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【読書感想】テトリス・エフェクト―世界を惑わせたゲーム ☆☆☆☆

テトリス・エフェクト―世界を惑わせたゲーム

テトリス・エフェクト―世界を惑わせたゲーム

内容説明
冷戦終結間際の1989年2月。日本で小さなゲーム会社を営むヘンク・ロジャースがモスクワに降り立った。そのあとを追うように、さらに2人の西側諸国の人間がモスクワへと入った。目的はただひとつ。それはソ連政府の管理下にあるテクノロジーで、当時すでに世界中の人々に途方もない影響を与えていた代物―「テトリス」。開発からライセンス争奪戦、ゲームボーイでの大ヒットまで、綿密な取材に基づいて描く、伝説的ゲームの驚きの実話。


 『テトリス』をはじめて見たときの率直な印象は、「こんな、すぐに誰にでもつくれそうなゲームが、なんで大ヒットしているんだ?」というものでした。
 僕が『テトリス』を知ったのはセガのアーケード版で、ずっと遊んで「ロケットを飛ばす」までやり続けたのは、モノクロのゲームボーイ版だったのです。
 当時、高校の寮にこっそりゲームボーイを持ち込んだ僕は、毎晩、学習時間に部屋でこっそり『テトリス』をたしなんでいました。
 推薦で受かってしまったんで、学習時間を持て余していたんですよ、なんていうのは言い訳です。
 『テトリス』は、いろんなことを考えなくてすむゲームであるのと同時に、僕にとっては、「本当に頭のいいやつ」が、信じられないようなスピードでクリアしていくのをみて驚かされることも多かったのです。
 このゲームがものすごく上手いやつは、みんな、理数系の成績が飛び抜けてよかったという記憶があるのだよなあ。


 『テトリス』のファミコン版、そして、ゲームボーイ版を実現した重要なプレイヤーとして、BPSヘンク・ロジャースさんの名前が出てきます。
 昔のマイコンゲーマーであれば、この名前を『ザ・ブラックオニキス』の開発者として記憶しているのではないでしょうか。
 僕は当時のマイコン雑誌で、『ブラックオニキス』が一斉に採りあげられ、絶賛されていたのを覚えているのですが、これは、ロジャースさん自身が、あまりに売れなかったので、主要ゲーム雑誌の編集部に、自ら「売り込み」に行った成果だったそうです。

 ロジャースが自分自身でゲームを開発するのではなく、マーケティングと販売を手掛けるようになったのは、ザ・ブラックオニキスの2作目がきっかけだった。しかるべき続編のザ・ブラックオニキス2を開発するために、小さなチームを組織し、ロジャースも腕まくりして大量のコードを書いていた。それは1984年のことで、チームは数か月もこのゲームに取り組んでいたにもかかわらず、殆ど進捗がみられなかった。彼自身が作成した設計書に照らし合わせると、驚いたことに、完了しているのは全体の5パーセント以下であった。チームも不満を抱いていたが、彼らはロジャースが独自に見出していた、NEC-8801コンピューター上で開発を行う際のショートカットや秘訣をまったく知らなかったのだ。
 1作目の大ヒットをテコにして、2作目を販売するというチャンスは急速に失われつつあった。ロジャースは昼夜を問わずプログラミングし、オフィスの物置で仮眠を取った。最終的にゲームは予定通りに完成したものの、ロジャースはあまりの激務で子どもに会うことすらできなかった。この経験から、ロジャースは二度と同じことはしないと誓ったのだった。
 そうして彼は、自分の会社バレットプルーフ・ソフトウェア(BPS)の方向を転換し、世界中を旅して日本に輸入するソフトを探すようになった。日本ではアメリカの映画がもてはやされ、ヒット曲もアメリカのポップミュージックの二番煎じであることに、当時の彼は気づいていた。島国根性で有名な日本の人々が、突如として海外からのエンターテインメントを受け入れるようになったのかのようだった。ビデオゲームでも同じことが起き、海外のゲームが日本でもプレイされるようになるのではないか——ロジャースはそんな期待を抱くようになった。
 彼は他国ですでにヒットしているゲームを探した。言葉と文化の壁があるため、とくに求めていたのは、理解しやすく遊び方を教える必要が少ないゲームだった。


