琥珀色の戯言

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【読書感想】幸運な男――伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生 ☆☆☆☆☆

幸運な男――伊藤智仁  悲運のエースの幸福な人生

幸運な男――伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生


Kindle版もあります。

幸運な男――伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生

幸運な男――伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生

内容紹介
1993年、あの松井秀喜を抑えて新人王に輝いた元ヤクルトスワローズ伝説の投手・伊藤智仁。名捕手・古田敦也に「直角に曲がる」と言わしめ、名将・野村克也でさえも「私が見た中でナンバーワン」と感嘆した“高速スライダー”を武器に、プロ野球界を席巻した。そんな鮮烈デビューを果たした伊藤だが、その後はたび重なる故障に見舞われ、長期離脱を余儀なくされる。過酷なリハビリに打ち克ち、一度はカムバックを果たしたものの、伊藤の右腕は再び悲鳴を上げる・・・。その後も復活をめざし懸命なリハビリを続けたが、とうとう神宮のマウンドに戻ることはできず、03年に現役引退。世間からは「悲運のエース」と呼ばれた。しかし、伊藤智仁は「悲運」ではなかった―。三十数時間に及ぶ伊藤智仁本人へのロングインタビューを軸に、野村克也古田敦也岡林洋一石井一久館山昌平米野智人、松谷秀幸、由規篠塚和典立浪和義ら当時のチームメイトや対戦相手、さらにはアマチュア時代の恩師や家族など、総勢20名以上の関係者が今まで明かされることのなかった真実を語る。今もなお、野球ファンの心に深く刻まれている伊藤智仁。その半生を、93年のデビュー戦から17年の「最後の一日」までを見届けた作家の長谷川晶一が書き下ろす、渾身のノンフィクション作品。


 悲運のエース、伊藤智仁
 僕はルーキーイヤーの前半戦で投げまくっていた伊藤智仁投手をリアルタイムで観ていました。
 カープファンとしては、ドラフトで指名しながら抽選で外してしまったのが、本当に残念だったんですよね。この本を読んでいると、伊藤投手はカープに好感を持ってくれていたみたいだし。
 この本でも採りあげられている、篠塚選手にサヨナラホームランを打たれた試合も、テレビで観戦していました。
 伊藤投手はものすごいピッチングで三振の山を築き、9回裏2アウトまでで、なんと16奪三振
 ところが、ヤクルトもなかなか点を取れず……
 9回裏になったとき、アンチ巨人の僕としては、ちょっと悪い予感がしたのです。こういう展開って、押しているほうが、最後にうっちゃりを食らってしまいがちだから。でも、今日の伊藤智仁は、さすがに打てないだろ……それにしても、稀代のアベレージヒッターではあったものの、ホームランバッターではなかった篠塚選手に一発を浴びてしまうとは。
 この本には、二人の駆け引きが詳しく書かれていて、野球の奥深さを思い知らされるのです。
 そうか、伊藤投手も、あの場面、「篠塚選手だから、ヒットはあっても、ホームランはないだろう」って思っていたんだな……


 それにしても、ルーキーイヤーの伊藤投手はすごかった。伝説として語り継がれているスライダーは、ギュイーン、という音が聞こえてくるようなえげつない曲がりかたをして古田捕手のミットに吸い込まれ、他球団ファンの僕は、「これを打つのは無理だ……」と呆れていたのです。

 中日相手に連勝した伊藤は、(1993年5月)28日には横浜を相手に相手に延長12回を投げて2失点。15奪三振という記録を残した。この日、彼が投じたのは193球。
 味方打線の援護がなく、12回で降板したものの、続く13回にジャック・ハウエルの11号サヨナラホームランが飛び出してチームは勝利した。
「この頃になると、先発起用が続いたので、悪くても自分なりに修正したり、調整したりできるようになってきました。ようやくプロのリズムに慣れてきましたね」
 伊藤の快刀乱麻のピッチングについて、古田が振り返る。
「この頃には完全に頼れるピッチャーになっていましたね。でも、申し訳ないことにトモが投げる試合はなかなか援護点が取れずに延長戦が多かったですよね。それで球数もずいぶん増えてしまって。えっ、193球も投げた試合もありましたっけ? それはちょっといくらなんでも投げすぎだな……」
 5月を終えた時点で8試合に登板し、3勝1敗、防御率は1.61という堂々たる成績だった。ここまでの8試合での総投球回数は50回3分の1で、総投球数は902球。2度のリリーフ起用を考えると、この時点ですでに「投球過多」の兆候は出ていた。
 この起用法について、指揮官・野村克也は振り返る。
「確かに投げさせすぎたな……。あの頃のオレにはまだ稲尾(和久)や、杉浦(忠)のイメージが残っていたんだろうな。こういう昔のエースたちは毎日のように投げていたからね。プロ野球のエースというものは先発兼ストッパー。そんなイメージがまだ残っていたんだよね。もちろん、今ならこんなに投げさせていないけどね……」


