琥珀色の戯言

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【読書感想】こんなに変わった!小中高・教科書の新常識 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
昭和の教科書と今の教科書を比べてみたら、驚きの発見がいっぱい!
見た目だけでなく、内容も時代と共にどんどん変化し、私たちの知らないうちに常識が塗り変わっているのです。
例えば、世界史上で活躍した偉人「マガリャンイス」とは誰のこと? 太陽系にある惑星の数はいくつ? ひらがなの「そ」の字、どうやって書いていますか?
新時代の教科書を眺めてみると、「へ~」と思う発見がいくつもあります。
知らずにできていた、子供や若い部下との世代間ギャップを解消しましょう!


 「いい国(1192)つくろう、鎌倉幕府」と覚えたはずの、幕府成立の年が、いまの教科書では変わっている!
 そんな話を聞いたことはありませんか?
 いまの教科書では「いい箱(1185)つくろう、鎌倉幕府」という語呂合わせになっているそうなんですよ。
 でもさ、「いい国」ならわかるけど、「いい箱」って何だよ、無駄な公共事業で作られた施設みたいじゃないか、と、昭和に義務教育を受けた世代としては、毒づいてみたくもなるのです。
 教育とか家族観っていうのは、自分が教わったことや生きてきた時代が「当たり前」だと思い込んでしまいやすいのだよなあ。

 歴史的な出来事が7年も繰り上がるとは異例の事態。そのタイムラグの謎に迫ってみると、1185年の他にも1180年説、1183年説、1190年説など諸説あることがわかりました。というのも、鎌倉幕府源頼朝が鎌倉に侍所(武家時代の役所)を置いた1180年を端緒に、1183年には朝廷が頼朝による東国支配権を公認するなど、徐々に確立されていったため、「この年にできた」とは断定しづらい状況があったのです。
 現在、最有力とされる1185(イイハコ)年は、壇ノ浦の戦い平氏を滅ぼしたのち、頼朝が全国に「守護(国の警備をする役職)」と「地頭(土地の管理をする役職)」を置いて、「実質的な支配権を得た年」とされています。つまり、朝廷から頼朝に権力が確実に移行したとされる年です。
 一方、旧常識の1192(イイクニ)年は頼朝が征夷大将軍に任命され、「名実共に幕府が完成した年」。それ以前に幕府の基盤はでき上がっていたため、成立年は「イイハコ」の方が的確との判断から、定説は覆されたのです。教科書には、多くの学者が認めた説が第一に採用されるのです。
 そもそも、「征夷大将軍になること=幕府の成立」という考え方は江戸時代後期に誕生したといわれ、鎌倉時代を生きていた人にとっては「鎌倉幕府? なんですかそれ?」という存在だったかもしれません。未来の教科書では、さらに塗り替えが進む可能性もあり、まだまだ目が離せません。


 800年も昔の「歴史的事実」なんて、そう簡単に変わることはないだろう、と思ってしまいがちなのですが、歴史の研究というのは、今でもずっと続けられていて、解釈の変化で、教科書に載せられている内容も更新されているのです。
 正直、以前の教科書で学んだ僕としては、違和感はあるのですけど、仕方がない。


 その他にも、「士農工商」という身分制度についての記述がいまの教科書からは消えているのだとか。武士が支配層にいたのは確かだけれど、農工商については、単なる「職業の違い」にすぎなかったと解釈されるようになったそうです。
 江戸時代は、今から150年くらい前まで続いていたのに、その時代のことさえ、正確なことは、なかなかわからない。
 隠れキリシタンを見つけるための「踏絵」は、いまの教科書では「絵踏」に変わっているそうですが、これは、「行為としては『絵踏』のほうが正しい」ということで、踏まれる絵が、「踏絵」と呼ばれるようになりました。


