琥珀色の戯言

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【読書感想】笑劇の人生 ☆☆☆☆

笑劇の人生 (新潮新書)

笑劇の人生 (新潮新書)


Kindle版もあります。

笑劇の人生(新潮新書)

笑劇の人生(新潮新書)

内容(「BOOK」データベースより)
ようこの歳まで、こんなすかたんやってきたなぁ。兄・雁之助とともに戦後間もなく“笑劇”の世界へ。「番頭はんと丁稚どん」「裸の大将」等など、人を笑わせ続けて七十年。溢れるほどに稼いだカネを蕩尽し、三度の結婚うち二度は人も呆れる歳の差婚。国内有数の映画マニアにしてモノ蒐集家―そんな“怪人”の人生から、戦後上方芸能史の裏側が見えてくる。最初にして最後の異色自伝、どうぞ、わろてやってください。


 ああ、これぞまさに、「芸人の生きざま」だなあ、なんて思いながら読みました。
 芦屋小雁さん、御年84歳。
 僕にとっては、テレビの『裸の大将』で山下清さん役をやっていた芦屋雁之助さんの弟、というくらいの印象しかないのですが(のちに舞台で、小雁さんも山下清役を演じておられます)、ご本人が語る「芸人・趣味人の生きざま」は、読んでいて、けっこう羨ましくなりました。
 芸人が芸人らしく生きることに世の中がおおらかだった時代は、そんなに昔ではないのです。
 3度結婚して、父親と娘ほど年が離れた相手が2度、というのは、一度も結婚できない人だってたくさんいる世の中なのに、とも思うんですけどね。
 

 ぼくの芸能生活は十五歳の時、兄・雁之助との旅回りの漫才から始まりました。
 その後、師匠から芸名をもらい、正式に芸能界に入ったのは十六歳のときのこと。 
 しばらくして、テレビ放映の普及とともに人気が出た生中継ドラマ「番頭はんと丁稚どん」で、ぼくら兄弟の名前は一躍、全国に知られるようになりました。若さにまかせて、何本ものレギュラー番組を掛け持ちし、その合間には、自分でも覚えきれないほど映画出演を重ねました。舞台の面白さに惹かれて、兄と劇団を作ったこともあります。堺が舞台の映画『嘘八百』(2018年正月公開)でも、詐欺師の骨董屋を演じました。
 ふりかえって今、周りを見渡すと、兄も、弟の雁平もいません。
 無名時代、琵琶湖の船上で「早う、有名になろな」と誓い合った親友・藤田まことも、祇園で一緒に遊んだ山城新伍も亡くなりました。若くて貧乏だった頃は一緒に質屋通いをした花登筺、舞台や映画で共演させていただいた榎本健一森繁久彌伴淳三郎渋谷天外(二代目)、浪花千栄子勝新太郎ミヤコ蝶々花紀京京唄子……数え切れない方々がすでに鬼籍に入りました。
 ぼくらが日夜走り回っていた上方芸能の世界を知る人は、今となっては、ほとんど見当たらなくなりました。そこで今回、上方芸能の歴史の一コマとして残しておきたいというささやかな望みもあり、ぼくが今まで見聞きしてきたこと、経験してきたことを一冊にまとめておくことにしました。
「よう、その歳まで、すかたんやってきたなあ」
 どうぞ、そう笑ってやってください。自分でも、まったくその通りだと思います。


 小雁さんの話には、いま40代の僕も、名前くらいは知っている大物芸人たちがたくさん出てきます。
 『番頭はんと丁稚どん』をリアルタイムで観ていた、という人たちにとっては、よりいっそう興味深く読めるのではないでしょうか。
 この新書を読んでいると、小雁さんというのは本当に洒脱な趣味人、という感じで、さまざまな人を語るときにも、面白く書くことはあっても、悪口は出てこないんですよね。
 芸人の世界にも、いろんな因縁があって、お兄さんの雁之助さんは、いちど嫌いになると、もう二度と付き合わない、というタイプだったのですが、小雁さんは、もめごとがあった相手でも、仕事で声をかけられれば、わだかまりなく応じていたそうです。
 そういう性格もあってか、小雁さんの証言は、暴露本ではなくて、楽しい昔語りになっています。


