琥珀色の戯言

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【読書感想】第158回芥川賞選評(抄録)


Kindle版もあります。


今月号の「文藝春秋」には、受賞作となった、石井遊佳さんの『百年泥』と若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』の全文と芥川賞の選評が掲載されています。
恒例の選評の抄録です(各選考委員の敬称は略させていただきます)。

小川洋子
 泥の中からかき出された人魚のミイラが、母親の記憶を引き寄せる。一緒に作ったよもぎ団子を思い出しているうち、いつしか現われた口をきかない同級生の輪郭が、一瞬にして母と重なり合う。『百年泥』のこの場面が、いつまでも心に残って離れない。チェンナイの騒々しさの中、堤防に残された母の足あとが、百年分の泥に埋もれても消えない、”私”にとっての定点となっている。翼をつけて出勤する役員も、ソーセージのような蛭も、デーヴァラージの法螺話も、すべてを飲み込むのは泥ではなく、母の無言なのだ、と気づいた時、圧倒される思いにとらわれた。
 一回目の投票でほんのわずか過半数に届かなかったにもかかわらず、二回めで受賞に滑り込んだしぶとさが、これから書き続けてゆくうえで、石井さんの強みになるはずだ。

吉田修一
「愛が挟み撃ち」前田司郎氏
 いわゆるスリーサムものの青春小説で、新鮮味はない分、安定した甘酸っぱさがあって好感を持ったのだが、選考会での評価は相当厳しかった。
 性愛で語られる男と女と、生殖で語られる男と女をうまく対比させて描こうとした意欲作とも読めるし、なにより、主人公の男がまず女性器となって精子を受け、そのまま男性器に変わってその体ごと女性器に突っ込んでいくというラストシーンが、ほんとにバカだなーと呆れはるすものの、そのバカバカしさが妙に切実で面白かった。ただ、この辺りが演劇的なサービス精神と読まれたのかもしれず、もったいない。

山田詠美
『愛が挟み撃ち』。男(ゲイ)→男(ヘテロ)→女(ヘテロ)……と来て、また始めに戻る愛の一方通行トライアングル。あんまり嫌な人間ばかり登場するので、かえって私の与り知らぬリアリティがあるのかと思いつつ興味深く読んで行ったのだが、最後に思わず叫んでしまいましたよ。真面目にやれーっ! この作者にとっては不妊治療も愉快犯的ネタのひとつなんでしょうね。でも、それは、ユーモアが世界を救うということとは全然違う。そもそも、こんなトリッキーなやり方しなくても三人で子供を作る方法ありますよ。教えてやろうか?

宮本輝
 方言というものは、好むと好まざるとに関わらず、その人の生命の地層に何物かを刻んでいて、それは感受性や処世術や習性にどうかしたはずみで強い影響を与える。そのことも作者はしっかりと書いた。
 若竹さんはまだ六十三歳だ。花開いた天分をさらに磨いて、もっともっといい小説を書きつづけてもらいたいと願っている。

高樹のぶ子
 (『おらおらでひとりいぐも』について)
 複数の言語を持つことは、言語の数だけ感性や認識を持つことでもある。一人の人間の複雑さや奥行きを表現するとき、身についた土着の方言にこだわらず、自分流に加工した「マイ方言」が在っても良い気がする。
 標準語と違い方言は自由なのだから、創作者の数だけ方言があっても、お上に咎められることはないし、それはまた、標準語教育により中央に集中させられた意識を周縁に広げるだけでなく、その周縁に立つ自分こそ、世界の中心であると宣言する拠り所にもなるだろう。すでにネット社会の浸透で、発信場所=世界の中心、という現象は起きているのだから。

奥泉光
(『おらおらでひとりいぐも』について)
 本作はひとりの老女の内面の出来事を追うことに多くの頁が割かれて、彼女の記憶や思考を巡る思想のドラマが一篇の中核をなすのであるが、こうした「思弁」でもって小説を構成して強度を保のは一般に難しい。これは作者の言葉に対する感覚の鋭さと、時間をかけた錬成のゆえであり、東北弁を導入することで新しい日本語の地平を切開こうとする大胆な狙いが成功しているからだ。本作はなにより言葉に活気がある。読み進む喜びを与えてくれる文の魅力がある。溌剌とした意欲と野心に溢れた「若さ」を持つ新人の登場を祝福したい。

島田雅彦
『百年泥』のディテールはインド社会の多様性を反映し、ワンダーランドの様相を呈しており、地域研究の成果として出色のものである。日本文学はインドを受容し損ねて来たその歴史といってもいい。和製ヒッピーが自我を見つめ直す時代は遠い昔で、それに較べれば、本作はチェンナイの日本語教師の目を通じ、インド人の結婚観、家族関係、職業意識などをあぶり出し、そこにいない読者の常識を揺さぶってくれる。海外体験のバリエーションが増えた時代、ルポルタージュのジャンルはかなり豊かになって来たが、小説との境界線を何処に引くべきかといったことを考えさせられた。