 ロジャースさんは『ザ・ブラックオニキス』の続編である『ザ・ファイアクリスタル』をなんとか完成させます。
 その開発があまりにも大変で、家に帰れない時期が長く続いたことや、当時の家庭用ゲーム界には、『ドラゴンクエスト』 『ファイナルファンタジー』など、多くの人が関わる大きなプロジェクトのRPGが主流になってきたことから、ロジャースさんは、他の国の面白いゲームを輸入し、ときには日本市場に合うようにローカライズして売るという方針に転換していったのです。
 そうか、『テトリス』のファミコン版がBPSから出ていたのは、こういう流れがあったからなんだな……
 それと同時に「日本を代表する未発売ソフト』である、『ブラックオニキス』シリーズの第3作『ザ・ムーンストーン』が結局出なかった(さすがにもう出ませんよね……)、というのも、ロジャースさんの仕事の軸が、オリジナルゲームソフトの開発には置かれなくなってしまったから、ということもわかりました。
 それならそうと、早く言ってくれよ、という感じではありますが。


 『テトリス』は、アレクセイ・パジトノフという人によって、ソ連で開発された。のちにパジトノフさんは、アメリカに移住し、さまざまな「テトリスのようなゲーム」を発表しつづけている。


 僕のテトリスとその作者についての知識は、この程度なのですが、この本のなかでは、その開発のプロセスについても、関係者の証言などから、かなり詳しく語られています。
 当時のソ連のコンピュータは西側のものに比べて圧倒的に劣っていて、できることが限られていた。
 そのなかで、以前夢中になっていた、四角形を組み合わせる遊び(「ベントミノ」というパズルゲームだそうです)をコンピュータ上でパジトノフさんがやってみて、ゲームとして面白くなるように、周囲の感想や助力をえてブラッシュアップしていったのが『テトリス』だったのです。

 より進んだハードウェアを使っているにもかかわらず、ゲラシモフが主導してコーディングしたIBM版のテトリスは、当時西側のPCや家庭用ビデオゲーム機で実現できたレベルのコンピューターグラフィクスにはおよばなかった。とはいえ最終的には、エレクトロニカ60版のようなアスキーアートを使ったモノクロの画面よりもずっと魅力的な視覚的効果を多少は実現することに成功した。これをあと押ししたのはゲームに追加された新しい要素で、それはあとから追加されたもののなかで最も重要で、数十年が過ぎたいまでも、テトリスを特徴づける最大の要素でありつづけている。
 修正とテストの作業を数週間つづけたあとで、ゲラシモフがテトリミノのピースを色で塗り分けるという画期的なアイデアを実装したのだ。現在でもテトリスは、そのブランド展開や公式ルールにおいて、各ピースをその形だけでなく色でも区別している。そのため目の良いプレイヤーは、ピースを形で認識する前に、色を感じ取るだけでそれが7種類のうちどのピースで、どこに移動させるべきかを瞬時に判断できるほどだ。
 ゲラシモフが当初開発したバージョンでは、現在のバージョンよりも暗く地味な(そしてよりロシア風の)色が使用されていた。4つの正方形が一列に配置されたピースは乾いた血のような暗い赤、煩わしいZ形のピースは荒れたモスクワの空のような暗い青緑、といった具合である。それとは対照的に、現在の公式版で使用されている明るいオレンジやライムグリーンといった色は、多くのプレイヤーから好評を得ている。