 また、江戸幕府の五代将軍・徳川綱吉への評価が大きく変わったことも紹介されています。

 綱吉といえば「生類憐みの令」がよく知られています。殺生を禁止したこの法令は、「天下の悪法」と酷評され、以前は教科書の中でも悪いイメージが定着していました。その証拠に、80年代の教科書には、
「生類憐みの令を出して犬や鳥獣の保護を命じ、それを厳しく励行させたため、庶民の不満をつのらせた」
 というような記述で紹介されています。他にも、「綱吉は贅沢な生活をするようになり、仏教への信仰から多くの寺社の造営・修理を行い、幕府の財政を急速に悪化させた」など、一見して否定的な記述が目立ちます。
 ところが、現在の教科書では天下の善人へと大変身。
「犬を大切に扱ったことから、野犬が横行する殺伐とした状態は消えた」
 というように、ガラッと変わっています。しかも、「綱吉の政権による慈愛の政治」とまで評価されているので、当の綱吉もあの世で笑っているかもしれません。
 これほど表現が改まった背景には、法令の解釈が変わったことがあります。
 綱吉が「犬公方」や「お犬様」と呼ばれたように、「生類憐みの令」は犬を過剰に保護したイメージがありますが、実は保護の対象は犬に限りません。小さな虫にいたるまであらゆる生き物、人間の子ども、老人、病人などの社会的弱者も含まれていたのです。昨今、その本質がようやく理解されてきたのでしょう。
 綱吉の時代、天下統一から80年あまりが経過して表向きは平和でしたが、まだ戦国時代の荒々しさが残っており、人々はすぐ争って殺し合うような風潮がありました。
 学問を愛するインテリだった綱吉は、その状況を何とか変えたいと思い、国民のモラル向上のため、「殺生はよくない」というスローガンを掲げて真に平和な世の中を築こうとした、というわけです。
 つまり、綱吉は日本人の意識の大転換をはかったことになります。
 ところが、当時としてはなかなか受け入れがたい価値観で、誤った解釈が広まったと考えられています。一つの法令も、見る角度によってよくも悪くもとれるのです。


 歴史の解釈というのも、解釈する時代によって変わっていくものではあるのです。
 太平洋戦争時に「軍神」として崇められた人たちの遺族が、敗戦後にバッシングされた、という話を聞くと、人間の価値観なんてものは、勝手なものだよな、と思い知らされます。
 
 危険だから、という理由で、理科の実験でアルコールランプが使われなくなってきているとか(昔から危険だったと思うんだけど……)、「四大工業地帯」から、北九州が外されて、「三大工業地帯」になったりと、いろんなことが変わってきているのだなあ、と。
 

 さて、次は英語でわかる世代当てクイズ。
「あなたは、中学の英語の授業で筆記体を習いましたか?」
 この質問に対し、「筆記体を習った」と答えた人は昭和生まれ、「筆記体を習わなかった」と答えた人は平成生まれ、とおおまかに分けられます。
 昭和生まれの親世代は、中学のとき「ブロック体(活字体)」と共に、アルファベットの「筆記体」を習ったと思います。単語の文字をつなげて書く「続け字」のスタイルで、今もサインなどで使われます。当時は習うのが当たり前でしたが、現在の英語の授業では筆記体を教えていません。旧世代にとってはちょっと驚きの変化でしょう。
 日本の筆記体の教育は1962年(昭和37年)から始まり、長いこと定着していましたが、2002年(平成14年)の「ゆとり教育」の導入で、筆記体は必修からはずれました。基本的にブロック体だけ教えればよいとされ、筆記体は先生の判断で教えても教えなくてもよくなったのです。
 つまり、中学入学が2002年4月以降の人は、多くが筆記体を習っていないことになります。生れた年でいうと1989年(平成元年)4月以降なら「筆記体の授業なし」、それ以前なら「筆記体の授業あり」となるわけです。
 では、脱ゆとり教育の流れで、今後筆記体の学習が復活する可能性は?
 今のところその兆しはなさろうです。世はコンピュータ社会で筆記体はどんどん使われなくなり、ニーズが減ってきているのです。
 その傾向はアメリカでも同じで、多くの人は筆記体はサインをするときに使う程度だったり、筆記体では書けなかったりする人も多くいるそうです。筆記体の話題で年齢がわかるのは、日米共通なのかもしれません。


 中学校時代に筆記体を習って、おお、こっちのほうがカッコいいな、英語が母国語の人たちは、ブロック体よりも筆記体を普段は使っているのだろうな、と思っていたんですよ。
 ところが、英語の授業で教えにきてくれたアメリカ人の先生は、黒板にもずっとブロック体で書いていたのです。ああ、日本人には、ブロック体のほうがわかりやすいだろうということで、そうしてくれているのだな、と当時は考えていました。
 その後の僕の人生で、「筆記体をふだん使っている英語を母国語にしている人」に、会ったことがないのです。もちろん、僕の交友関係なんて狭い範囲ではあるのですが、けっこう長い間アメリカやカナダを旅行しているときも、みんなブロック体を使っていたのです。
 ここにも書かれているように、「筆記」する機会が減っているなかで、ブロック体と筆記体の両方が存在する意義は乏しいでしょうし、筆記体が通じない人もいる、ということになれば、ブロック体に統一されていくのが自然な流れだと思われます。あんなに一生懸命練習したのになあ、なんて言いたくはなるのですけど。


 小学生、中学生の子供がいる人はもちろん、ふだん、今の学校教育に接する機会がない人も、一度目を通しておいたほうが良い本ではないかと思います。
 昔得た自分の知識というのは、必ずしも今の常識とは同じではない、ということを再認識するためにも。


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