琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】読書の価値 ☆☆☆☆

読書の価値 (NHK出版新書 547)

読書の価値 (NHK出版新書 547)


Kindle版もあります。

読書の価値 (NHK出版新書)

読書の価値 (NHK出版新書)

内容紹介
何でも検索できる時代にも、本を読む意味がある――。
わからないことは何でも検索できる時代だ。娯楽だって山のように溢れている。それでも読書でしか得られないものがある――。読書が苦手でしかたのなかった少年は、どのように本と向き合い、大学教授・ベストセラー作家となったのか。並外れた発想力と知的生産術を可能にする「読書の効能」がいま明らかに! 著作累計1,600万部超を誇る作家・森博嗣が、「きれいごと」抜きに語る体験的読書論。


●僕は本を読むことが苦手だった
●速読は読書とはいえない
●「つまらない本」の読み方を教えよう
●本選びで大事にすべきたったひとつの原則
●僕は一度読んだら忘れない
●「読みやすい本」には罠がある
●教養とは「保留」できる能力のことである etc.


 自分にとって読みやすい本ばかり手にとって、数をこなすことで満足してしまいがちな僕にとっては、思うところの多い一冊でした。
 僕は1冊を5分で読むとか、そういうレベルの速読家ではないのですが(新書の読みやすいものなら、1時間に100~150ページくらいのペースです)、一時期、ちゃんと精読しようと、一字一字、誤字・脱字を確認するくらいのつもりで、時間をかけて読んでみようとしたのです。
 でも、そうやってみても、まどろっこしくて、かえって他のことを考え始めてしまう。
 そして、時間をかけて読んだからといって、内容をしっかり把握しているかというと、必ずしもそうではない。
 自分には「じっくり読む」のは向いていないのかな、と思っていました。
 森先生の話を読んでいると、「時間をかけて読み解く価値があるような本を避けていた」だけなのかもしれませんね。
 「わかりやすさ」ばかりが重視される傾向とか、「多読信仰」みたいなものも、もう一度考え直してみるべきなのかもしれません。
 僕は勉強のためというより、本を読むのが生活の一部であり、娯楽なので、森先生の価値観に引きずられすぎても、どうしようもないな、とも思うのですが。


fujipon.hatenablog.com


 森先生は小学生の頃、本というものを信用していなかったのです。「物語は作り物で、そこにどんな教訓が書かれていたとしても、ご都合主義でしかない。そのテーマについて伝えたければ、三行くらいにまとめられるはずだ」「ノンフィクションも、本当のことなのか、疑わしい部分が多すぎる」と。
 本人が書いた「自伝」に関しては、読む価値があると思っていたそうですが。


 そんな森先生が小学生のときに一番感動した本は、『初歩の電磁気学』という本でした。
 小学校四年生のときに、本に載っていた回路図に沿ってラジオを自作したけれど、「電波とは何か」というのが具体的にどんなものなのかが理解できず、周囲の大人や学校の先生に質問してみても、満足がいく答えは得られなかった。近所の電気店で訊いても、ちゃんと説明できる人がいない。
 そこで、森先生は、図書館で、電波に関する本を探してみたのです。

 大人が誰も知らないものでも、大きな図書館ならば一冊くらいはそれを説明した本があるのではないか、と期待した。そして、その書棚を探して、僕はもの凄く驚いたのである。電波に関する本は、棚のその段を満たすほど並んでいた。二十冊くらいあったと思う。電波と書かれていないものもある。それらを全部見て、最も図が多いもの、初心者向けのものを選んだ。うっすらとした記憶では、『初歩の電磁気学』だったかと思う。高校生(おそらく工業高校生だろう)くらいに向けて書かれた本だった。
 文字を読むのが遅いうえ、漢字が多く、なかなか読めなかった。それでも、何度か借り直して読んだ。図書館までは自転車で行くのだが、ハンドルの籠にその本を入れて走っている光景を今も覚えて。何度もそれを見ながら往復したからだ。
 びっくりするような内容だった。まず思ったのは、ここまで詳しく物事がわかっているのだ、ということだ。また、百年以上まえから、複数の人たちがそれを研究し、数々の発見があったこと。そこから、さまざまな応用がされ、製品が作られていること。そして、それを自分でも使えそうだ、という点が最も凄いと感じた。
 本を読めば、そんな「人類の知識」が得られるのだ。学校でも教えてくれない。大人も先生も知らない。それでも、世の中の誰かは知っていて、それを本に書いているのだ、と思い知ったのである。人間というのは、そういう仕組みを作ったのだ。なんと素晴らしいことだろう。本当に人間って凄いじゃないか、と感動した。


 僕は本というものを娯楽寄りに考えすぎているのだな、と思ったのです。
 もともと、本というのは、人々にとっての楽しみであるのと同時に、あるいはそれ以上に「自分が得た知識を後世に受け継いだり、多くの人に知ってもらったりするための道具」なんですよね。
 本で読むだけでなく、直接、人から習ったほうがわかりやすい、というけれど、人から直接習うだけだと、その人の経験に引きずられたり、断片的な知識になってしまったりすることが多くて、系統的、全体的に理解するのは難しいのです。
 

 あらためて考えてみると、物語やノンフィクションを読むのも、実用書や科学分野の解説書を読むのも、同じ「読書」にしてしまうのが間違いなのかもしれません。
 「読む」のと「わかる」のも違うし。
 僕は数学の教科書に書かれている文字を「読む」ことはできるけれど、全然わからなかったものなあ。

