琥珀色の戯言

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【読書感想】ロケット・ササキ―ジョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正 ☆☆☆☆

ロケット・ササキ:ジョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正

ロケット・ササキ:ジョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正


Kindle版もあります。

内容紹介
シャープはこの男の手によって興隆し、
この男が去って墜落した──
ビジネスの醍醐味を描き切った怒涛のノンフィクション。


「ロケット」と称された爆発的な着想力が、
電子立国日本の未来を切り拓いた。
トランジスタからLSI、そしてMPUへ――
シャープの技術トップとして半導体の開発競争を仕掛け続け、
日本を世界のエレクトロニクス産業の先頭へ導いた男。
インテル創業者が頼り、ジョブズが憧れ、孫正義を見出した
佐々木正の突き抜けた人生。


孫正義氏、推薦!
「私だけの恩人ではない。電子立国日本の大恩人だ」


 最初に買ったマイコンがシャープX1で、次々と面白そうなゲームが発売されるNECの機種を羨ましく思いつつ、X68000まで「シャープ信者」だった僕にとっては、「シャープの栄光」をつくりだした佐々木正さんは、「伝説の人」だったのです。
 シャープを退任されたあともずっとお元気で、僕は「佐々木さんって、もしかしたら死なない人なんじゃないか」とさえ思っていたのです。


news.livedoor.com


 そんな佐々木さんの訃報は、まさに「天寿を全うしたもの」ではあったのですが、「ああ、人間ってやっぱりいつか『そのとき』が来るのだな」という感慨もあったんですよね。

 佐々木正はシャープの技術担当専務である。カシオ計算機との激しい「電卓戦争」でシャープの陣頭指揮を執り、後に「電子工学の父」とも呼ばれた。電卓は当時、電子工学のあらゆる先端技術が詰め込まれた最先端のハイテク商品だった。
 1964年に早川電機(シャープの前身)が発売した世界初のオールトランジスタ電卓は、重さ25キログラムで価格は53万5000円。机の上を占拠する大きさで、自動車が1台買える値段だった。
 だが激しい開発競争の中で、電卓は劇的に小さく、安くなっていく。それを可能にしたのがLSIだ。軍需産業でしか使われていなかったLSIを「電卓に使う」と決めたのが佐々木である。
 シャープは1969年に世界初のLSI電卓(9万9800円)を発売した。製品の重さはわずか1.4キログラム。わずか5年で重さは18分の1、価格は5分の1に減った。その後も電卓は進化を続け、1985年にはついに、胸ポケットに入る重さ11グラムのカード電卓(7800円)が発売された。凄まじい技術革新である。
 20年間に及ぶ「電卓戦争」は日本メーカーの独壇場だった。半導体を発明した米国も、電卓を発明した英国も、日本メーカーが仕掛ける激烈な小型・低価格化競争についていけず、続々と脱落した。電卓は日本が外貨を獲得する輸出産業としても、重要な役割を担った。


 今となっては、携帯電話の基本アプリの片隅にひっそりと入っている電卓が、日本のハイテク技術の最前線だった時代があったのです。
 僕も子供のころ、父親が買ってきた「電卓」(いまのiPadくらいの大きさ)に、いろんな数字を入れてみて、本当に複雑な計算が一瞬でできることに驚いた記憶があります。
 

 佐々木さんは、京都大学工学部を卒業後、日本軍の施設で「殺人電波」を開発させられていたのです。
 実用化にむけて、人体実験が行われようとしていた直前に日本が降伏したとき、佐々木さんは「科学者として死なずに済んだ」と思ったそうです。
(ちなみに、この「殺人電波」と同じ技術が、のちに「電子レンジ」に応用されています)


 その後、さまざまな実績を築きながら川西機械製作所から神戸工業に移った佐々木さんだったのですが、48歳のときに、神戸工業の業績不振の責任をとる形で、母校の京大で研究者として生きる決心をしました。
 ところが、そこで「技術がわかる幹部」を求めていた早川電機の佐伯勉専務の熱心な誘いを受け、シャープの前身である早川電機へ入社することになったのです。
 あらためて考えてみれば、48歳になっての転身だったわけで、僕なども、まだまだ諦める年齢でもないのかなあ、なんて励まされるところもあるんですよね。
 

 早川電機の開発陣は、苦心の末、1台53万5000円の「卓上計算機」をつくりあげます。しかしながら、その時点で、「自分たちの能力やこの会社の資金力では、これ以上は無理だ」と、燃え尽きた状態になっていたのです。