 
 単に「ピースを色分けする」というだけの工夫だけれど、これが、『テトリス』のゲーム性や見た目に与えた影響は大きかったのです。
 こういうのって、すぐ思いつきそうで、なかなか発想できないんですよね。
 色分けしたら、ゲーム性が変わってしまうのではないか、と躊躇する可能性もありますし
 『テトリス』は、パジトノフさん抜きては、もちろん完成しなかったのですが、パジトノフさんひとりの力では、今の形にはならなかった。
 『テトリス』というのは、いろんな要素と偶然とタイミングが絶妙に重なり合ってできあがった「奇跡のゲーム」でもあるのです。
 アレクセイ・パジトノフさんは、その後もさまざなまゲームを世に出していますが、使っているコンピュータも開発環境もずっと良くなったはずなのに、少なくともセールス的には『テトリス』を超えるゲームを作れてはいないのです。
 『テトリス』も、あの時代に誕生し、モノクロのゲームボーイというハードとの相性が抜群によかった、というのもありますよね。


 この本では、「『テトリス』は誰のものなのか?」「このゲームのファミコン版、ゲームボーイ版の権利を、任天堂はどのようにして手に入れたのか」というのが、任天堂の「特使」として派遣されたヘンク・ロジャースさんを一方の主人公に、当時はまだ西側にとって未知の世界だったソ連の情景を交えつつ描かれています。
 契約のしかたや、法律や家庭用ゲームのことに無知だったソ連の政府機関の人々から、このゲームの権利をなるべく安く買い叩こうとする人たちと、後発ながら、このゲームの可能性と携帯用ゲーム機との相性に注目し、相手を尊重する姿勢をみせながら、見事な「逆転」をしていくヘンク・ロジャース任天堂
 僕が日本人で、どうしても任天堂側に立ちたくなるので、そういう見方をしてしまうのだけれど、任天堂のやりかたは、かなり強引ではありました。
 個人的には、この交渉の結果、セガメガドライブ版『テトリス』がお蔵入りになってしまったことは残念です。
 アメリカでも、テンゲン版の『テトリス』が、裁判の結果、販売差し止めになったのです。
 ちなみにこのテンゲン版は、完成度が高く、遊んだ人からは高く評価されているのだとか。

 判決はただちに効力を発揮した。テンゲンテトリスが発売されてから4週間もたたないうちにすべて店頭から撤去された。残りの在庫は倉庫内で塩漬けになり、公式に日の目を見ることはなかった。そのカートリッジがどのような運命をたどったのかについては、現在も謎のままである。
 その結末として最も有力な説が、ブルドーザーで埋められたというものだ。この悲惨な運命が売れ残ったゲームに降りかかったのは、これがはじめてではなかった。その数年前、のちにアタリゲームズテンゲンに分かれる前のアタリ社が、映画「E.T.」とタイアップして製作したゲームの何万本もの売れ残りを、ニューメキシコ州にある埋め立て地に廃棄していた。その正確な場所については何十年ものあいだ憶測の域を出なかったが、2014年にアラモゴードで実施された発掘作業で、失われたE.T.ゲームの一部が発見された。
 しかし1989年6月22日までに、テンゲンテトリスは約10万本出荷され、その多くが現在も巷に存在しており、オークションサイトなどを通してコレクターたちのあいだで取引されている。ゲーム内容に優れたテンゲン版が失われてしまうことを恐れたファンたちのなかには、レンタル店でそれを借り、返さずに持ちつづける人も現れた。延滞金をいくら支払うことになろうとも、カートリッジがなくならないように手元に置いておこうとしたのである。


 近未来、人類が滅亡した地球で、宇宙人が、埋められていたテンゲン版『テトリス』のカートリッジを大量に発見し、「これは何だ?」と色めきたつ……なんだかそんな想像もしてしまいます。

 いまでも、スマートフォンに『テトリス』をダウンロードしている、という人は、たくさんいるはずです(僕もそうです)。
 『テトリス』のおかげで、人生が変わった人たちの「その後」も含めて、大変興味深い本でした。
 

fujipon.hatenadiary.com

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