琥珀色の戯言

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【読書感想】間違う力 ☆☆☆

間違う力 (角川新書)

間違う力 (角川新書)


Kindle版もあります。

間違う力 (角川新書)

間違う力 (角川新書)

内容(「BOOK」データベースより)
人生は脇道にそれてこそ。ソマリランドに一番詳しい日本人になり、アジア納豆の研究でも第一人者となるなど、間違い転じて福となしてきたノンフィクション作家が、間違う人生の面白さを楽しく伝える!!破天荒な生き方から得られた人生訓10箇条!


 ちなみにこの本、「メディアファクトリーから2010年に出た単行本を、新書版として加筆修正したもの」だそうなので、ご注意ください。
 最近、いかにも新刊っぽいけど、既刊を新書化したもの、というのがけっこう多いのですよね。
 高野秀行さんに関しては、2010年と現在(2018年)とでは、本人のスタンスは同じでも、『ソマリランド』以降、よりメジャーになった感じもします。


fujipon.hatenadiary.com

 悩みに悩んだあげく、また人に頼ることにした。依頼してきた編集者のN氏だ。
「『間違う力』、いいじゃないですか!」と彼は興奮して言った。私がパラドックスの説明をすると、彼はあっさり「そんなの大丈夫ですよ」。
「過去の体験を振り返り、自分の行動パターンを分析してみたらどうですか。高野さんのやり方には、何がしかのはっきりしたパターンや傾向がありますよね。過去のことなら、今の自分から見て『これは間違っているよ』とわかる部分もあるでしょう。もし今の自分も間違い続けていてわからない場合でも、読者の方には『あ、ここ、おかしい!』とわかりますよ」
 ふーむ……。もう、こうなると、間違っている私には判断もつかないだけに、N氏の指示にしたがうしかない。これまでに自分がやってきたことを思い出し、ざっと十のパターンに分類してみた。


(1)他人のやらないことは無意味でもやる
(2)長期スパンで物事を考えない
(3)合理的に奇跡を狙う
(4)他人の非常識な言い分を聞く
(5)身近にあるものを無理やりでも利用する
(6)怪しい人にはついていく
(7)過ぎたるは及ばざるよりずっといい
(8)ラクをするためには努力を惜しまない
(9)奇襲に頼る
(10)一流より二流をめざす


 いったいこんなことを考えて何の役に立つのだろう。とても若い人の参考になる話が出てくると思えないが、書く前からちょっとワクワクしているのも事実だ。そして、経験上――あくまで経験上で理屈ではない――スタートの時点でワクワクしていたら、面白いものができる確率が高い。
 いったい最後はどこにたどりつくのか。私にもさっぱりわからない。


 僕は高野さんの本が大好きでずっと読んできたのですが、正直、高野さんの行動力や言語習得能力、バイタリティなどを一般人が「参考にする」のはちょっと無理なんじゃないか、と思うのです。 とはいえ、この新書は、「高野秀行という人が、どんなことを考えて、いままで冒険を続けてきたのか」がわかるという点で、ファンにとっては興味深い内容であることは間違いありません。


 ちなみにこの本、2010年の単行本の際には、「ほとんど何の反響もなく、売れ行きはさっぱり」だったそうです。
 高野さんの著書は書店でチェックしているはずの僕も未読だったものなあ。


 高野さんは、第3章の「合理的に奇跡を狙う」のなかで、こんな話をされています。

(未知動物の探索について)


 ウモッカ以外では、私はすべて首尾よく現地にたどりつくことができ、そこでも合理的な方法で探索を行っている。
 いちばん大事なのは一次情報を得ることだ。「あの人が見たってさ」という話を百個集めてもしかたがない。「あの人」を探し出し、直接話を聴くのである。季節、時間帯、一緒に目撃した人の有無などを訊き、矛盾がないかどうか確かめる。
 すると、「大きな背中に長い首が水面の上に見えた」などという目撃談が得られるが、それを絵に描いてもらうと四本足と長い尻尾までついていたりする。「どうして見ていない足と尻尾まで知ってんですか?」と確かめねばならず、なかなか大変である。
 私は未知動物に「存在してほしい」と願っているわけではないから、合理性にしたがってひたすら真相を追究していく。結果として、文化背景が深くかかわっていることもよくある。
 たとえば、コンゴのムベンベの場合、現地調査を三回行った。ムベンベがいるといわれる湖と河及びその周辺をすべて調べて回ったが、興味深いことに気づいた。ムベンベが目撃された地域はすべてボミタバという民族のエリアだった。逆に言えば、ボミタバ以外のエリアでは目撃例がないのである。ボミタバの最後の村からたった2キロしか離れていない他民族の村で訊くと、「知らない」もしくは「ボミタバのほうにしか出ない」と言われる。周辺にはほかにもいろいろな民族が住んでいて環境も似通っているのに、ムベンベはボミタバの人たちにしか目撃されないというのはどういうことか。
 ムベンベは実在する動物というより文化的な存在と考えたほうが妥当のように思える。もちろん、だからムベンベが実在しないとは言えない。不在は証明のしようがないからだ。確率的に「これはもう無理だ」と判断して、次の奇跡に移るだけである。