 それはさておき、本選びは、結局は、人選びであり、つまりは、友達を選ぶ感覚に近いものだと思える。誰か面白そうな奴はいないか、あいつと少し話をしてみよう、といった感覚だ。そして、そういった場合には、二つの方向性が求められている。
 一つは、「未知」である。あいつは、自分の知らないことを知っていそうだ。なにかにやにやして面白そうな表情をしている。きっと、楽しい出来事に遭遇したのだ。それを教えてもらおう、といった感じで本を選ぶ。この方向性は、若いときには主流だったのではないだろうか。若者には、ほとんどのものが未知だからである。
 もう一つは、「確認」だろう、自分が考えていることに同調してほしい、そういう友達がほしい。だから、だいたい自分と同じものが好きで、同じ興味を持っている人と知合いになりたい。この傾向は最近では特に顕著で、ネットで検索が楽になったこともあってか、自分と相性がぴったりの人と出会いたい、と大勢が望んでいるようだ。同様に、本についても、自分の意見を後押ししてくれるものを読みたい。本を読んで、「そうだ、そうだ、やっぱり思ったとおりだ。これで良かったのだ」と思いたい。読むことで自身を承認してもらいたい、という心理で本が選ばれるのである。
 僕の場合を書いておくと、僕は完全に前者で本を選ぶ。後者で選ぶものは、趣味の雑誌くらいだろう。一般の書籍ではほぼありえない。これは、人間に対しても同じで、僕は、趣味や意見が同じ人と知合いになりたいと思ったことがないのだ。今の奥様(あえて敬称)も、僕とは性格も趣味もなにもかもまったく一致しない人で、意見なんか悉く異なっている。しかし、そういう違いこそが僕は大事だと考えている。自分にないものを持っている人と知合いになることが、そもそも知合いになる価値なのではないか、と思えるのだ。


 森先生は、本の選び方というのは、人選び、友達選びと思って望めばいい、と仰っています。
 本好きの人は、他人に本をすすめたがるけれど、友達を選ぶときに、誰と友達になったら良いか、と相談する人がいるだろうか?
 ベストセラーやネットでみんなが薦める本ではなくて、みんなが読まない本をあえて読んでみるべきだ、とも書いておられるのです。

 だから、これとまったく同じように、あなたが自分で本を選ぶ、というのが最も基本的なやり方だ、と僕は思う。
 そんな当たり前のこと、と感じるかもしれないけれど、否、その当たり前が、なかなか実現できないのではないだろうか。特に、ネットが発展した現代では、「私が読みたい本を教えて下さい」といった質問が某知恵袋に散見されるように、皆さん、迷える読者になっているのである。
 本の選び方として、僕が指摘したいのはその一点だけ。とにかく、本は自分で選べ。それだけだ。
 リアル書店でも良いし、ネット書店でも良い。とにかく、面白そうな本がないかな。と選ぶ時間が大切だということもある。人から聞いたから読むとか、誰かがすすめていたから読むとかではなく、自分の判断で選ぶこと。これはもの凄く重要なのだ。もう、本書のテーマはこの一点だと思っていただいてもかまわない。
 これについては、エッセィでも書いたことがある。写真の撮り方に類似しているとも書いた。カメラは今はデジタルになって、あとて修整もできるし、誰でも簡単に写真が撮れるようになった。しかし、重要なことは、どこを撮るか、何を撮るか、という「着眼」なのである。ここを撮りなさい、あれをここから撮りなさい、と言われて撮っていたら、もうあなたの写真ではなくなる。あなたは機械になったといっても良い。これと同様に、人から言われて本を読むのでは、見せられたもの、読まされたものになる。見たもの、読んだものではない、ということなのだ。
 本は自分で選べ、というだけのことをくどくどと書いているわけだが、本当にこれが一番大切なことだ、と僕は考えている。
 たとえば、子供に対してもそうだ。子供に本を選ばせるほうが良い。幼稚園児になるくらいの年齢なら、つまり、言葉がしゃべれるようになったら、自分で選ばせる。絶対に大人が「これが面白そうだよ」などと言ってはいけない。自分で選ぶことが、本を読むことの大部分の意義だといって良い。


 「読書」というのは、書いてある文字を目で追って、本のページをめくっていくことだと考えてしまいがちなのですが、「どの本を選ぶかというのが、読書のいちばんのポイント」だということなんですね。
 これを読みながら、「でも、リアル書店でも、ネット書店でも、どのように本をディスプレイするかという時点で、売る側の意図が介在するのを避けられないのではないか」と僕は思ったのです。
 何をトップ記事にするかが、その新聞の編集権を持つ人の腕の見せどころであるように。
 もちろん、森先生はそんなことは百も承知で、「なるべく先入観抜きで書棚を眺めて、『本当に自分が読みたい本』を探す意識を持つ」ことをすすめているのです。


 僕のような、本の感想をネットに書き続けている人間にとっては、自分がやっていることは何なのだろう?と考え込んでしまうところも多い新書なのですが、これもまた「自分と違う考えの人に触れる」という意味では、「価値ある読書」になったのではないかと思います。


すべてがFになる THE PERFECT INSIDER S&M (講談社文庫)

すべてがFになる THE PERFECT INSIDER S&M (講談社文庫)

アクセスカウンター