 佐々木と大阪市立大学教授の三戸左内が早川電機に入社したのはそんな時だった。三戸は笹尾の後任の研究室長になり、佐々木は浅田や鷲塚がいる産業機器事業部の事業部長になった。
(助かった)
 浅田は「地獄に仏」の思いで佐々木を迎えた。
 だが佐々木の第一声を聞いた浅田は、途端に不安になった。
 浅田や鷲塚が進めてきた電卓研究の資料を一通り読んだ佐々木は、開口一番、こう言ったのだ。
「浅田君、これ面白いね。この回路はいつかチップになって人間の脳に埋め込まれるかもしれないよ」
(この人は、本当に大丈夫か)
 地黒な浅田の顔が少し青ざめ、丸い目が一段と丸くなった。
(俺たちが死ぬ思いで小型化しても、まだ卓上を占拠している計算機が、たった一つのチップになる? それが人間の頭に入るだと?)
 突拍子もなさすぎて話にならない。宇宙人と話しているようだ。
 だが浅田と鷲塚が佐々木の部屋に入り浸るようになるのに、たいした時間はかからなかった。電卓の開発で何か問題に突き当たると、佐々木は必ず解を与えてくれるのだ。
「ああそれなら、三菱電機に頼みなさい。僕から電話をしておいてあげよう」
「それは(当時、世界最大の電機メーカーだった)RCAに聞くのが早い。向こうが朝になったら電話しよう」
 部屋に入って、課題を相談すると、その場で解決策が飛び出してくる。
 全ては人脈のなせる技だった。ベル研究所のショックレー、ブラッテン、バーディーンから始まったアメリカの人脈は半導体、エレクトロニクス業界全体に及んでいた。RCAの経営陣ともクリスマスカードをやり取りする仲。のちにインテルの経営者となるロバート・ノイスゴードン・ムーア、アンドリュー・グローブも友人だった。
 浅田たちが「今まで狭い研究室でひざを突き合わせて悩んできた俺たちは何だったのか」と嫌になるほど、佐々木の見識と人脈は広かった。
「いいかい、君たち。わからなければ聞けばいい。持っていなければ借りればいい。逆に聞かれたら教えるべきだし、持っているものは与えるべきだ。人間、一人でできることなど高が知れている。技術の世界はみんなで共に創る『共創』が肝心だ」
 佐々木が座右の銘とする「共創」の思想を披歴すると、浅田と鷲塚は「なるほど」と頷いた。浅田たちは尊敬を込め、佐々木のことを「ドクター」と呼ぶようになった。


 なんてカッコいい人なんだ……
 佐々木さんは、優秀な技術者、というだけではなく、その技術を世の中に活かすことを考えていたし、生き馬の目を抜くような技術開発の世界で、その懐の広さで、多くの人に信頼されていたのです。
 佐々木さんはその「人脈」を惜しげもなくシャープのために使っていきました。
 自分にできないことは、できる人の助けを借りればいい、その代わり、逆の立場になったときには、惜しみなくサポートする。
 そんな佐々木さんも、マイクロプロセッサーMPU)の開発で、インテルの遅れをとってしまったことを、ずっと「痛恨の失敗」として語っておられたそうです。
 ベンチャー企業だったインテルの創業期に、佐々木さんが救いの手を差し伸べたこともあったのに。
 

 海外に送るクリスマスカードは5000枚を超え、そのすべてに直筆のメッセージを添えた。
「取締役20人で接待費が年間に2000万円」という質実剛健のシャープにあって、佐々木が使う交際費は群を抜いていた。社長の佐伯をはるかに上回る交際費を、「使いすぎだ」と問題視する役員もいたが、佐伯は「ドクターだけはしゃあない」と目をつぶった。佐々木の人脈によって会社にもたらされる利益もまた桁違いだった。


 本当に「破格の人」だったのだなあ、と。
 そして、当時のシャープの佐伯社長も、「ドクター」の価値と動かし方をよく知っていたのです。


 ただし、佐々木さんに対する評価は、必ずしも好意的なものだけではありません。

 それは1970年のことだった。半導体の開発で行き詰まったサムスン電子の会長、李健熙(イ・ゴンヒ)が佐々木の下を訪れた。
「佐々木さん、助けてください」
 韓国帽を脱いだ李健熙は、プライドをかなぐり捨て、佐々木に半導体の技術指導を求めてきた。その時、佐々木の頭に浮かんだのは、終戦直後、発見したばかりのトランジスタを教えてくれたベル研究所のバーディーンの顔だった。
(日本人だってアメリカに教わってここまで来た。技術は会社のものでも国のものでもない。人類のものだ)
 シャープはサムスンと技術提携し、4ビットマイコンの製造技術を供与した。これがきっかけとなってサムスン半導体事業は大躍進を遂げ、日本の半導体メーカーは壊滅的な打撃を受けた。サムスンに技術を渡した佐々木を、人々は「国賊」と呼んだ。
 だが佐々木は、自分が間違ったことをしたとは露ほども思っていない。


 たぶん、佐々木さんがその決断をしなくても、誰かが同じことをやっていた、あるいは、いつかは追いつかれていたのではないかとは思うのです。
 佐々木さんは、自分自身の利益のためにやったというよりは、自分の研究者としての信念を貫いたにすぎない。
 しかしながら、これが直接のきっかけになったことは事実ですし、人というのは「そういう時代」という解釈よりも、わかりやすい「犯人」を探してしまうものなのです。


 世界の技術者・研究者が、みんな佐々木さんのような人なら、人類は、もっと先に進めているのではなかろうか。
 でも、現実は、そんなに綺麗なものじゃない。
 世界にとっての正しさは、身内を不幸にするかもしれない。
 そんななかで、君たちは、どう生きるかのか?
 佐々木さんの人生は、読者に、そう問いかけてくるのです。


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