琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】世にも奇妙なニッポンのお笑い ☆☆☆☆

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。




Kindle版もあります。

内容紹介
ツッコミもあるあるネタも 日本にしかない!?
笑いを求めて三千里。故郷オーストラリアから日本で芸人になるためにやってきた若者が飛びこんだのは、世にも稀なる芸道だった! 不自由にも見える芸人の上下関係の秘密から、「ツッコミ」「どつき」「ひな壇トーク」などの特殊性、そして“笑い”を翻訳して海外に届けることの難しさまで。苦節20年、お笑い界の荒波を生き抜いてきた外国人漫才師が、日本のお笑いの本領と秘めたる可能性をしゃべり倒す!


 1995年、オーストラリアから日本にホームステイしていた際に、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』に「言葉もわからないのに」衝撃を受けたチャド・マレーンさん。
 チャドさんは、高校卒業後に、吉本興業のお笑い専門学校NSC(NEW STAR CREATION/吉本総合芸能学院)に初の外国人として入学します。
 その後、1999年に加藤貴博さんと組んだコンビは「モーニンコール」、「ジパング上陸作戦」、そして、「チャド・マレーン」と改名しながら今に至っているのです。
 この新書では、チャドさんが、愛する「日本のお笑い」について語っています。

 交換留学を終えてオーストラリアに帰国したとき、いちばんショックだったのは、それまで大好きで見ていたはずのテレビ番組のどれを見ても笑えなくなっていたことでした。日本のお笑い番組のおもしろさを一度知ってしまうと、それまで夢中になっていた番組が「おもしろいけれど、なんか笑えへんな」という感じに変わってしまっていたのです。それはかなりの衝撃でした。
 日本のお笑いのすごいところは、人を笑わせることに徹していること。とくに関西のお笑いで顕著かもしれませんが、観客がちゃんと声に出して笑えるようにもっていくのです。
 僕は日本に来るまでおもしろいと思っていたコメディアンの人たちは、そんなに人を笑わせようとはしませんでした。サラッとおもしろいことを言ったり、ひねくれたことを言ったままで終わったり。それが粋でクスッと笑えたりもするのですが、声に出して爆笑する感じにはならないのです。
 では声に出して笑える日本のお笑いと、そうでない海外のお笑いとの違いはどこにあると思いますか? 僕はツッコミの存在が大きいと思っています。
 海外のお笑いでは、スタンダップ・コメディが主流。一人で舞台に立ってしゃべりまくる、いわゆる漫談スタイルです。


 このあと、「なぜ、ツッコミがいるとお客さんが『声に出して笑える』のか?」についてのチャドさんの考察が書かれています。
 僕もラスベガスでコメディアンがやっているショーを観たことがあるのですが、けっこう客イジリや差別的だと感じるようなネタが多くて、ちょっと困惑したんですよね。
 日本の漫才などの「お笑い」も、もともとは海外から輸入されたものなのですが、日本では独自の進化を遂げて、「政治的な主張などをまじえない、『笑えることを極めた、お笑い』」になっているのです。
 そのほうが心地よい、と感じるのは、ずっとそれに親しんできたから、なのかもしれませんが。


 チャドさんによると、オーストラリアのお笑いにはツッコミがいないのだそうです。

 どうしてオーストリアではツッコミが受け入れられないのか。その理由についてはわりと確信を持って言えるのですが、オーストラリア人は上から目線が嫌いという国民性があります。人の上に立とうとする人や、偉そうにふるまう人は好ましく思われない。よくアメリカ人と一括りにされて、自己アピールが強い人々のように思われていますが、じつはオーストラリアでは自信満々の人は嫌われやすいんです。
 ツッコミは常識人であって、ボケを止める役。日本の場合だと、ツッコミは誰もが共感できる、見る人の代弁者として機能します。でもオーストラリアだと、ツッコミは上から目線だと思われ、悪役になってしまう。そこまで自信満々に「お前、ちゃうやん」と他人を否定することに対して拒否反応が出るのです。
 嫌われるだけならまだしも、「ボケのやりたいように自由にさせたれや。なんでそんなお前が自信持って言えるねん、そうでないやつもおるやん」と、逆にツッコまれなけない。
「そいつの好きなようにやらしたれや」と言われる可能性が高いから、ツッコミはみんなの心の中で勝手にやってくれ、というスタイルに落ち着いたのです。


 この「上から目線への反感」は、日本でも、インターネットではかなり強まっているような気がします。
 お笑いの世界というのは、まだまだ「聖域」あるいは「発散するための場所」として、大目にみられているところはありそうです。
 今後、お笑いに対しても、拒否反応が目立つようになってくるのだろうか。


