琥珀色の戯言

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【読書感想】世代の痛み 団塊ジュニアから団塊への質問状 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
高度経済成長とともに年を重ねた「団塊世代」。就職氷河期のため安定した雇用に恵まれなかった「団塊ジュニア」。二つの世代間の親子関係に今、想定外の未婚・長寿・介護などの家族リスクが襲いかかっている。両世代を代表する論客の二人が、私たちを取り巻く社会・経済的な現実と、その対策について論じ合った。この時代を心豊かに生き抜くためのヒントが満載!


 1948年生まれ、「団塊世代」の上野千鶴子さんと、1975年生まれ、「団塊ジュニア世代」の雨宮処凛さんの対談本です。
 僕は雨宮さんより少し早く生まれているのですが、「団塊ジュニア世代」として、「ああ、こういうのってあるなあ」と共感するところが多々ありました。
 おふたりが「女性として」フェミニズムについて語られているところに関しては、男性として、自分の理解不足を思い知らされもしたのですけど。

雨宮処凛わたしが右翼に入ったのは1997年で、2年間、右翼団体に所属していました。年齢でいうと、22歳から24歳までです。


上野千鶴子すでに20代だったということは、そう若い時というわけではないんですね。


雨宮:はい。わたしが中学、高校の頃はバブルの時代です。学校も親も、「頑張れば報われる」という戦後の神話を信じていて、それを押しつけてくる。そういうなかで団塊ジュニアは数も多いし、受験戦争もきつくて、その副産物として、ものすごく陰湿ないじめが学校中にはびこっていました。わたしもいじめにあいましたが、「いい高校、いい大学、いい会社というレース」から落ちたらもう生きていけないくらいの追い詰められ方だったので、中学時代は一日も休まず学校に行きました。そのおかげで、高校は進学校に行けたんです。


上野:データからいうと、96年に女子の短大進学率と4年制大学進学率が逆転します。そういう時に、学歴というコースから絶対に外れてはならないという気持ちを、親と学校から植えつけられたんですね。そして93年頃から就職氷河期と言われるようになります。


雨宮:そうですね。わたしは90年に高校に入ったんですが、リストカットとか、家出、ヴィジュアル系バンドの追っかけとか――中学時代の抑圧が爆発、みたいなことになった。それで93年に高校を出て、美大の予備校に行くために、北海道から上京したんです。その後2浪して、進学を諦めて就職しようと思ったら、時代は就職氷河期になっていた。そこでとりあえず、94年にアルバイトを始めたのですが、そのとたん、肩書きが「フリーター」になった。19歳の時です。


 お二人の話を読んでいると、僕と両親の考えの「ズレ」の記憶がよみがえってくるのです。
 太平洋戦争で焼け野原になった日本が驚異的な復興と成長をみせ、「頑張れば報われる、未来は今よりもきっとよくなる」という世界を生きてきた「団塊の世代」の価値観を刷り込まれたにもかかわらず、バブル崩壊後の長期の不況と停滞で、「頑張ってもなかなか報われない」という現実を突きつけられたのが、「団塊ジュニア世代」だったのです。
 うまくいかないのは、あなたの努力が足りないからだ、と親や社会から責められて、「団塊ジュニア」は苦悩してきたんですよね。


 当時「右翼を選んだ理由」として、雨宮さんはこう仰っています。

雨宮:「革命家になるしかない」と言った見沢(知廉)さんには、まず左翼の集会に連れていってもらいました。そうしたら専門用語ばかりで、話が難しくって何を行っているのかさっぱりわからない(笑)。頭いいんだなーみたいな。


上野:頭がいいわけじゃないんですよ。秘教的な左翼用語を使って韜晦(とうかい)するという一種の生活習慣です。おまえも勉強してこの言語圏に入ってこいという、それだけの話なのよ。


雨宮:そういう排他性も感じて、クローズドな印象を受けました。わたしは高卒だから、とてもついていけないと思って。次に右翼の集会に連れていってもらったら、むちゃくちゃ話がわかりやすかった(笑)。


上野:大衆性は右翼にある。その点、左翼は負けていますね。


雨宮:「おまえらが生きづらいのは、すべてアメリカと戦後民主主義のせいだ」とか言いきってくれる。なんで戦後民主主義とアメリカなのか、そもそも戦後民主主義の意味すらわからなかったけれど、初めて「おまえは悪くない」と言ってくれた大人が右翼だったんです。左翼の人の言葉は意味不明だけれど、右翼の人は、生きづらいのは当然だと言ってくれた。
 それまで、常に「自己責任」だと社会から言われ、自分が貧乏なのも生きづらいのもすべて自分のせいだと思っていたのは、初めて「あなたは悪くない」というやさしいメッセージをくれたんです、右翼が。おかげで、それまでしょっちゅうリストカットしていたのがぴったり収まった。わたしはそれを“右翼療法”と呼んでるんですけど(笑)。それで、97年に22歳で右翼団体に入りました。