堀江敏幸
 おなじく簡潔な文体で「ずれ」を破綻なく導くという矛盾を形にしたのが、宮内悠介さんの「ディレイ・エフェクト」である。敗戦前夜の東京大空襲をホログラムのように浮かびあがらせ、きなくさい現在の日本の日常にそれを重ね合わせる諷刺と端正な筆致にすっと引き込まれる。一方で、これは短篇ではなく長編のひな形ではないかとの印象を拭い去ることができなかった。とくに夫婦の不和の遠因と曾祖父の戦時の研究を結ぶ穴を掘るには、もっと尺が必要だろう。

川上弘美
 普遍的、という言葉の意味を広辞苑で調べると、「ある範囲におけるすべてのものにあてはまるさま」とあります。芥川賞の候補を読んでいて、「この作者は、すべてにあてはまるさまを表現しようとしているな」と感じることは、めったにありません。その逆、「孤である存在にあてはまる非常に独特なさま」を描こうとしている作者がほとんどであるような気がします。ところが、そんなにも、いわば「何にも誰にも当てはまらなさそうなこと」を描いているにもかかわらず、いったいどうしてなのだろう、その小説の中に「普遍」というものがあらわれてしまうことがあって、そんな作品が出現した時には、たいがい芥川賞を受賞するような気がします。と、なんだか受賞の種あかしのようなことを書きましたが、言うは易く行うは難し、という先人の言葉はまことに正しい。


 今回は「選評王」村上龍さんの選評がなくて、ちょっと寂しかったです。
 ちなみに、村上龍さんは、選考委員会に欠席されたみたいなので(理由は不明ですが)、今回は選考に加わらなかったということで選評なし、なんでしょうね。
 龍さんの『愛が挟み撃ち』『おらおらでひとりいぐも』の選評を読んでみたかったなあ。
 「方言」や「外国語」といった「ことば」に対して、鋭い視点を持っている龍さんは、『おらおらでひとりいぐも』をどう読んだのだろうか。
 受賞作が2作あって、とくに『おらおらでひとりいぐも』は評価が高かったようで、この作品について否定的なことを書いていた選考委員はいませんでした。
 そこで、冷水をぶっかけるような人がいるのも選評の醍醐味、というところではあるのですけどね。
 今回は『愛が挟み撃ち』が、ネタ枠扱いの作品としての役割を一身に集めてしまった感があります。この作品への山田詠美さんの選評など、酷評、ではあるのですが、ここまでくると、「自分の守備範囲にボールが飛んできた!」とばかりに嬉々として罵倒しているようにすら思えてきます。
 本当は、けっこう好きなんじゃないかな。


 あと、印象的だったのが、小川洋子さんが、『百年泥』について、「一回目の投票でほんのわずか過半数に届かなかったにもかかわらず、二回めで受賞に滑り込んだしぶとさが、これから書き続けてゆくうえで、石井さんの強みになるはずだ」と書いておられたことでした。
 今の日本で純文学系の作家として生きていくには、「芥川賞」の看板があるのとないのとでは大違いなわけで、たまに「圧倒的な受賞作」もあるものの、ボーダーライン上の作品で、受賞できるかできないか、たぶん点数にすればほんの少しの差、というのが、作家人生において、分水嶺になるのですよね。
 僕はずっと芥川賞の選評を読んできて思うのですが、10年に一度くらい出てくる、よほど抜けた能力がある人でないかぎり、最初のチャンスを逃すと、なかなか受賞するのは難しくなるようです。
 「もう一作みてみたい」という先送りの罠にハマってしまうと、ファーストインパクトを超える作品を提示するのは、難しくなります。芥川賞のように「洗練されていること」よりも、「新鮮さ」が求められやすい場所ならばなおさら。『M-1グランプリ』のように、どんなに面白いネタでも、あの舞台に上がる前にみんなが見慣れてしまっていれば、どうしても評価は上がりにくい。
 『M-1』ではないですが、にゃんこスターのあのネタだって、多くの視聴者が、あの場で初めて見たから、インパクトが大きかったわけです。
 大学受験と同じで、トップだろうが、補欠だろうが、「芥川賞作家」には変わりないわけで、石井さんはたしかに強運の人なのでしょうね。
 受賞したことによって、発表の場も多く与えられるようになり、ブラッシュアップされていくのでしょうし(もちろん、芥川賞作家のプレッシャー、というのもあるはずですが)。
 強力な対抗馬がいたため、受賞に至らず、結局、その後も手が届かなかった候補者だっているし、前回「受賞作なし」だったから、ということで、(無意識に)受賞のハードルが少し下がることだってある。

 
 個人的には、今回の受賞作は、2作とも、「筒井康隆チルドレン」っぽいなあ、と思いながら読みました。
 もちろん、世代的には筒井さん、あるいはマジックリアリズムなどの世界文学の影響を受けていない作家のほうが少数派ではあるのでしょうけど。


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