 「未知動物」という「胡散臭い」存在を対象にしつつも、その探索の手法は、極めて科学的で、ロマンチシズムを排除しているのです。
 世界の秘境にまで旅して、いろんなきつい目にあいながらも、「私は未知動物に『存在してほしい』と願っているわけではない」と言い切ってしまうのって、すごいよなあ。
 高野さんは、未知動物の探索についての科学的手法を追究していくうちに、有名な殺人事件の調査まで行うようになってしまった、と仰っています。


 「一流より二流をめざす」という項には、こんなことが書かれてす。

 約十年ほど前、英語学習雑誌の編集者にこんな話を聞いた。
「うちの読者はみなさん、すごくまじめなんです。アメリカやイギリスを旅行したい、留学したいと思って一生懸命、英語を勉強するんですが、どれだけやっても『まだ英語力が足りない』と思ってしまい、いつまでたっても現地に行けない。そういう人がすごく多いんです」
 もはや何のために英語を勉強しているのかわからず、本末転倒も甚だしいが、これを笑う気にはなれない。
 私、たまたま大学で探検部に入ったために変な方向にそれてしまったが、もともとの気質からいえば、こちらのタイプだからだ。
 このタイプは、理想やプライドが高い。何かうあるからには極めなければいけないと思っている。二流を認めず一流をめざす癖がある。そして、その理想の高さゆえに、なかなか第一歩が踏み出せない。
 こういう人は頭の中でいろいろシミュレーションをするのが好きだ。シミュレーションをしすぎて、悪い想像力も働くので「強盗にあったときリスニングが悪いと命にかかわるかも」なんて思って、また英語の勉強に励むということになる。
 アメリカ行きが恋愛や仕事に変わっても同じだ。「もっと自分を磨いてから相手にアプローチしよう」とか「もっとちゃんと準備してから店を出そう」などと考える。このタイプには研究熱心な人が多いから、知識は増える。批評眼も肥える。やがて、いろいろと一家言をもつようになり、プライドはますます高まる。同じ一流でも、実行しないかぎり「一流の素材」にとどまってしまうのだが、それがまた「未完の大器」みたいな錯覚がして気持ちよかったりもする。
 私も、物書き以外に、日々、いろいろろ画期的なニュービジネスを発案している。出版界がいつダメになっても企業家として転身できるはずだが、そのアイデアを妻にしゃべりだすと、「その話、長い?」と遮られるのが常だ。
 いくらオリジナリティの高いこと――つまりオンリーワン的なこと――を考えついても、私がビジネスなどやるわけがないと妻は知っているのである。
 ほかの章の繰り返しになるが、どの世界もやったもの勝ちである。いくら猛練習を積んでも絶対に試合に出ない野球選手に価値はない。
 一流の素材より、二流のプロのほうがずっとマシである。


 いまの世の中は、ネットの浸透などもあって、全体のなかでの自分のレベルというのが、けっこうわかりやすくなりましたよね。
 自分のアイデアや創作物を発表しやすくなった一方で、「そんなつまらないものや拙い技術で、うまくいくはずもない」という容赦ない評価が直接耳に入ってきやすい時代でもあります。
 でも、結局のところ、「準備万端整えてからやろう」とか「誰にも文句をつけられないレベルになってから発表しよう」と思っていると、たぶん、実行する前にほとんどの人が諦めるか死んでしまうはずです。
 実行してみたり、他の人に評価してもらったりすることによって得られるものは、ひとりで試行錯誤するよりも大きい。
 もちろん、受けるダメージも大きくなりがちだし、リスクも高いのですが、全く何も問題なく、スムースに成功することなんて、そんなにありません。
 そもそも、高野さんは「失敗にみえることも無理やりにでも作品にして、成功にしてしまっている」人なんですよね。


 「それ、素人がマネしたら、危ないんじゃない?」という項目もあるのですが、それも含めて、高野さんのファンは面白がれる新書だと思います。
 真面目な「成功するためのビジネス本」ばかり読んでいても、気が滅入ってきますしね。


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