 上野さんと雨宮さんの話のなかに、小林よしのりさんの『ゴーマニズム宣言』が当時の若者たちに与えた影響の強さが語られていました。
 今から考えてみると、あの時代に、みんな「わかりやすい説明」や「信じられるもの」を求めていて、『ゴーマニズム』は、見事にそのニーズに応えていたのだと思うのです。


 この本のなかで、もっとも印象に残ったのは、このやりとりでした。

上野:生きづらさは、雇用破壊など社会の問題ではなく、個人のメンタルの問題だと思われていたわけね。親の世代はもっとかんたんに就職できたから、その時の「常識」が凍結したまま変わっていない。時代が変わったことが理解できないんですね。


雨宮:そうです。フリーター問題を研究している人なんかも、やれモラトリアム型だとか、自分探し型、夢追い型という感じで、労働問題ではなく心の問題として、心理分析の対象にしていた。人件費削減のために使い捨てにできる非正規雇用がどんどん増やされていたにもかかわらず、本人も、自分がフリーターであることを心の問題だと思っていたわけです。わたしもまさにそうでした。


上野:結局、ネオリベが20年、30年というかなり長い時間をかけて子どもの世界に入り込んで、そのなかで育ったのが雨宮さんたち。その人たちが大人になって、『自己責任社会の歩き方』なんて本を書かなくてはいけなくなった。でも、「頑張れば報われる」なんて、どの面下げて団塊の世代が言えるのか、と思う。団塊世代は、頑張らなくても報われた世代なんです。自分の能力が高いからでも、人一倍努力したからでもなく、世代丸ごと親の世代より高学歴になれたし、生活水準も上昇した。経済が成長していく時代にたまたま生まれ合わせただけのことだから。


雨宮:そういう言葉に、すごく救われます。みんなに聞かせてあげたら死ななくてすんだのに、みたいな。そのくらいの言葉です。


上野:誰もそれを言ってこなかったということに関しては、団塊の世代の親の罪は本当に大きいと思います。

上野:これはデータを見れば、はっきりしています。団塊世代の親たちより団塊世代のほうがおしなべて学歴が高い。この学歴の高さは、能力とは関係ありません。単に、大学進学率が高まったというだけの話。そして、おしなべて親の世代より経済階層が高い。親世代より、良い生活をしているわけですが、これも別に親のおかげでもなければ、自分の努力のせいでもない。高度成長期だったので社会全体が上り坂で、豊かになった、ということです。
 ところがそこを勘違いしているから、自分たちの子どもに対して、「オレたちにできたんだから、おまえたちもできて当然だろう」と思っている。学歴があっても、団塊世代のように誰でも就職できるとか、そういう時代でなくなっている。その結果、親の経済水準より子どもの経済水準が下がる可能性があるのに、そのことを親はまったく理解できていない。


 本当にそうだよなあ、って。
 日本という国全体が高度成長に沸いていた時代だと、平均的な努力でも、十分、上昇気流に乗ることができた。
 人というのは、自分の経験や生きてきた時代が「普通」だと思ってしまうから、団塊の世代は、自分の子どもたちが正社員になれない、お金を稼げないのは、本人の努力が足りないから、だと責めてきたのです。
 まあ、「自分は運がよかった、生まれた時代がよかっただけだよ」とは、なかなか悟れませんよね。
 そういう観点でいえば、いまの時代を生きている人だって、石器時代に生まれるよりは「平均的には幸せ」なのかもしれない。
 少なくとも、太平洋戦争で前線に送られ、飢えや疫病や敵襲に苦しみ、遺骨さえ残らなかった日本兵たちに比べれば、団塊ジュニアだって、「はるかに恵まれている」ともいえるでしょう。


 こういう「団塊の世代は、生まれた時代がよかっただけ」であり、普通の人の生き方というのは、その時代全体の状況に左右されるものである、ということは大切な観点だと思うのです。
 所詮は経済なのか、お金なのか……と考え込んでしまうところもあるのですけど。


 自分の「常識」を疑うのは、本当に難しい。
 子どもの頃に刷り込まれた価値観というのは、なかなか変えられない。
 僕自身も、自分の子ども世代の「夢は正社員」なんていう話を聞くと、もっと野心を持てばいいのに……とか思ってしまうんですよね。自分の夢がかなったわけでもないのに。


おひとりさまvs.ひとりの哲学 (朝日新書)

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