 出世作となった『番頭はんと丁稚どん』について、小雁さんはこう振り返っています。

「番頭はんと丁稚どん」は脚本はもちろんあるのですが、ある程度アドリブもある。相手がこない言うたら、こちらはこう言いましょか、と相談しながら、それをもとに台本を変えていく。きっちり台本通りにはいかへんけど、そこが面白かったな。
 ぼくらのコントのどこが受けたのかいうと、結局のところテンポだったと思います。
 大阪弁というのは元来がベターっとしてるもんやから、漫才にしても芝居にしても、全体にゆっくりしてた。ところが、ぼくらは若いから、タッタッタと速いテンポでいく。その感覚が新しくてウケたんでしょうね。テンポが速いから東京でもウケるはず。そういう見通しがあったんやと思います。
 若くて無名やったぼくらがテレビに出られたのは、やっぱりテレビが草創期に当たってたというのが大きいね。実際、テレビの構成作家なんか、まだ花登筺くらいしか見当たらないような状態だった。
 けど、当時の映画俳優たちは、テレビを「電気紙芝居」と呼んでバカにしてて、「テレビに出たら芸が荒れる」なんてよう言うてました。テレビは落ち目の俳優が飛ばされるところ、というイメージがあって、普通は出たがらんかった。舞台俳優たちも。
「お芝居するのに足下が板でなかったら、そんなん役者やないわ。誰も客が見てない。コンクリートの上で芝居なんかできるかいな」
 なんてみな言うてましたよ。そんな状態やから、気軽にテレビに出てくれる便利な芸人は、ぼくらみたいなのしかいなかったんです。


 『番頭はんと丁稚どん』の放送開始は、1959年。
 いまから約60年前の芸人や俳優たちは、テレビをこんなふうにみていたんですね。
 今の時代から考えると、信じがたい話ではあります。
 

 よく知られているように、雁ちゃん(蘆屋雁之助)の当たり役になったのが、「裸の大将」の山下清役です。舞台での芝居だけでなく、テレビの連続ドラマにもなりました。
 この芝居は、藤本義一がわざわざ山下清の家に泊まり込んで一緒に生活して、観察しながら脚本を書きました。その脚本を読んで、雁ちゃんは演る気になった。弱い者が偉そうにしている人をやり込めるという話が、雁ちゃんの持ってた性分によく合ったんやと思います。
 昭和40(1965)年の京都・南座での初演の折には、山下画伯を招待して、芝居を観てもらいました。そしたら画伯は、「ボ、ボクはここに居るのに、ど、どうして、ボクが舞台の上にいるの?」と言わはった。
 それからレストランでの記者発表の場で、みんなでカレーライスを食べ終えたとき、「これ、ぼくのう×こみたいだ」とやって、二十人ほどもおったでしょうか、一同かたまってしまったこともありました。何か、子供みたいで、おもしろおかしい人やったね。ふだんは弟さんとか付き添いの人がおって、あまりしゃべらさんようにしてはったみたいやけど、しゃべり出すとずっとしゃべり続ける。もちろん、ちゃんとしたおしゃべりです。雁ちゃんは、山下清と会ってるあいだ、画伯の言動をじーっと観察してた。芝居に生かそうと思たんやね。


 『裸の大将』と残された作品でしか、山下清という人を知らない僕にとっては、「本当に、ああいう人だったんだなあ」ということがわかるエピソードでした。
 蘆屋雁之助さんは、この山下清役があまりにも有名になってしまって、役者としてのイメージが固まり、他の仕事がこなくなるのをおそれて、ドラマで一度山下清が死ぬところを描いてもらい、「最終回」にしたのですが、のちに周囲の説得もあって翻意し、シリーズは続いていったのです。
 ちなみに、テレビ番組になった際に、小雁さんは、「山下清役は、自分にまわってくるのではないか」と思ったことがあったそうです。
 のちに、舞台で小雁さんが山下清を演じることになります。


 貴重な映画のフィルムを集め、自宅に舞台・客席つきのミニシアターまでつくってしまった、とか、お酒は飲めないけれど、夜の街で出会った人たちを引き連れて、数十人で次の店に行っていたとか、芸能人って、こんなに儲かるのか、と驚くようなエピソードもたくさん語られています。
 

 芸人が「すかたん」やることが許されていた時代の貴重な証言ですので、興味を持った方は、手にとってみてください。


シネマで夢を見てたいねん

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赤めだか (扶桑社BOOKS文庫)

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