琥珀色の戯言

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【読書感想】新聞社崩壊 ☆☆☆

新聞社崩壊 (新潮新書)

新聞社崩壊 (新潮新書)


Kindle版もあります。

新聞社崩壊(新潮新書)

新聞社崩壊(新潮新書)

内容(「BOOK」データベースより)
十年で読者が四分の一減り、売上はマイナス六千億円。新聞業界の地盤沈下が止まらない―。限界を迎えつつあるビジネスモデルを、元朝日新聞販売局の部長が徹底分析。独自データを駆使した全国四十三紙の経営評価から、生き残る新聞社と消えてゆく新聞社の姿がはっきりと見えてくる。「新聞代は高いのか」「“押し紙”というタブー」「スクープで部数は伸びない」など、記者が知らない新聞販売の窮状と未来をレポート。


 著者は、元朝日新聞販売局の部長として勤められていたそうです。
 自分の経験をもとにして、「紙の新聞業界の現状」と「状況を改善するための方策」を述べたのがこの新書なんですよね。

 まずは、2005年から2015年にかけての10年間の変化を振り返りたい。
 この調査で2005年の読者数は、国民全体の44パーセントとなっている。2005年の人口(十歳未満は除く、以下同)は1億1500万人なので、新聞を読んでいる人は、1億1500万人×44パーセント=約5000万人という計算になる。同様に2015年の調査では、新聞を読んでいる人は33パーセント、3700万人になった。
 つまり、この10年間で新聞を読む人は、実に1300万人、約25パーセントも減ったことになる。


 次に、年代別にどのくらい読まれているかを見てみよう。
 2005年の時点では、読者率は50代より上の世代は50パーセント以上だった。つまり、新聞読者が多数派を構成するかどうかの境目が50歳ということ。ただし、30代は20パーセント台、20代は10パーセント代、10代はひと桁と先細りの傾向が顕著ではあった。
 2015年には中核の読者層が60〜70代にシフトしている。読者率が過半を占めるのは60代以上で、60歳がその境界となった。しかも、すぐ下の50代が40パーセント未満にまで落ちたのは衝撃的である。若年層の新聞離れは前から言われていたが、ついに中年にも波及してきた事実を見せつけられた。


 いま40代の僕の実感としては、紙の新聞を読む人が減った、というより、入院している患者さんや、これまでずっと紙の新聞を読むという習慣を持ち続けてきて、ネットに親しみを持てない高齢者が、細々と新聞を読み続けているだけ、なんですよね。
 日経新聞を読んでいるビジネスマンとかは少なからずいるのでしょうし、他者との差別化のためにあえて読んでいる人もいそうですが、若い人で、最近紙の新聞を読むようになった、という人は、あまりいないと思います。
 ほとんどの人は、隙間時間にスマートフォンでみる、ネットニュースで満足してしまっているのです。
 実際のところ、ネットにニュースを配信しているのも新聞社や出版社が多いですし、新聞には詳細な記事が載っているとしても、わざわざ買って読む時間も興味もない、という人が多いはず。
 僕が紙の新聞を読んでいた頃も、紙の新聞を隅々まで読むことはなく(それは時間に余裕がある高齢者がやることだと思っていました)、テレビ欄とスポーツ欄と三面記事、ために読者投稿のページに目を通すくらいでした。
 

 この新書を読んでいると、著者は「新聞の価格が高いから、読者が離れている」という認識をしており、値下げすれば読者の減少を抑制できるのではないか、と考えているようです。
 でも、本当にそうなのだろうか?
 紙の新聞の一部が、自動販売機の缶ジュース1本と同じくらいの価格、というのは、僕は高くないというか、むしろ「安い」と思うんですよ。
 僕が活字好きだからなのかもしれませんが、新聞一部に詰まっている情報量とつくる手間を考えれば、暴利を貪っているとは感じません。
 しかしながら、今さら新聞を取るかと言われると、「ネットニュースくらいの情報量でとくに不満はないし、新聞はかさばるので処分するのが大変、どうせ隅々まで読む時間はないし、わざわざ取ろうとは思わない」のですよね。
 主要紙の月単位の価格が、いまの半分になっても要らないし、無料でも、いちいち人に接する煩わしさを思うと、宅配してもらうのも敷居が高い。
 アンケートでの上位の「高い」というのは、「購読したいけれどお金がかかる」だと考えておられるようなのですが、「必要性を感じない」が「値段が高い」に置き換えられているだけではないかと。


