琥珀色の戯言

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【読書感想】激しき雪 最後の国士・野村秋介 ☆☆☆☆

激しき雪 最後の国士・野村秋介

激しき雪 最後の国士・野村秋介


Kindle版もあります。

激しき雪 最後の国士・野村秋介 (幻冬舎単行本)

激しき雪 最後の国士・野村秋介 (幻冬舎単行本)

内容(「BOOK」データベースより)
新右翼のリーダーで、三島由紀夫と並び称される憂国の士の苛烈な生涯―少年時代から朝日新聞社での拳銃自決の瞬間までを、晩年の10年、最も身近にいた作家が描き切った感動ノンフィクション。


 「最後の国士」か……
 僕はこの本を読むまで、野村秋介さんのことをほとんど知りませんでした。
 右翼の大物で、朝日新聞に乗り込んで、突然自殺してしまった人、というくらいです。
 当時は、朝日新聞の姿勢に不満があって、暴力的に抗議をしたのかと思いきや、相手を銃で脅したわけでもなく、なぜいきなり「自殺」なんだろう?と呆気にとられたんですよね。
 この人は、なぜ突然、こんなことをしたのか?

 野村秋介が取りだした拳銃を見たとき、野村の同行者は三人が三人とも事態を瞬時に悟っていた。
 二十一世紀書院編集長の辻想一は、
<やっぱり今日だったのか。でも、まさかこの場所だったとは!>
 と内心で唸り、野村の秘書の古澤俊一は、
<あっ、先生はここで死ぬのか。これだったんだな!>
 と合点がいき、野村の長男の勇介は勇介で、今朝、父からホテルの部屋で言われた。
「今日は野村秋介の一世一代の勝負だから、何があっても最後までしっかり見届けろ」
 との言葉を胸で何度も反芻していた。
 対して、朝日新聞社首脳には、いったいそれが何を意味するのか、目の前で何が起きているのか、すぐには理解できなかった。
 男が手にしたもの——自分たちに向けられてはいないが、それが何であるかは、確かに判断可能ではあった。誰が見ても拳銃であるのは明らかだった。両手に持った二丁拳銃……。
 そんな代物を、外国ではなくこの日本で、映画やテレビではなく目のあたりにすることになろうとは……。だが、これは紛うかたなき現実であった。自分たちがいまいる場所は、築地の朝日新聞東京本社役員応接室に相違ない。


 この本を読んで、野村さんの「その際」と「その前」の行動を知って、ようやく、少しその疑問が解消されたような気がしたのです。
 野村さんは朝日新聞に対する抗議だけでなく、そもそも「死に場所」を求めていて、それに選ばれたのが朝日新聞だったのかな、とも感じました。
 自分が殺されるよりは遥かにマシにしても、いきなり目の前で自決されるというのは、メディアの責任者というのもけっこう大変ですよね。
 「大新聞の責任者というのは、そのくらい大変なものなのだ」ということを野村さんは身を挺して示そうとしたのかもしれません。


 平成5年の『週刊朝日』の「山藤章二のブラック=アングル」で、野村さんが代表だった「風の会」を「虱(しらみ)の党」と揶揄したことに対して、選挙妨害だと野村さん側が朝日新聞に抗議したことが、この事件のきっかけだったのです。
 言う側は「ジョークだ」というつもりだったのかもしれませんが、たしかにこれは厳重に抗議されてしかるべき、ではありますよね。
 こういうのが「許される諷刺」なのかどうかは、なかなか結論を出すのが難しい。
 やらないほうが無難であることは、間違いないのでしょうけど。


 僕は野村さんのことを「右翼の怖いひと」だと思っていましたし、実際に近くにいたら、避けてしまいそうなのですが、この本を読むと、野村さんは筋を通す人であり、欲得だけでは動かず、多くの人に敬愛されていたようです。

 野村邸で行われた通夜、密葬への参列者は二千人を超え、心からその死を惜しむ人たちで溢れた。野村秋介野村秋介たるゆえんは、近所の塚越商店街の人たちが普段着のままで次から次へと焼香に駆けつけたことだった。


 この本を読んでいると、野村秋介という人の魅力とその人脈に驚かずにはいられません。
 『史記』の「侠客列伝」に出てくる人というのは、こんな感じだったのだろうか。

 平早(勉・フリーカメラマン)から見ても、野村は相手によって態度を変えるということをしない人間だった。偉い立場の者であれ、無名の市井人であれ、誰に対しても向ける顔は同じで、平早がたまたま浜松町の事務所で同席し、
「僕の友人の平早さんです」
 と、野村から五分の立場で紹介された相手が、仰天するような大物だったこともあった。
 野村のモットーは、学歴とかレッテルは一切関係なし、「上はヤクザから下は代議士まで」と公言し、気が合えば誰とでもつきあうという姿勢を貫いていた。
 あるとき、明治大学OBの何かの集まりがあって、代議士の山口敏夫が、その中に野村秋介の顔を見つけたものだから、
「あれ、野村さんも明治でしたか」
 と訊いたことがあったという。
「いや、僕は国立ですよ」
「ああ、そうでしたか。どちらですか?」
「高校が網走で、大学は千葉、大学院が府中です」
「……?……」
 平早はこの小話がたまらなく好きだった。


 蛇足ながら補足しておくと、「網走、千葉、府中」というのは、野村さんが服役していた刑務所のことです。

 僕は、こういう「ドラマとして語られる野村さん」の姿には魅力を感じるのですが、正直、民族派の活動家としてやってきた暴力行為については、「どんなに人格的にすぐれた人であっても、許されることではない」と考えています。
 結局のところ、野村秋介という人が主張していたことをキチンと記憶している人は、世の中にはほとんどいなくて、野村さんの「衝撃的な死」だけが印象づけられてしまっているんですよね。

 思えば野村は口舌の徒を徹底して嫌い、自らの肉体はつねに行動という“肉体言語”を行使してきた。そしてつねづね魂なき繁栄、阿呆鳥の住む極楽島と化した日本の戦後体制の欺瞞性を訴え、その打倒のために命を賭けると公言してきたではないか。
「口舌の徒が百万回喋っても人は聞かん。しかし、命を賭けて闘えば、勝ち負けは別として言葉は通じる」
 それこそ野村の生きかたに他ならなかった。


 なんであんな死に方を選んだのだろう、と思う一方で、ああいう最期だったからこそ、野村秋介という人は、より多くの人の記憶に残り、こうして語られている、というのも事実なのです。
 たしかに「口だけでは通じないことでも、行動すれば興味は持ってもらえる」ことは否定できないよなあ。


 野村秋介さんというのは、本当に魅力的な人ではあるんですよ。
 でも、それを認めるのは、テロを肯定することにもなるのではないか、という不安も僕にはあるのです。

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