- 作者: 豊田有恒
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2017/10/01
- メディア: 新書
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「宇宙戦艦ヤマト」の真実――いかに誕生し、進化したか (祥伝社新書)
- 作者: 豊田有恒
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2017/11/10
- メディア: Kindle版
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内容紹介
巨大な成功を収めた本邦初の宇宙アニメ『宇宙戦艦ヤマト』。それは、ささやかなプロジェクトから始まった。クリエーターとして舞台設定を担当した著者は、新分野の開拓に賭ける熱気を回想しながら、作品創成の真実に迫っていきます。不評だった最初のテレビ放映が、なぜ甦ったのか。ストーリーはどう拡大し、変容していったのか……貴重な記録と証言で明かされる、大ヒット作誕生秘話!
日本のアニメーションの大きな転換点となった『宇宙戦艦大和』と、そのプロデューサー・西崎義展さん(2010年没)については、これまでも、さまざまな人が語ってきました。
僕は『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』というノンフィクションを読んで、この西崎さんという人の魅力といかがわしさ、強引なまでのやり方と思い入れで、『ヤマト』を引っ張って(引きずって、と言うべきかもしれませんが)いったことに興味を持ったんですよね。
裁判にまでなってしまいましたが、『宇宙戦艦ヤマト』は、誰のものなのか?というのは、いまだに釈然としないところがあるのです。
僕の実感としては、松本零士さんの作品、なんですけど。
この新書では、SF作家の豊田有恒さんが、アニメ制作にかかわるようになった経緯や『宇宙戦艦ヤマト』で自らが果たした役割、そして、豊田さんからみた西崎義展というプロデューサーについて語っておられます。
僕は豊田さんが、『ヤマト』で、こんなに重要な役割を果たしていたということを今まで知りませんでした。
この本に書かれていることから考えると、『宇宙戦艦ヤマト』のストーリーの大筋をつくり、SFの「サイエンス」としての面を支え、世界観をつくった最大の功労者は、豊田さんだったと言えそうです。
これだけでは、なんの物語をヒントにしたか判りにくいだろう。しかし、こう書けば、判ってもらえるにちがいない。世の中は乱れに乱れている。このままでは、衆生は済度されない。天竺へ行って、ありがたいお経を取ってくれば、みな救われる。つまり『西遊記』である。もっとも、なにを下敷きにしたか、すぐ判るようでは、プロの仕事ではない。のちに西崎義展、松本零士に、設定のヒントを披露したとき、二人とも、あっけにとられていた。
(中略)
侵略してくる異星人には、とりあえずラジェンドラと命名しておいた。ぼくの仕事はそこまでだが、その先は、キャラクター設定とからめて、松本零士が、デスラー総統という主役級の大仇を設定してくれた。
また、その技術によって新たな宇宙船を建造し、放射線除去装置を取りにいく目指す惑星には、イスカンダルという名称を与えた。これには、理由があった。西遊記をヒントにしたという背景を、ほのめかすためだった。ラジェンドラとはサンスクリット語で、神々の王(ラージャ)である印陀羅(インドラ)という意味で、ヒンズー教の最高神インドラを指している。また、イスカンダルとは、シルクロード方面で、かつて遠征してきたアレクサンダー大王の名が、伝承されているうちに訛ったものである。つまり『西遊記』を下敷きにしたことをほのめかすため、登場する異星人の名に、サンスクリット語の固有名詞を、さりげなく用いてみせたのである。ここは遊び心のようなもので、つまり天竺のパロディになっている。
言われてみれば、なるほどねえ、という話なんですよね。
そうか、『西遊記』か……
読んでいると、豊田さんをはじめとするクリエイターたちは、思いつきで作品をつくっているわけではなくて、さまざまな話や伝承などの知識や取材をベースに、たくさんの資料と自分たちのひらめきを活かして作品をつくっているのであり、作画の松本零士さんのようなわかりやすい「貢献」がないからといって、ないがしろにされて良い、というものではありません。
そのときのぼくは、SF設定原案を担当するだけで、そこから先は先方に任せようというくらいの関わりしか考えていなかった。実際、原稿の締め切りが山積しているし、他にも妙なことに手を出していた。タイムトラベルSFの取材と思って調べ始めた古代史に関して、研究者の知人や同好の士が増えてしまい、『東アジアの古代文化を考える会』というものを立ち上げることになり、創立幹事の一人として誘われてしまった。そのため、会員を遺跡めぐりに連れていくための下見といったような妙な雑用が増え、目が回るような忙しさの最中にあった。