 チャドさんは、いちばん日本的だと思ったジャンルは「あるあるネタ」だと仰っています。

 サラリーマンやおばちゃんなどよくいる人物だったり、日常生活のよくある場面だったり。「なんかいそう」な人や「なんかありそう」なことをいじってお客さんの共感を呼び、笑いをとる。こうした手法は、これまでも漫談や漫才の中でさんざん使われてきました。それが、レギュラーの「あるある探検隊」をはじめ、「あるある」だけにフォーカスしたネタをつくる人たちが現れ、世間的にもいまや一ジャンルとして認められるようになっています。
 なぜ、あるあるネタが日本的なのか。それは、海外の人にあるあるネタを説明しようとしたら、まずはその概念から説明しないといけないほど、通じないものだからです。
 あるあるネタは、見ている人の間にある程度共通した意識があってこそ成り立つもの。でも欧米の国々では人種や階層が多様で、共通意識を持つということ自体がそもそも難しい。だから、海外であるあるネタをやったとしても「いやこういうのもあるんじゃないか」「こういうのもあるだろう」となってしまって、「あるある」とはならないのです。
 海外の人だって、自分がよく知るタイプの人やシチュエーション、その昔に経験したことをネタにされたら笑いますし、実際、特定の人たちに向けたコメディにはそういう「あるある」ネタも盛り込まれますが、結局みんなの「あるある」がバラバラなため、ほかへ行っても通じず、ジャンルとして確立しないわけです。
 これは海外のお笑いにツッコミが不在であることにもつながっています。前に、ツッコミは常識人であり、観客の代弁者だと書きました。ツッコミがそうした役割を担えるのは、見ているみんなの常識が一致している、という大前提があるからです。


 日本独自のお笑い文化が成立しているのは、国民の均質性もある、ということみたいです。
 多様性が叫ばれるなか、なんのかんの言っても、「あるあるネタ」が通用するくらいの「共通認識」を持っているのです。


 この本のなかでは、最近のチャドさんの仕事のひとつである、翻訳、それも映画などの字幕翻訳についても紹介されています。
 せっかく日本に来て、お笑いの世界でやっているのだから、わざわざここで英語を使った仕事をしなくても……と最初は思っていたそうなのですが、「ネタを別の言語に笑えるように翻訳すること」は、かなり難易度が高い仕事で、「言葉」と「日本のお笑い」に精通していることが求められ、やりがいを感じるようになってきたそうです。
 

 ダジャレや言葉遊びは、先ほども言ったように直訳では絶対に意味が通じません。なのでそこは僕の翻訳力が試されます。どうするかというと、日本語と似たような言葉遊びを英語でつくって、うまくはめ込むのです。
 一つ例を挙げてみますと、2009年に公開された映画『ヤッターマン』で、パチンコ屋の電飾看板が出てくるシーンがありました。パチンコの「パ」が消えて、「チンコ」になる。それを見た役者さんが「うふふ」と笑うのですが、そのまま「PACHINKO」の「PA」を消してみたところで、向こうの人には「CHINKO」が何を意味しているかわからないから、おもしろくもなんともありません。
 そこで僕はパチンコとあえて書かずに、その店が「PEACOCK(クジャク)」という店名だという設定にしました。パチンコと書かなくても見るからにギャンブルができそうな雰囲気があるし、たまたま鳥のネオンもあったからです。
 そして、「PEACOCK」の「PEA」が消えて「COCK(男性器を表す俗語)」になる。これなら意味として同じボケが再現できます。うまくハマったと思いました。
 でも、そのあとに字幕を出す位置でひと悶着ありました。
 字幕は画面下の中央に出ます。まず「PEACOCK」が中央に来て、次の字幕に切り替わって「COCK」がまた中央に出てくる。それだと、微妙に字幕の文字の位置がズレるため、「文字の一部が消えたら変なワードになった」のではなく「ただただ変なワードに変わった」と思われてしまう。
 おもしろみが減るから、「PEACOCK」のときと同じ位置に「COCK」を出してほしいと言ったけれど、イレギュラーなことなのでスタッフからは「あまり位置をずらしたくない」という返事。「でもそれだとウケなくなるよ」と戦って、僕の提案通りにしてもらい、ちょっと前から再生して、その流れの中で見てみたら、最終的に全員が「なるほど!」と、笑顔で納得してくれました。
 このように、うまいこと訳しただけでは終わりにならない。字幕を出すちょっとした位置なり、タイミングなりによっても受け取り方が変わってきてしまうのが、映像翻訳の難しいところです。


 僕も『ヤッターマン』の実写映画版を見たのですが、正直、「笑える」というより「呆れる」シーンではあったんですけどね。
 どこの国の映画でも、「翻訳するだけでは、面白くならない」小ネタが含まれていて、それをうまく翻訳で伝えるには、文法的に上手く訳すだけではダメなのです。
 チャドさんは、「とはいえ、英語圏の人々は、基本的に字幕のあるものを見ようとはしない。字幕を見るのは面倒と感じるから」とも仰っています。
 日本では字幕派と吹替派が拮抗している印象なのですが、英語圏では、そんな感じなんですね。
 学術論文でも「英語の壁」があり、不公平な気もするのだけれど、世界のパワーバランスは、そう簡単に変わりはしません。


 チャドさんのお笑い芸人としての遍歴や島田紳助さん、ぼんちおさむさん、松本人志さんなど大物芸人との交流なども語られていて、楽しく読める新書でした。


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