 その一方で、ネットでもニュースは最重要のコンテンツのひとつで、現状、紙の新聞は不要でも、新聞社の記者たちが取材して配信するニュースは、ものすごくニーズが高いのです。
 今の日本の社会で、「取材し、検証して、ある程度信頼できるニュースにする」ことができるのは、新聞社や出版社、放送局などの「マスメディア」がほとんどなんですよね。
 個人的には、紙の新聞は、これからは高齢者向けのものが残っていくだけで、どんどん電子化が進んだり、無料でネット配信される広告モデルが中心になったりしていくのだろうな、と思っています。
 新聞社がみんな崩壊するわけではなくて、自分たちの取材力や編集力を紙以外の媒体で活かすことにシフトできない新聞社が崩壊していくだけなんですよね。
 

 「新聞が読まれなく、売れなくなってきている」という話は周知されていることながら、実際にそのデータを見せられると、「この業界って、これから生き残っていけるのかな」とは思います。

 新聞の成長期には、営業のスキルがなくても景品を持って各家庭を訪問すれば、ある程度の契約がとれた。あるセールスチームは山谷のドヤ街で労働者を集め、ごく基本的なことだけを教えてにわかセールスに仕立て、そのまま勧誘に送り出すようなこともした。
”ひっかけ拡張”とか、”ねずみ拡張”といわれるセールス手法も横行していた。その手口を紹介しよう。
 ある家庭を訪問するとたいてい断られる。そこで、玄関先にパンフレットなどを置いて去る。すぐまた再訪問し、忘れ物をしたことを告げて家庭に入る。そのタイミングで景品を奥さんに渡す。不意を突かれた奥さんは景品を返そうとするが、セールスは受け取らない。押し問答の末、根負けした奥さんは契約カードに捺印する——。
 訪問販売の規制が厳しくなった今日、このような行為をしたら大変な騒ぎになってしまうが、当時は大目に見られた。
 昨今は新聞が隆盛だった時期に比べ、セールスの人数は激減した。全国で数千人規模だろうか。最盛期に比べると、数分の一に減った。職業がら街を歩いているとき新聞セールスに目が行くのだが、最近は見かけることが少なくなった。
 今ではセールスが家庭を訪問し、面談するだけでも高いハードルを越えなければならない。最近主流になった勧誘方法は、以前新聞を購読していた人を主なターゲットにして、その自宅にコールセンターから電話をかけ、試読紙を勧める。観客が試読に応じたら、販売店が一週間ほど配達する。一週間後にセールスが訪問し、試読の感想を聞く。そのうえで購読を勧める、というものである。
 このように営業方法に工夫を凝らさないと実績が上がらなくなっている。
 訪問セールスに逆風が吹く時代でも、なかにはコンスタントに購読契約をとってくるセールスもいる。優秀なセールスはほぼ例外なく、一日に何百軒も精力的に各家庭を訪問する。みんな歩くのが速い。インターフォン越しに断られ続けても、あきらめずに訪問を繰り返す。そういうタフさがなければ務まらない仕事である。


 著者の立場からみればそうなんだろうけど、訪問される側からすれば、新聞の勧誘は鬱陶しい、というのが率直な気持です。
 昔は玄関先のカメラで訪問者を確認することもできず、誰かやってきたら、とりあえず対応するのが普通だったことを考えると、今は僕にとっては「いい時代」になったなあ、と感慨深いものがあります。
 あらためて考えてみると、新聞は社会の木鐸だとか、報道の自由だとか高尚なことを言っている記者たちがつくったものを、末端では強引なセールスで各家庭に売りつけていたわけです。
 つくっている側が思い込んでいるほど、読者は新聞や新聞社というものを神聖視していない。
 「巨人戦のチケットつけますから、3カ月とってくださいよ」
 「うちはアンチ巨人なので、要りません」
 僕が子供の頃、実家でこんなやりとりを、何度聞いただろうか。


 この新書のなかでは、主要新聞および主な地方紙の財務状況から「次に潰れるかもしれない新聞」が数値化されていたのは、けっこう興味深いものでした。
 そうか、毎日新聞って、そんなに(財務的に)「危ない」のか……


 著者は、ひとつの新聞社のなかでも、新聞記者たちと、販売する人たちのギャップが大きいことを指摘しているのですが、同じように、紙の新聞をつくっている側と購読者の認識にも差があるように思われます。
 いままでずっと慣れ親しんできたものではあるのだろうし、見捨てられないのも理解はできるのですけど。


すべての新聞は「偏って」いる  ホンネと数字のメディア論

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