琥珀色の戯言

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【読書感想】よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話 ☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
さやちゃんが幼いころ、母が新興宗教へ入信。信者たちが目指すのは、神の教えの通りに規律正しく行動し、崩壊後の世界で復活し、楽園で永遠に暮らすこと。さやちゃんは二世信者として母親や周りの信者から厳しく監視され、学校でも浮いた存在に。交際禁止、漫画禁止、国歌禁止、輸血禁止etc...禁止だらけの生活で感じたことを、ありのままにつづる、衝撃の告白漫画。


 誕生日もクリスマスも祝えない子どもがいる。
 これ、『エホバの証人』の信者のお母さんと、その娘の話だと思われます。
 宗教団体名は、直接書かれてはいないのですが、鞭で子どもをしつけたり、「災害や事件もいっぱい起きてるし、いよいよ終わりの日、近づいてるよねー」という信者のお母さんたちの会話から類推すると。
 このシーンでは、お母さんたちの細かい表情までは描きこまれていないのですが「終わりの日」が来ることを世間話のように、にこやかに話している様子は、なんだかとても不思議な感じがしました。
 彼らにとっては、それが「当たり前のこと」になっているのだよなあ。
 
 
 主人公と「聖書研究」をしていた年長の女性信者は、主人公に言うのです。
 自分も、あなたと同じくらいの年齢のときに、もう辞めたいと思ったことがあった、と。

 でも、辞めたら、今まで我慢してきたこと 全部無駄になっちゃうんだよ
 そう思ったから 終わりの日まで がんばろうって思えたよ

 
 一度信者になって、すべてを捧げてしまったら、途中下車するのは難しい。
 人生の「損切り」(含み損が生じている投資商品を見切り売りして損失額を確定すること)は、とても大切なことなのだけれど、それを思い切ってやれる人は、そんなに多くはないのです。
 それまで捧げてきたものや時間が大きいほど、それが無駄だったと認めづらくなる。
 いままでの信者の人たちは、亡くなる前、「終わりの日」が来なかったことに落胆しなかったのだろうか……


 この本には、お母さんが入信した経緯は書かれていませんし、信者ではないお父さんは、妻の信仰に対して無関心なようです。
 それでいいのか、そういう夫婦関係が、宗教にのめりこむきっかけではないのか、と邪推してしまうのだけれど、実際のところ、夫婦であろうが、親子であろうが、新興宗教にハマる人を、そう簡単に軌道修正することはできません。


 著者は結局、信仰の世界から距離を置くことになるのですが、集会に行かなくなったら「普通」になれるかというと、そんなに簡単なものではない、ことがわかります。
 子どもの頃に植え付けられた「価値観」や「判断基準」は、そう簡単には変わらない。
 みんなと同じことをやっているつもりでも、罪悪感にさいなまれ、精神が不安定になっていったそうです。
 半ば自暴自棄になって、自傷的な行為にはしってしまうこともあり。
 

 ただ、これを読んでいると、「では、僕などが拠って立っている『普通』であること」は、この人にお説教できるほど正しいのだろうか?」とも思うんですよ。
 価値観の正しさなんて、多数派かどうか、だけなのかもしれないし。
 それでも、自分の子どもを鞭で叩いて、お行儀よくさせようというのは、やっぱり信じられないし、そんなことは絶対にしたくないけれど。
 

 最後に「この物語はフィクションです。実在の人物・団体・出来事などとは、一切関係ありません」って書いてあるのは、「えっ?」と思いました。書かれている宗教団体が、輸血拒否などで知られているあの団体だということは、みんなすぐわかるはず。
 主人公の女の子の痛みに感情移入していたのに(作者と名前も同じだし)、「フィクションです」って言われたら、それがたぶんいろんな面倒事を避けるための方便なのだとしても、「しらける」のは間違いありません。
 こういうのって、どうにかならないものなのだろうか……


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カルト村で生まれました。 (文春e-book)

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