琥珀色の戯言

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【読書感想】闇に魅入られた科学者たち―人体実験は何を生んだのか ☆☆☆☆


闇に魅入られた科学者たち―人体実験は何を生んだのか

闇に魅入られた科学者たち―人体実験は何を生んだのか

内容紹介
カルト的人気を誇る、NHKフランケンシュタインの誘惑」待望の出版化!


科学者の好奇心は、それが優秀な頭脳と結びつけばつくほど、制御不能なものとなって人々の眼前におぞましい姿を現す。ある者は湧き出る探究心の赴くままに、ある者は名誉欲に憑かれ、別のある者は国家権力とともに、暴走する。倫理にもとる戦慄の人体実験の歴史を紐解き、科学の闇に迫った驚愕のノンフィクション!


■もくじ
第1章 切り裂きハンター 死のコレクション
外科医・解剖学者 ジョン・ハンター
第2章 “いのち"の優劣 ナチス 知られざる科学者
人類遺伝学者 オトマール・フォン・フェアシュアー
第3章 脳を切る 悪魔の手術ロボトミー
精神科医 ウォルター・フリーマン
第4章 汚れた金メダル 国家ドーピング計画
医師 マンフレッド・ヒョップナー
第5章 人が悪魔に変わる時 史上最悪の心理学実験
社会心理学者 フィリップ・ジンバルドー


 NHK BSプレミアムで放送されているドキュメンタリー番組『フランケンシュタインの誘惑』を書籍化したものです。


www4.nhk.or.jp



 この番組、2018年3月で最終回を迎えたのですが、「科学を悪用してしまった科学者たち」あるいは、「自らの科学者としての信念に従ったがために、多くの人の命を危険にさらしたり、大きな災厄をもたらした科学者たち」を当時の時代背景や彼らの行状とともに紹介していくものです。
 「科学的であること」=「正しい」とみなされがちな時代ではあるのだけれど、科学そのものは、正義でも悪でもないんですよね。
 それを使う人間が、どう利用するか、というだけのことで。


 この本では「人体実験を行った科学者たち」のエピソードが集められているのですが、ナチスの「優生学」の理論を組み立てたり、精神の病への治療として、ロボトミーを開発したり、東ドイツの金メダルのために、さまざまなドーピングのシステムをつくりあげたりといった科学者たちは、彼らなりの「正義」に基づいて行動しているのです。
 ロボットアニメに出てくるような「人類を滅ぼし、地球を支配しようとするマッドサイエンティスト」ならわかりやすいのだけれど、そんな科学者は登場してきません。
 彼らは自らの考えに基づく「社会正義」や「大多数の人の幸福」のために、現代からみると「おそるべき研究」に身を捧げたのです。
 そして、彼らの研究は、ずっとバッシングされていたわけではなくて、その時代には、大いに賞賛されてもいます。

 
 最初に採りあげられている、外科医・解剖学者、ジョン・ハンターは、優秀な外科医として多くの患者を治療する一方で、研究のための遺体を手に入れるために、墓泥棒と闇取引きをしたり、強引な方法で「献体」を求めたりしていたのです。

 ハンターは好みの遺体を見つけようと手を尽くした。手記で、自ら墓を掘り起こしたことも告白している。
「筋肉標本を作るため、体格の良い男性遺体を墓地で手に入れた」
 貴重な遺体は、絵描きを呼んで事細かに描かせた。なかでも気に入ったのが妊婦だ。妊娠三か月から臨月まで、胎児と母親の身体が、どう変化していくのか。ハンターは解剖を繰り返しては、その姿を詳しく記録した。
 さらに、遺体を観察して記録するだけでは飽き足らず、触って感触を確かめるばかりか、取り出したものを口に含むことさえあった。たとえば胃液についてハンターは、「透明に近い液体で、味は塩気がある」と別の手記に書き残している。
 ハンターや彼の教えを受けた解剖教室の生徒たちは、文字通り遺体を味わい尽くした。いまだ近代的な衛生観念も詳細な化学分析法も発達していない時代に、人体の秘密に分け入るために己の五感を最大限に使ったのだった。
「ハンターはまさに取り憑かれていたのだと思います。病気にかかったら身体の中はどう変化するのか。老いはどのように影響するのか。女性や子供に赤ん坊、それに妊婦……。人間の身体がどうなっているのか、是が非でも知りたかったのでしょう」(ウェンディ・ムーア)


 ジョン・ハンターは18世紀の半ばから後半にかけて活動した人物です。
 ハンターの人体や病気への好奇心は、当時の医学を大きく進歩させました。
 ロンドンの人々が、ハンターのさまざまな問題行動に対して、結果的に黙認する形になったのも、ハンターが積極的に人の命を奪っているわけではなく、彼の研究と技術は社会全体にとってメリットのほうが大きいと考えていたからなのだと思います。


 倫理的な問題や実務的な困難を度外視すれば、「人体実験」というのは、人間にとって、もっとも信頼性の高い動物実験なんですよね。
 そして、「100人の人体実験をすれば、100万人が助かるかもしれない」という恐るべき誘惑に、科学者はつきまとわれている。
 平和な時代には、そんなことは許されない、とみんなは考えるはずだけれど、戦争中ならば「敵国の人々になら良いだろう」と考え始める人もいる。
 