しかし、次の会合に出席したとき、ぼくは、原案だけで手を引くわけにはいかなくなった。ぼくの原案を叩き台にしてまとめたフォーマットを見たとたんに、仰天する羽目になった。なんと、目的地へ行く宇宙船に、戦艦大和を改造したものを用いるという案になっていた。もちろん、ぼくは反対したのだが、そこで初めて松本の提案らしいと判った。常識的に考えれば、戦艦大和が登場する必然性には乏しいわけだが、これは松本の漫画家としての勘だろう。
理屈付けには苦しむが、絵的に面白いと考えてのことだろう。松本の勘が正しかったことは、のちに視聴率となって証明されるが、そのときのぼくは、異論だらけだった。のちに、西崎は、戦艦大和を用いるとしたのは、ヨットなど海洋に興味・関心があった自分だと言い張り、映像著作権を主張するようになるのだが、ぼくの記憶に間違いがなければ、あれは松本が言い出した案である。
西崎さんは2010年に亡くなっており、今となっては、事実を検証するのは難しい、としか言いようがないのですが、西崎さんが『ヤマト』で稼いだお金をクリエイターたちに還元せず、ほとんど自分で使っていたことは、関係者の証言から、ほぼ間違いないようです。
松本零士さんも豊田さんもプロデューサーの西崎さんからの金銭的な見返りは微々たるものだったようですが、それでも、『宇宙戦艦ヤマト』という歴史的な作品の誕生にかかわることができたことを今では誇りに思っておられるのです。
だからこそ、後進に対して、「クリエイターが商売上手なプロデューサーに搾取されるようなことにはならないでほしい」とも願っているのですよね。
正直、下世話な観客としては、強引でスキャンダルまみれの西崎義展さんの人生のほうに、面白さを感じてしまうのですけど。
そもそも、西崎義展・原案というほど、基本設定に関わるクリエイティビティを、西崎本人が発揮したことがあるだろうか。プロデューサーとして、巨大ロボットアニメ全盛の時代、多くの偏見と無理解のなかで、本邦最初の本格的な宇宙アニメを実現させた功績は、認めるにやぶさかではない。それどころか、西崎の商売人としての手腕、人たらしの才能がなかったら、『宇宙戦艦ヤマト』は実現していなかったろう。また、有力とみたクリエイターに対しては、いかにも丁重であり、声を荒げるシーンを見たことがない。悪く言えば人たらしの能力、良く言えば調整能力にも優れている。
しかし、基本設定に関わる部分では、西崎本人は、何の貢献もしていない。
ことは知的所有権に関わる話である。西崎が、それらしいことを提案したつもりになっている事例を挙げてみよう。
西崎は言う。デスラーの旗艦が、第三の敵とヤマトの中間に位置している場面で、甲板に出てきたデスラー(!)が、こう叫ぶ・「古代、俺を撃て!」つまり、デスラーもろとも、敵を撃破しろというわけだ。古代とデスラーとのあいだの<名誉ある敵>という関係を強調する大芝居をやらせたいと、西崎は主張した。デスラーとしては、自分を犠牲にしてヤマトを救おうとしたことになる。もちろん、古代は、撃つことはできない。たしかに、このシーンは、西崎の提案である。
しかし、こうしたシーンは、作劇の上のシークエンスの一場面でしかない。西崎は、それをもって、自分もストーリー作りに参画しているように錯覚しているが、そうではない。ましてや、基本設定に関わる原案のようなものではない。
(中略)
西崎の良くない点は、クリエイターを大事にしないことである。かれには、クリエイターは、いくらでもいるから、代替えがきくと思い込んでいた節がある。しかし、クリエイティブな仕事は、代替えがきかない。その人と同じものが、ベルトコンベアーに乗って生産されるわけではない。ぼくが創り出したSF設定は、ぼくにしかできない。誰か他人がやっても、良し悪しは別として、絶対に同じものはできあがらない。
ただ、その西崎が、ぼくや松本(零士)の能力に関しては、大いに評価していたに違いない。だからこそ、西崎は、『宇宙戦艦ヤマト』から、一方では松本やぼくを必要としながら、他方われわれのプレゼンスを、懸命になって消そうと努めたのだろう。消せないまでも、なんとか矮小化しようとしたことは間違いない。なぜなら、西崎本人が、自分にクリエイターとしての才能が欠如していることを、いちばんよく知っていたからだろう。
この豊田さんのことばを読むと、西崎プロデューサーは、クリエイターを大事にしなかったし、彼らの功績を自分のものにしようとする厚顔無恥な面もあったけれど、本当に替えがきかない、『宇宙戦艦ヤマト』に不可欠なクリエイターを見抜く能力はあった、とも言えるのですよね。
その独善性や押しの強さがなかったら、『ヤマト』は世に出なかったかもしれません。
素晴らしい作品をつくろうとしても、才能溢れるメンバーを集めて、形にするのは難しい。
豊田さんも、西崎さんの功績は認めている一方で、あまりにもすべてを独占しようとしていたことに対しては、反感と疑念を抱かずにはいられなかったのです。
「いい人が、いい作品をつくる」というわけではないのが、創作というものなんですよね。
- 作者: 牧村康正,山田哲久
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/07/15
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