことを多くの周囲の人が話しています。

 真理もヤマトで働いた経験があった。1987年、彼女が30歳の頃である。だが、仕事は長続きしなかった。
 前出の中田教授は、物流業界の会合などで当時その噂を聞いたという。
「好き勝手なことをやられて、大変なことになったと聞きました。ところが、それで上司が指導したら、逆に小倉さんに怒られたというような話だった。小倉さんの子どもにしては、ちょっとわがままな子だなという印象が残りました」
 前出の岡本も、けっして悪く言いたいわけではないが、としたうえで、やはり未熟だった印象は否めないと語る。
「あれだけ小倉さん夫妻がお金も労力もかけて開いたバニティ・ハウスにも最初こそきちんと来ていたものの、しばらくしたらアルバイト任せになっていた覚えがあります。そして、二年ほどして店を閉めるとなったときには、雇っていた女性の給与などでももめることがあったのに、そうしたことにもあまり関わらなかったと聞きました。一方で、自分の気に入らないことがあると、ものすごい勢いで非難する。もちろん彼女にも事情があったのかもしれません。でも、状況だけ聞くと、どうしてもわがままな印象になりました」
 そうした理不尽な場面に遭遇しても、小倉は一度も娘を責めることはなかったという。小倉は娘には怒らない。それこそが小倉の「アキレス腱」だった。その関係性に岡本は何か特別なものを感じていたとも言う。
「言ってみれば、父の弱さというところでしょうか。でも、もうちょっと複雑だった気がするんです。なんと言うのだろう……、うまく言えませんが。いずれにしても、私たちには真理さんは扱いが難しいという印象がありましたね」
 わがままな娘とそのわがままをけっして𠮟らない父。平時の小倉、ビジネスの小倉、論理の小倉をよく知っている人ほど、その違和感は際立った。
 当時の物流業界において、小倉は特別な存在だった。ある人たちは理路整然と経営戦略を語る小倉を「学者」と呼び、ある人たちは物流業界で独立独歩のスタンスを貫く小倉を「親分」と呼んだ。正義感や公平性といった感覚にはとりわけ鋭敏で、問題があれば躊躇なくそれを指摘する強さもあった。また、積極的に現場をまわっては熱心にドライバーの声に耳を傾ける真摯さがある反面、飲酒運転が発覚したドライバーは請われても辞めさせるという、情にほだされない堅さもあった。


 小倉さんのような偉大な経営者でも、自分の娘には、こんなに甘いのか……
 そう思っていた人も少なからずいたそうです。
 周囲からみると、娘の真理さんは、小倉さんの「アキレス腱」でした。
 しかしながら、著者は、真理さん自身への直接の取材も含めて、当時の小倉家の内部で起こっていたことを明らかにしていきます。
 真理さんの「わがままさ」には、理由があったのです。
 ただ、理由があったからといって、キツくあたられる側の心が、それで救われる、というわけでもないんですよね。


 また、奥様が亡くなられたあと、小倉さんと親しかった女性のことについても触れられています。
 その話を読んでいると、「老いらくの恋」というよりは、ずっと突っ張って生きてきた小倉さんが、それなりに癒されていた、ということに、ちょっとホッとしてしまうところもありました。


 真理さんは、著者の問いかけに、こう答えてくれたそうです。

「父の人生はものすごく仕事に重きを置いたものでした。けれど、じつは家庭の影響が大きかったんじゃないかと思うんです。私が言うのも変ですが、家での父は本当に苦労に次ぐ苦労の連続でした。よくそれを我慢できたなあと私自身が思うほどです。父は苦難は飲み込んでしまうタイプの人でしたが、本当にたくさん苦難やつらい思いを父は飲み込んできたと思います」


 このノンフィクションを読みながら、僕はずっと考えていたのです。
 こんな故人のプライバシーに関するところまで、踏み込んで書いて良いものなのだろうか?と。
 でも、御家族が著者の取材にきちんと答えられる範囲で答えて、それをこうして世の中に出すことに同意されたということには、意味があると思うんですよ。
 その決断に敬意を表するとともに、「僕自身も、小倉さんが悩んでおられたことを『表に出さないほうが良いこと』あるいは『人に知られたくないこと』だと思っていたのだな……」と、痛感しました。
 まだまだ世間には「心の病」に関する偏見がありますし、それを自分自身や身内の恥だと感じる人も少なくないのです。
 おかげで、当事者や家族は、孤立した状態で悩まないといけなくなっている。
 なかには、早く治療すれば、寛解(症状がおさまること)や社会に十分適応していけるものもあるのに。
 小倉さんほどの人でも、家族の問題を抱えていて、どんなに事業で成功し、名経営者として賞賛されても、「ずっと気になり続けていること」があったのです。
 幸せになるのって、本当に難しいよな、って思いながら読みました。
 たぶん、世の中ではたくさんの人が、なかなか口にできない問題を抱えながら、すました顔で仕事を続けているのだよなあ。


小倉昌男 経営学

小倉昌男 経営学

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