 ジョン・ハンターには、「科学の進歩のためには、実験が不可欠である」という科学者としての信念があって、それは、科学者としては、とても真摯なものです。

 (エドワード・)ジェンナーはその頃、ある病気の治療法を研究していた。天然痘である。原因不明の死の病として、当時最も恐れられていた疫病だった。治療法もなく、イギリスでは総人口の二割もの命が失われたという。
 ジェンナーの地元には、「牛痘に感染した乳搾りの女は天然痘にかからない」という言い伝えがあった。牛から人に感染する牛痘は、症状こそ天然痘に似ているが、軽い病であった。この牛痘に一度かかれば、天然痘には一生かからないというのだ。
 乳搾りの女たちに聞き取り調査などを行った結果、ジェンナーは言い伝えが正しいことを確信した。しかし、それを治療法として生かすために、どうすればいいのか、行き詰まっていた。ジェンナーはハンターに相談を持ちかけた。ハンターはジェンナーに、こんな言葉を贈った。


 Why think, why not try? (なぜ考える、なぜ実験しない?)


 ハンターの言葉に背中を押され、ジェンナーは実験を決意する。


 ジョン・ハンターが亡くなると、弟子たちによって解剖され、死因は冠動脈の疾患だったことがわかりました。
 自らの遺体を解剖することを、ハンター自身が強く望んでいたそうです。


 ドイツの人類遺伝学者、オトマール・フォン・フェアシュナーの回より。

 ヨーゼフ・メンゲレの師としてアウシュビッツにおける収容者虐殺に関与しながら罰せられることはなく、戦後も大学教授として要職を歴任し、死ぬまでドイツ医学界のトップに君臨し続けた人物である。
 彼は第二次世界大戦以前から、遺伝学的な改良によって人類の肉体的・精神的な進歩を促そうとする「優生学」の推進者であった。「断種法」(遺伝性の病気の患者や障害者などを、国家に経済的な負担をかける劣等者と見なして強制的に不妊手術を施すための法律)の制定や、ホロコーストへとつながるナチスの人種差別的な政策を、科学者の立場から後押しした。
 戦後のフェアシュアーは、多くの学生や研究者から穏やかな人柄の教授として慕われていたという。もし時代の支配的な潮流にのみ込まれることがなければ、彼をはじめ十分に理性的だったはずの科学者たちの多くは、あのような罪科を引き起こすことはなかったのかもしれない。だが、ゆがんだ社会思想や国家体制と結びついたとき、科学は、担い手たち個々人の人間性や倫理観の如何を問わず、狂気と野蛮に覆われた大量虐殺の道具となることを証明してしまった。

 1000件以上残されている裁判記録のなかに、フェアシュアーが直接関わったケースも見つかっている。精神医学史の研究家であるモニカ・ダウムは、その”審理”がどのようなものであったかを調査している。
「たとえば、養護学校を出たばかりの15歳の少年。フェアシュアーは彼を通常よりも思考スピードが遅いと診断し、『少年は明確に能力が欠けている』と記しています。彼いんは『精神遅滞』が確認されたのです。先天性の知的障害でした。診断の結果、優生裁判所に断種が申請されました。あるいは、結婚の申請に来て裁判所へ送られた30歳の女性のケース。彼女は『ドイツの首都はどこか? フランスの首都は?』という質問に答えられず、さらに字を読むこともできないとフェアシュアーは書いています。彼女は妊娠6か月で、お腹の子の父親と結婚するつもりでしたが、フェアシュアーは彼女を知的障害と診断し、早急に中絶して断種を行うべきだと記しています」
 歴史家のハンス=ヴァルター・シュムールは解説する。
「病気や障害のない社会を作ることができるならば、断種は素晴らしいことだとフェアシュアーは考えていました。つまり、自分たちが行ったことは人道的だと信じていたのです」
 1945年までにおよそ40万人が強制的に断種された。犠牲者は、当時のドイツ国民の200人に1人にのぼった。


 人類遺伝学者の松原洋一さんは、「断種法はアメリカのインディアナ州で先行していたように、当時の世界的な潮流で、必ずしも『非倫理的』とは見なされていなかった」とも仰っています。だから、フェアシュアーやナチスの「特殊な事例」だと考えるべきではないのだ、とも。
 日本でも戦前から戦後にかけて、「国民優生法」「優生保護法」にもとづいて、断種手術が行われてきたのです。


 この項では、出生前診断や遺伝病に対する遺伝子治療は、どこまで許されるのか?という問題提起もなされています。
 それも、生命や人間の多様性に対する「選別」ではないのか?


 科学は、人を幸せにするために利用されるべきだと、僕も思います。
 でも、フェアシュアーだって「プロセスはさておき、病気や障害のない社会をつくれば、人は幸せになる」と考えていたのだろうし、ウォルター・フリーマンも「精神疾患に苦しむ患者と周囲の人を救う」ためにロボトミー手術をはじめたのです。
 幸せの定義そのものが、人それぞれ、ではあるし、置かれている立場によって、「正しさ」は揺らいでしまう。
 間違った方向に進んでいったとき、すぐに中止、修正できればよかったのだろうけど、自らの大きな成功体験を捨てるのは、本当に難しいのだということも、あらためて思い知らされるのです。


fujipon.hatenadiary.com

人間はどこまで耐えられるのか (河出文庫)

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