 のちに『怒り新党』の名物コーナーだった「新・3大」で伊藤投手が採りあげられるまで、僕が伊藤投手の姿を思い出せるのは、あのルーキーイヤーだけだったんですよね。
 実際は、ルーキーイヤーに離脱したあと、数年間のリハビリを経て、リリーフエースとして、あるいは先発として、それなりの成績も残していたのです。
 それもリアルタイムで観ていたはずなのですが、あの1993年高速スライダーのイメージがあまりに強すぎるのだよなあ。
 

 この本を読むと、「悲運」のイメージで語られがちな伊藤智仁というピッチャーは、ものすごくピッチャーらしい、負けん気が強くてマイペースな人だったということがわかります。
 プロ入りしてはじめてのキャンプの序盤、ヤクルトの野村克也監督が「自慢のスライダーを見せてくれ」と頼んでも、「今はまだその時期ではないので……」と断っていたのです。
 日本シリーズで優勝決定目前の最終回、投手交代を告げられたときには、悔しさをあらわにしてもいるのです。
 あの『怒り新党』の最後に採りあげられた「最後の登板」で投げた、最速109キロの、全盛期とはほど遠いボールは、本人によると「ずっと練習していたナックルボールだった」そうです。
 それが事実なのかどうかは、僕にはわからないのですが……


 2回目の長期離脱中の伊藤投手のリハビリの様子も、この本では、一緒にリハビリを続けていた松谷投手との苦闘とともに、詳しく紹介されていました。

 この時期、戸田の二軍寮では日本大学からプロ入りしたばかりのルーキー・館山昌平もリハビリを続けていた。大学時代にすでに棘上筋手術を経験していた館山は、入団早々リハビリに励んでいた。
「あの頃は、戸田のトレーニングルームでいつも一緒でした。すでに実績のある投手だったけど、トモさんは黙々とリハビリを続けていました。僕も、その後何度も手術とリハビリを経験しますが、リハビリというのは本当に毎日状態が違っているものなんです。浮き沈みがすごくあるものなんですが、トモさんはまったく暗くならずに、いつも前向きにやっていました。いつも松谷と一緒に、果てしなく先が見えないリハビリに明るく取り組んでいました。きっと、落ち込むときだってあったはずなのに、僕らの前では決してそんなそぶりは見せませんでした」
 館山の言葉を告げると、伊藤は小さく笑った。
「別に落ち込む姿を人に見せてもしょうがないんでね。イライラしているところを見せてケガが治るならともかく、決してそんなことはないわけで。たぶん、これは性格的なものだと思いますよ。試合においてはイライラしたり、モノに当たったりすることはあっても、リハビリではそんなことはありませんでしたね」
 このときの伊藤の姿が、館山には強く印象に残っている。そして、それがヤクルトにおける「リハビリの系譜」へと連なっていくのだが、それは後に述べることにしたい。


 伊藤智仁投手は、結果的に、その後一軍のマウンドに上がることはありませんでした。
 しかしながら、そのリハビリの経験と取り組んでいる姿は、後輩たちにも大きな影響を与えたのです。
 伊藤投手自身も、その後、ヤクルトのコーチとして、長くユニフォームを着続けています(2017年で退団)。
 これを読みながら、ソフトバンクホークスに入団後、高額の年俸をもらいながらずっとリハビリ生活で、「プロリハビラー」なんて揶揄されていた松坂大輔投手のことを思い出さずにはいられませんでした。
 松坂投手だって、投げられるものなら、投げたかったのだろうし、きついリハビリをやってきたのだろうな……
 舞台裏というのは、なかなか見えてこないものだから。
 もちろん、「プロ」としては、あの年俸で戦力になっていなければ、いくらリハビリを頑張っていたとしても、批判されるのは致し方ないとは思うけれど。


 著者は、伊藤智仁投手コーチに、自分が「悲運のエース」と語り継がれていることをどう思うか?と直接問いかけています。

「……だから、僕なんかよりも石川雅規の方が絶対的にすごい投手なんです。チームにとって本当に頼りになるのは何年にもわたってきちんとマウンドに上がり続けることのできる投手なんです。何年も続けて、ある程度安定した成績を残すことのできるピッチャー。それが石川で、僕にはそれができなかった」
 そう、「できなかった」のだ。もしも、投げられるのであれば彼はできたはずだ。その実力は確かにあった。でも、「できなかった」。「やらなかった」のではなく、「できなかった」のだ。それは、なぜか? 故障もいとわずに腕を降り続けたからだ。
「僕は、毎試合、毎試合、”いつ壊れてもいい”と思って投げ続けていました。本当は壊れちゃダメなんです。でも、当時の僕は”壊れてもいい”と思っていたし、壊れることを恐れていなかった。そしてその結果、壊れた。それはしょうがないことだし、自分でもあきらめのついている部分なんです。ただ、世間の人はこの点を見て”もっとできたはずだ、惜しかった”と言ってくれているんだと思います。だけど、もしも僕が腕を振ることを怖がっていたらプロに入ることもできず、新人王を獲ることもできなかったはずですから」
 そして、現在のコーチの目で「伊藤智仁」という投手を評価する。
「かつての《伊藤智仁》という投手は確かにいいピッチャーだったと思います。けれども、ひと言で言えば”弱いな”という思いもあります。それが、僕の僕自身に対する評価です」


 伊藤智仁、通算成績、37勝27敗25セーブ。
 僕にとっても、忘れられないピッチャーです。


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